NHK朝ドラ「虎に翼」は、女性として日本で最初に弁護士になり裁判所長まで務めた三淵嘉子さん(1914~84)(写真左)がモデル。主人公・寅子(伊藤沙莉)と友人の女性たちがさまざまな困難に直面しながら強く生きる姿を描いた秀作です。
最近のテーマの1つは、真の男女平等に反する婚姻後の改姓問題でした。この点でドラマは、実話と創作の興味深い組み合わせがありました。
寅子は恩師である穂高重親(小林薫)を尊敬しながらも、その封建的な女性観に激しく反発しました。
穂高のモデルは穂積重遠(1883~1951)。小島毅・東京大教授は穂積についてこう書いています。
<穂積の母は渋沢栄一の長女で、彼は渋沢の初孫だった。(東京)王子にあった祖父(渋沢)の家で読まされた『論語』が穂積の心を捉えた。
婚姻後はどちらかの姓に揃えなければならない決まりは戦前の家制度の残滓として多くの女性を苦しめているが、穂積はこれになんの疑問も持っていない。こう指摘しているのだ。
「内縁という関係は困った問題、ことに婦人に取って不利益な結果を生じます。夫婦の姓が別々で、山田一郎伊藤花子などというのも変な話です」(『われらの法―穂積重遠法教育著作集』第2集、信山社2011年)
穂積は敗戦直前に東宮大夫に就任し、今の上皇陛下(ママ)に『論語』を教え込んだ。>(「王子で『論語』を学んだ民法学者」東京大学出版会発行の月刊誌「UP」8月号所収から抜粋)
寅子が穂高に激しく反発したことに改めて合点がいきます。
ドラマでは寅子は星航一(岡田将生)との再婚にあたり、「夫婦のようなもの」として法的婚姻関係は結ばず、姓を変えませんでした。実際の三淵さんはどうだったでしょうか。
三淵さんが大伯母にあたる本橋由紀氏(毎日新聞記者)が、「世界」(9月号)に「三淵嘉子が駆け抜けた生涯」と題して寄稿しています。
それによると、嘉子さんは1914年、武藤貞雄の子として誕生。41年に武藤家で書生をしていた和田芳夫と結婚して和田嘉子に。芳夫は戦死。敗戦後の56年、最高裁調査官で3女1男がいる三淵乾太郎と再婚。乾太郎の父は最高裁判所初代長官の三淵忠彦でした。
固有名詞を除けばドラマはほぼ史実に基づいているといえます。しかし、決定的に違うのは、三淵さんは再婚によって2度目の改姓をおこなったことです。
そのことに三淵さんにどのような葛藤・判断があったのか、本橋氏の論稿では触れられていません。
結果から言えば、三淵さんは結婚後に男性の姓に変えるという「戦前の家族制度の残滓」に従ったことなります。
しかしドラマでは寅子は結婚の実を取りながら別姓を選んだ。皇太子・明仁の教育係となった家父長主義者・穂積をもモデルにした穂高への厳しい批判とともに、作者・吉田恵里香氏の強い意思がうかがえます。