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労働と不労所得の問題

2024-03-09 04:13:14 | 暮らし



 日本は世界でビリクラスの格差社会になってしまった。よく富裕層のことが言われる中国やアメリカと大差ない格差社会になってしまったのだ。日本では2022年、上位10%の高額所得者が全所得の44.24%を占めた。今はさらに少し進んでしまっただろう。

  池田内閣のもとで所得倍増計画が打ち出された1960年には34.88%だった。 多分この頃が日本の社会の均等化が一番進んだ社会だったと思う。江戸時代を試算すると50%位と書かれている。これは当時の世界で見ればむしろ格差は少ない方だった。当時の世界としては、権力者が富を独占していなかったのだ。

 戦後の日本社会は農業も食糧増産で元気で、一次産業でも普通に暮らせた時代だった。こういう時代に育つことが出来たことは幸せなことだった。身体を使って働くことが出来れば、何とか成る社会が見えていた。肉体労働を嫌う空気など無かった。健全な一次産業の労働に誇りの持てた時代。

 格差社会を推進したのは失われた30年と言われる、自公政権である。大企業優先の政策。国際競争力の重視。食料生産の軽視。株式投資に対する税制優遇を行っている。金融取引に関わる利子課税、配当課税、株式譲渡益課税などは20.3%に固されている。その結果1億円を超えるような所得の人に対する税制優遇になっている。

 所得金額が1億円を超える人は、財務省の統計によると令和元年段階で約2.1万人だったが、これは納税者全体の0.3%程度だった。このように飛び抜けた富裕層が税制面で優遇されることは、所得上位10%が全所得の44.23%を握る構図を生むことになった。

 一方で貧困層が形成され、貧困からの脱出が難しくなっているのだ。貧困の固定化が起きている。日本の相対的貧困率が米国や韓国にも抜かれ、先進国で最悪の数値となった。「2022(令和4)年 国民生活基礎調査」で、2021年の相対的貧困率が15.4%と示され、先進国最悪の状態が確認された。 
 
 日本が30年間停滞した原因は格差を広げる政府の考え方にあった。大企業や富裕層を優遇する原因は、自民党と富裕層の持ちつ持たれつの関係だ。パー券キックバック方式による裏金の莫大な蓄積。そのお金で行う選挙買収操作である。貧困層でありながら騙されて自民党や公明党に投票してしまう人がいるのだ。

 政府の投資立国を推進である。こんな馬鹿げた政府は無いだろう。学校教育で、投資が奨励されるような洗脳教育は、歪んだ格差社会が奨励されていると言うことになる。学校教育ではむしろ、不労所得は良くないことだと、教えるべき事だ。子供の頃まではそういう社会倫理だった。

 それは憲法に書かれている義務規定に基づく。日本国憲法第二十七条一項は、「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う」としている。これが、「国民の三大義務」のうちの一つである。「教育を受けさせる義務」と「納税の義務」がある。「教育の義務」は国の義務である。

  仕事をすることが重要な社会参加であるという考え方は、勤労を義務とみなす考え方の基本となる。社会は誰かの労働で形成されている。働かざる者喰うべからず。不労所得で暮らそうなどと言う人間の考え方には、健全な社会を作るためには困ることなのだ。

 働かないで投資で暮らしている人間が、富裕層として形成されているとすれば、健全な社会とは言えない。それは倫理の問題だけではない。人間の肉体ははそうできているのだ。身体を動かすことが健康の基本だ。健康な身体を作るぐらいに身体を使って働くことが良い暮らしだ。

 だから富裕層はスポーツジム通いをする。しかしどう考えて農業生活の方が健全である。それが日本人としての暮らしだ。パソコンの前で株式投資をしているような暮らしよりも、田んぼで働く事ができる方が、身体にも心にも良いにちがいない。それが健全な人間の生活というものだ。

 どんな富裕層でも、自分の食糧を自給してみれば良い。すこしは不労所得の不健全さが分かるはずだ。お金がお金を生むようなことは、健全な労働では無い。犯罪とまでは言わないが、こうした職業に健全な人間が奨励されるような世の中は間違っている。

 日本人の労働意識が変化してきたのは、階層が顕著になってきた事による。働いても豊かになれない階層と、働かなくても豊かになる階層が出来たのだ。その結果働くことが馬鹿馬鹿しいと感じる若年層が形成された。労働義務感や不労所得への忌避感が、若年の低所得者層で低下している 。

 働くことで人間的な成長があるという、考え方が失われてきている。不労所得で巨万の富を得る人が、社会的に持てはやされる姿が背景にある。金さえあればかまわないのであれば、楽して肉体労働などしないで、儲けるのが一番だという浅薄な考え方が広がったのだ。

 これは同時に、貧困層に対する差別意識を生み出しても居る。貧困を自己責任とする考え方が生まれた。要領が悪いから、貧困になる。能力が低いことを悪とする、競争主義の考え方だ。能力差別は乗り越え無くては成らない差別だ。未だ能力差別は問題にもされることがほとんど無い。

 仕事の自立性の問題がある。自分の力でおおよそその仕事が達成されるものであれば、自分の内的な成長を生むことが出来る。こんな仕事が出来たという達成感が生まれるからだ。所が自分の労働が、細分化され、機械の歯車化されることで、労働が人間の成長が繋がらなくなったのだ。

 働くことでの自分の位置がよく見えなくなったことが、不労所得でもかまわないというちゃちな考えを生んだのだろう。不労所得の考え方が、健全に働くという、地道な生き方を蔑む気風が生まれていることが、怖いことだ。金持ちが偉いという間違った考え方。

 まず政府の洗脳教育を止めさせることからだ。当たり前の事では無いか。憲法に労働の義務は示されている思想なのだ。教育をゆがめては成らない。不労所得は健全な労働とは言えない。そんな生き方を間違っていると国は宣言する必要がある。

 動じに健全な肉体を使う労働を尊い労働としなければならない。頭を使う仕事が国際競争力を高める労働で、富が集中している。しかし、身体を使う労働にもっと富の配分をするべきだ。それが健全な国家を作る基本的な考え方になる。
 
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