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私絵画論

2024-07-26 04:09:38 | 水彩画


 絵画論の前に「私」を付けた言葉を造語し、使っている。小説に私小説というものがあることに習った。でも少し私小説とは違う感じである。世の中の大半の人の現代の絵の描き方は、私絵画と呼んだ方がふさわしいと考えている。

 自分がやっていることを考えてみると、この言葉でしか表わせないと考えたからである。絵を描くからと言って絵画論はいらない人が普通だろう。所が現代は絵画論が失われた時代だから、評論家が絵画論で論戦をするようなことはない。だから自ら、絵画論を展開しながら絵を描いている。

 絵画論が失われたと言うことは、芸術としての絵画が失われたためだと考えて良いだろう。芸術としての絵画は、絵画論と共に前後しながら進んで行くものだと思われる。絵画とは何かを考える行為がなければ、絵画の進展もない。印象派の登場からマチスまでの展開はそ言う両輪があったと思う。

 絵画芸術論が新しい絵画を導き出し、また新しい絵画が新しい芸術論を作り出したのだと思う。美術史的に於いても、絵画という表現方法が何を行って来たのかと言うことが、様々に展開されたわけだ。そういう意味では日本の美術は、西洋美術とは違う歴史の元に展開してきたものである。

 私は西洋文化よりも、日本文化に関心があるので、日本の美術の流れをいつも考えてきた。日本美術の中には、素晴らしい芸術性の高い作品が存在する。それは、西洋絵画よりも自分を根底から揺り動かすものである。しかしその周辺に存在する膨大な装飾的な絵画が、芸術家らは遠い作品であることを残念に思ってきた。

 装飾美術と芸術としての絵画との違いが、曖昧なまま、美術が芸術としての存在の独立性を確保しないまま、突然西洋美術に出会うことになった。いわば教養というような意味での、美術に関する認識が、突然論理的な芸術のジャンルに組み込まれた。

 これはすべての日本的なものがそういう、西洋哲学に鋳造し直されるような試練を経ることであったのと同じことなだろう。美術は床の間に収まるような、美しいだけの納まりの良い建具や装飾品のような存在ではなく、人間の生き方を問うような、突きつけられる表現であると言うことになったのだ。

 この変容に実は日本美術は対応がゆれることになる。日本の油彩画というものが登場して、ゴッホやモネ、マチスやボナールの近代絵画の持つ思想哲学に驚愕し大きな影響を受けることになる。所が厳然と日本画を中心に、あくまで美しい工芸品で構わないという世界も残されて行く。

 明治以降西洋化の流れの中で、油彩画は様々な変容をするが、最終的にはわずかな人達が、人間の表現としての絵画を作り出したのだと思う。その世界は世界でも評価されるべき深い哲学と思想を持つ芸術だと思われる。ただそれはあくまで一部の人の特殊な芸術行為だったのだと思われる。

 日本の芸術は世界にも誇るべき展開をわずかに見せようとしたが、それはあくまで少数の人の特別な芸術的探究だったと考えるほか無かったようだ。中川一政。野見山暁二。などがその探求者だったのだと思う。しかし、その探求者は極めて少なく、日本芸術の潮流になるとまでは行かなかった。

 その一方で、一般の流れとしては、江戸時代の美術が衰退したかのような形の装飾美術の世界が、弱まりながら継続された。ここに人間哲学としての芸術との関係の無い、芸術とは言えない美術が、趣味の世界に広がって行く。それは何時の時代もそんなものなのかもしれない。

 しかし、人間がその生き様として、絵画表現に自分と言うものをぶつけようとする人は居る。そう考える人はかなりの数居るのだろう。所がほぼ全員がその芸術世界の入り口にも到達できずに、空転して絵画の上でもがくことすら出来ずに、終わっている。日本の伝統美術の呪いのような結果だ。

 もちろんその在り方は実りの少ないもので、全員が何も得ること無く空転し挫折して行くのは仕方がないが、自分が何を目指してやっているのか理解できないのでは情けない。絵と自分という存在が向き合うことが出来る、芸術の制作者になるということを自覚することは、それ程困難なことになる。自分というものが分らない存在だからだ。

 自分らしくあれということは、簡単に言えるが、自分とは何かを自覚することは難しいことなのだ。自分というものを探ることが生きる目的になっている。自分が分かれば自分の絵が描ける。自分が描いている絵が自分というものを表しているかもしれない。

 自分というものはほぼその大半が人まねで出来ている。自分だと思って描いていても、それは真似に過ぎないと言うことの連続になる。新しい絵画の発見を一つの方向として持っていた、西洋絵画のルネッサンスから近代絵画までの時代であれば、点描を見付けたスラーが、たいしたレベルの絵画ではないが、スラーの絵画と言うことになる。

 しかし、美術史の中にはやはり天才としか言えないような人が存在して、自分との格闘の様を絵画の表現として、一つの絵画による哲学表現として、表している人が居る。ゴッホはそうなのだと思う。ゴッホは人間にとって意味ある絵画を作ろうとして、その目的を達した。芸術としての絵画とはそういう天才の仕事に見られる。

 私は天才ではない。ただ絵画に生きる重みを感じている。美術品を作ろうとは全く思わない。人に評価されるためとも考えていない。ただ自分というものが、絵に表れて欲しいと言うだけである。自分がこうして文字で書いているようなことが、自分の世界観として絵の上に表れて貰いたいと考えている。

 どうも絵画芸術は、表現としての芸術としての命を終わり、制作する行為を芸術的行為にするという、芸術に変わったのでは無いだろうか。現代では音楽家が演奏家であるということは良くあることだ。作曲はしない、演奏だけをする人だ。その人はバッハの芸術としての音楽を演奏することで、藝術と同化する。

 絵画制作もそれに近いものがある。音楽家が演奏自体を芸術行為として、深めて行くように、絵画も描くという行為そのものの意味に、芸術としての表現行為を感じると言うことでは無いだろうか。では演奏家のようにゴッホの制作を再現して、ゴッホと同化して表現すると言うことになるかと言えば、そこは少し違う。

 絵画表現を行うという行為が、その人の哲学行為であり、その描かれた絵画は世界観の表現と言える。それはある意味描くことが、自分の思想を深める行為である。世界観を探り広げて行く行為である。その描く行為が、修行のような道なのではなかろうか。

 宗教者が千日回峰行を行うように、ただひたすら絵画制作を行う。何かを求めるのではなく、描くと言うことになりきるということ。そのことが修行になり、人間哲学を深め世界観の構築に繋がる。この日本人的な人間を極める生き方を、絵画制作に重ねるものが、「私絵画」なのだと思う。

 只管打画ということになる。厳しい制作ではあるが、明るいものである。私という人間の価値を創造する希望的な、楽観の修行である。ここに次の時代の芸術の在り方が在ると考えても良いだろう。IT革命後の世界での、絵画芸術の意味は人間の中に戻って行くのだと思う。

 装飾としての絵画はITがやるだろう。人間がやるべき事、また当人以外に意味が無い私絵画と言う芸術行為こそ、次の時代の人間を作り出すようなものになる可能性が高い。まだ私が成果を上げたわけではにのが、残念なことだ。あと25年かけて、私絵画のそれなりの結論まで行きたい。


 
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