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大野将平選手と喜友名亮選手の言葉

2021-08-12 04:44:31 | 身辺雑記


 東京オリンピックで優勝した柔道の大野将平選手のことは深く心に残った。大野将平選手は世田谷学園の生徒だったと言うことがある。後輩である。美術の講師をしていた私としては生徒でもある。残念ながら、直接教えたことはないので顔も知らなかったのだが。

 三軒茶屋でスポーツ品店をやっていたので、弦巻にあった講道学舎の人達は店にときどき遊びに来た。余りしゃべらない生徒ばかりだった。地方出身者と言うことと、外に出る機会がほとんど無いので学校帰りに寄ることが出来る場所がスポーツ品店ぐらいだったのかもしれない。

 東京の環境になじんでいなかった。彼らは顔を合わせても私が、教師だと言うことには気付かないようだった。できるだけ長居できるように、色々の訓練機具などを出して上げて、遊べるようにして上げた。

 優勝すると何か柔道用品がもらえるようだった。生徒はお金は払わないから、あとで理事長横地さんの娘さんがいつも払いに来た。勝手に買ってしまう生徒もいたように見えた。お母さん役という印象だった。娘さんも柔道をやられていたとおもう。へーシンク選手に敗れた日本柔道復活のために出来た私塾である。

 講道学舎に対する批判も様々あった。現代社会の中で、社会から隔絶した武道の道場を行えばそういうことになる。大野選手の現代離れした、武道家としての姿は講道学舎と世田谷学園で学んだ人だと見える。こういう人が育つために、特別な環境が必要なのだ。横地氏が語られたこと。世田谷高校の教育。そういう物が大野選手の姿に現われている。

 講道学舎は 1975年、 ダイニッカ株式会社代表取締役社長 横地治男により創立され、2015年閉塾。これまで古賀稔彦(6期生)、吉田秀彦(8期生)、瀧本誠(13期生)、大野将平(30期生)と4名のオリンピック金メダリストおよび6名の世界柔道選手権優勝者が活躍した。 

  大野選手は中学生の時から高校卒業まで講道学舎にいた人だ。講道学舎が閉校する最後の時代の生徒である。40年間講道学舎は続いたことになる。日本の武道の精神を育てようという、厳しい場だったとおもう。

 大野将平選手は世田谷学園の禅による教育の影響も受けていると思いだした。話す言葉からそのように感じる。世田谷学園は毎年10名以上東大に進学する学校である。東大に柔道部からも進学している。世田谷学園を止めて随分たつので、今のことはほとんど知らないが、独特の学校だったと思う。

 先日無くなられた古賀稔彦氏、オリンピック2連覇した大野将平選手。いずれも知性派である。成績も悪くなかったはずである。古賀氏は世田谷学園に大学に行ってから、教生として来ていたこともあった。とても繊細な人で柔道家と言うより弱い感じの人あった。吉田氏とは偶然、焼き鳥屋で一緒に飲んだことがある。その時の態度が昔の生徒として接してくれたことは、嬉しかったし驚いた。

 武道家として道を究めると言うこと知性的なことなのだと思う。二人とも口にしていることは、武道家としての道は終わりがないと言うことだ。金メダリストは成し遂げたあとの生き方にこそ、真価を問われることになる。

 人生の修行の日々は、武道の道以上に厳しいはずだ。若く達成した人はその重荷を背負って生涯修行の道を生きなければならない。若く評価された絵描きの大半がその後成長しない姿を見れば、評価されることでダメになる理由がよく分かる。古賀氏はその厳しさをよく知っていたから、寡黙だった気がする。

 大野将平選手は3度目のオリンピックを目指すのであろうか。今の自分を打ち破れるほど強くなれることは無いと考えるのであろうか。これからのきびしい道を見事に歩んで貰いたいと思う。大野選手ならそれができる人に見える。

 もう一人の傑出した武道家が、喜友名亮選手である。空手が生まれた沖縄の傑出した武道家。この人も、日本の武道という修行の道がなんたるかを示してくれた。動きの中に籠って行く精神。空手の本来の意味を世界に示したのではないか。ただのスポーツとしてみる人にはこのことは分からないことだ。

 武道は相手を戦うものである以上に、自分を高めるためのものなのだろう。国宝の絵を描いた剣豪が宮本武蔵である。空手の型の演武というものがどれほどすさまじいものであるか教えられた。動きの中にすべてが表現される。日本の武道の姿の発出。

 太極拳や八段錦をしている。動禅体操をしている。動きの中にどのように自分を込めて行くのかと言うことは日々取り組んでいる。もちろん、へなちょこではある。それでも、喜友名選手の精神の身体的表現には教えられるところが、多々あった。

 肉体と精神の統一。世田谷学園は空手型では何度も全国優勝している。前山本校長が空手をやっていたと言うこともあり、教師の中に型に取り組んでいた人が二人居たと言うことがある。空手道と禅の考え方は通じるところがあるのだと思う。

 空手は武道ではあるが、攻撃する武道では無い。琉球王朝という武器を取り上げられた国が、唄と舞踊と空手道を武士のたしなみとして、平和国家を作り上げた。空手に先手なし。あくまで自らを究める為の武道。組み手が空手を充分に表現できていないのは、スポーツとしてのルールがあるためである。

 太極拳が型と組み手としてユースオリンピック種目になる。これをみると、中国の考える武術と日本の武術の違いがよく分かる。中国では禅が消滅したように、精神性という曖昧さが理解しにくい民族だと言う気がする。

 何故、ヨガが達磨大師によって禅としてインドから伝わり、中国では変貌していったが、むしろその中国から伝えられた日本で、禅というもののは完成したような気がする。こういう所は日本文化の学んで育てる事ができる良さでは無いだろうか。

 太極拳や八段錦が、日本で洗練されて行く中で、禅的な物を取り入れて行く。ところが中国ではより演舞的な物になり、より曲芸的な動きになる。自己鍛錬というよりは、見世物的武術になる。太極拳の中国の中心人物は大道芸として、木戸銭を集めて活動していた人だという。

 お金を取れるいわばシルクドソレーユのような芸は、武道とは言えない。大道でお金がもらえる芸になることで、失われる精神性がある。精神性は大多数の人には分かりにくいから、宗教にならなければ、お布施はもらえない。

 この点でみれば、現代中国の絵画がつまらないものであることと呼応している。ところが、今の日本はこの中国の商業主義を後追いをしている情けなさである。拝金主義は文化にとっては実につまらないものだ。

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