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腰が痛くならない農作業

2024-03-08 04:20:10 | 暮らし


 日本の農業者の数は116万人、平均年齢は68.4歳で、年齢構成でみると70歳以上の層が ピークになっている。肉体労働の年寄仕事は未だかつて無いし、多分人類にとって食料生産を老人がになう、初めての社会が出現したのではないか。 

 74歳の私が現役の農業者である事が、それ程不自然には思われない状況である。若い人の場合生活がかかっている。農業で家族の生活を支えるのは難しくなった。国の安全保障と言われる農業が、年金生活者がやるほか無いような仕事になったのだ。

 農業者の大半の人が年寄だから、腰が痛くて困っている人が極めて多い。農業の仲間でも、腰が痛くて止めたという人が何人も居る。国の安全保障が、腰痛にかかっている。幸い、私は腰が痛いということが無い。腰が痛くなったらば、農業も終わりだと思っているので、腰痛にならないように最善を尽くしている。

 腰に負担をかけないためには、持ち上げ重量を23kg未満とするようにと提案されている。農業ではこれよりも重い物を持ち上げることは普通だろう。腰椎の損傷リスクは年齢にも比例するとも指摘されている。歳をとると、骨が弱くなるし、力が衰える。高齢化が進んでいるから、腰痛は一層重要な問題となっている。

 腰痛調査では、腰痛をもたらす作業で最も多かったのは収穫。確かに手刈りの稲刈りは腰に来る。しかし、今そんな作業をやるのは私たちぐらいだろう。次いで荷運び、剪定、植付け、掘り取り、皮剥き、選別、除草となっている。これらに共通する姿勢は、前屈みの長時間の変化の少ない作業姿勢である。

 「前かがみのであるくこと、人類が二足歩行を行うようになった時から、腰痛は逃れることの出来なくなった健康障害の1つであり、多くの現代人がこの腰痛に悩まされている 」このように立って歩くことすら、腰に負担があるのだから、前屈みで長時間作業は厳禁である。

 だから除草剤を使わない訳にはいかないことになる。農業では除草は最大の課題になる。草は生やしてしまえば、もうだめだ。生やす前に抑えるようなことを考える。あるいは叢生栽培と言うことなのだろうが、それで農業経営が上手く行っている事例は滅多に無い。

 農業者の腰痛率は約83.0%と高く、言われているように前屈や中腰といった姿勢、重量物の取り扱い動作が原因していることが分かっている。 苗の植え付けや収穫時には、中腰姿勢を長時間続ける。出荷作業の際、収穫した農作物を運搬することになる。1袋の目方はできるだけ減らしている。

 腰痛を避けるためには農業を止めるほか無いとも言える。農作業は命を繋ぐ方法なのだから、一年でも長くやりたい。そのために、辛いほどの作業は避けることにしている。休み休みしかやらない。中腰でいるくらいなら、地ベタに座り込んでしまう。腰を下ろしたままずるずる動いている。

 極めてみっともないが、その御陰で腰痛になったことが無いと思っている。希有な農業者17%の一人である事は確かだ。重いものを持つ場合、腰で持たないで膝を曲げて、膝の屈伸で持ち上げる。中腰よりも膝曲げである。膝曲げで動くと、大腿筋という強い筋肉が利用できるからだ。

 膝を使わないでものを持ち上げると、腰の屈伸だけで持ち上げることに成り、負担が分散できないことになる。すべての動きを膝に余裕を持たせて、動く。ドジョウすくいのようなみっともない動きである。百姓働きは格好は悪いが、身につければ腰など悪くしない。

 そして、毎朝の動禅体操である。できる限りゆっくりと腰を落として動く。心拍数が上がらないような動きである。歩数計も動かないような動きだ。ペイの数値も変らない動きだ。東洋の動きは走って、心拍数を上げるようなことではない。

 内に込めて行く動きである。内臓で動きを意識する。スワイショウに於いては、腸で身体を回す、意識。本当は腸に筋力があるわけではないから、腸で身体は回せない。しかし、腸を意識して、確かめながら、腸で身体を回すんだとする。この意識を変えることが重要である。

 呼吸法も重要である。息を吐ききる。息を吸いきる。口をとがらせて、限界まで行う。手も使い最後まで呼吸をする。そして、さらに重要なことは呼吸を限界まで止めると言うことだ。吸いきって止める。吐ききって止める。動きの中で、静かにこの限界を見極める。

 5数える間動きを止め、呼吸求める。数を数えるときには心拍数に併せる。ゆっくりした心臓の鼓動を感じながら、ひとーうつ、ふたーうつ、と数えて行く。心臓の動きをこの時感じ取ることも重要になる。心拍数は早くならないぐらいで保たれている事が大切。安定して、確実な動き。

  すべては内観法である。重要な臓器をこうして内観して行くことで、異常を探る。内臓には感覚神経があるわけではないから、良く確認は出来ないが、感じてみることは無駄ではないと思っている。繰り返して感じようとしている内に、いくらか分かってくるような気になる。

 出来ないと思うことも、繰り返している内に出来るようになっているものだ。動禅の間、目をつぶって行っている。最初の内はふらついてしまうが、いつか安定すると思い、無理せず継続する。出来なかった動きが、半年もすると出来るようになっているものだ。

 石垣島の農業は実に難しい。しかし、いつか出来ると思って挑戦している。出来るまでやればいいだけのことだ。それまで元気で動ける身体でいることだ。去年よりは間違いなく今年の方が良い。田んぼの土壌が良くなっているのが分かる。

 こうして、わずかずつ前進することが大切だ。一度に激変することなど無い。大切なのは方角である。良い方角に向かっていれば、いつかはたどり着けるに違いない。のぼたん農園の冒険は、身体を大切にする冒険でもある。どこまで身体が持つかが、鍵になる。

 身体の衰えは仕方がないことだ。身体を一年でも長く使えることが目標である。腰は重さを感じることがある。思い当たる昨日の作業がある。同じ作業を続けないことだ。年寄の冷や水である。無理せず休み休み身体を使うこと。

 先ずは80歳まで動けば、のぼたん農園の冒険にも目途が立つだろう。それまで腰を痛めないことだ。慎重に、ゆっくりやればいい。方角を間違えずに、ゆっくりと確実に進むことだ。

 
 
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