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食料・農業・農村基本法の改正

2024-04-22 04:58:43 | 地域


 食料・農業・農村基本法は、農政の基本理念や政策の方向性を示すものとして1961年に作られた。しかし、それからの63年間、その法律は何の役にも立たないまま、農村は衰退を続けてきた。今では経済が農業中心の村は少ないことだろう。農業者は老齢化し、多くの地方社会が消滅を始めている。

 (1)食料の安定供給の確保、(2)農業の有する多面的機能の発揮、(3)農業の持続的な発展と(4)その基盤としての農村の振興、を理念として掲げ、もって国民生活の安定向上及び国民経済の健全な発展を図ることを目的としている。法律である。

 この農水省の挙げる言葉がいかにも空しく響いてくる。食料安全保障と言うことが、今度の改正では最重要課題となっている。当然のことで、何十年も政府は食糧自給率の向上と言いながら、向上どころか下落を止めることすらできないでいる。

 その守れない理由は、本来守るべき、普通に働く農家が生活が出来ないからだ。農家が世間並みに生活できるのであれば、これほど農業人口が減少をするはずがない。農業人口が維持されるようでなければ、食料の安全保障は出来ない。日本の環境も守れない。

  では、今度の法改正で、農業に向かう若者が増えるだろうか。間違いなく増えない。三菱総合研究所の予測では、これまでの政策を継続した場合、2050年の国内農業経営体は2020年対比80%減少の18万経営体、農業生産額は半減し4.3兆円となる見通しとある。これまでと違うと言えるものになっては居ない。

 日本の農地の地形の条件から、大規模農家による 集積には、限界がきている。その大規模農家の存在により、10〜30ha程度の地域の大きい水田農家の経営継続が厳しくなってきている。生産コストの増加・米価の下落が原因している。農家では生活が出来なくなっているのだ。

 その主たる原因は大規模企業経営の農家は、上手に補助金を貰いながら、経営をしている。普通の農家はその企業農家と競争関係にある。米価は企業農家によって下げられている。一方で機械や燃料コストは、急激に上昇している。この先普通の農家には全く明るい見通しが見えない。

 今度の農業基本法の改正で、何か新しい展開があるのだろうか。そう思いながら、内閣府の出している方向性を何度も読んでみた。どうだろうか。

 以下内閣府が出している、食料・農業・農村基本法の改正の方向性についてを書きだしてみる。

 現在、地域農業のあるべき姿を策定する「人・農地プラン」の延長で、「地域計画化」が法制化され、農地の集積を通じた地域の農業ビジョンづくりが集落ごとに求められている。
 ① 生産基盤の確保に向けた担い手の育成・確保とそれ以外の多様な農業人材 の役割の明確化 ・担い手の育成・確保を引き続き図りつつ、農地の確保に向けて、担い手とともに 地域の農業生産活動を行う、担い手以外の多様な農業人材も位置付け 
② 農業法人の経営基盤の強化を新たに位置付け ・農業者が急速に減少する中で、食料供給に重要な役割を果たす 農業法人の経営基盤の強化も位置付け ああ 
③ 将来の農業生産の目指す方向性の明確化 ・食料の安定供給を図るためにも、 スマート農業の促進や新品種の開発などによる「生産性の向上」、 知的財産の確保・活用などによる「付加価値の向上」、 「環境負荷低減」といった将来の農業生産が目指す方向性を位置付け ・特に、より少ない農業者で食料供給を確保しなければならなくなる中で、 サービス事業体の育成・確保を位置付け 
④ 近年増大する食料・農業のリスクへの対応の明確化 ・防災・減災や既存施設の老朽化への対応も視野に、農業水利施設等の基盤の 整備に加え、保全等も位置付け ・家畜伝染病・病害虫の発生予防・まん延防止の対応についても位置付け 
⑤ 農村振興の政策の方向性の明確化 ・農村との関わりを持つ者(農村関係人口)の増加や農村RMOの活動促進、 多面的機能支払による「地域社会の維持」を位置付け ・農泊の推進や6次産業化など地域資源を活用した産業の振興を位置付け ・鳥獣害対策や農福連携などについて明確

 何度も読んでみたが、何か画期的な方向性は見えない。期待したいのだが、どうも政府はだめらしい。とても次の農業に理解のある人が、この法律改正には関わっていた。だから、特別に期待していた。所が結果は全く違っていた。

 長いこと、検討を重ねてきたにもかかわらず、良い考えが出なかったと言うことになる。企業優先の政府や自民党の大規模、機械農業の考え方に押し切られている。いつもの農業政策の繰返しに過ぎない。これでは、三菱総合研究所の予測のように、農業はさらに衰退するに違いない。

 この基本法の検討過程では存在した、農家への直接の補助金の制度は作られなかった。結局の所、大規模企業農業だけしか、生き残れない現状は温存されたのだ。本来、政府が目指すべき事は、国民すべてが農業をやる国を目指すことだ。希望する国民が食糧自給できる条件を国は提案することだ。

 市民が農業をするとすれば、例えば大豆を作りたい場合、脱粒機の貸し出しが必要である。小麦を作るとすれば、コイン製粉所が必要である。お米を作るとすれば、コイン脱穀所が必要である。小型機械の貸し出しや、水路の整備、農道の整備を公共の力で補助しなければ、市民の農業は広がらない。

 そうした市民の農業を、迷惑だと、あるいは不愉快なものだとしてきたのが、既存農家であり、農協であり、地域社会であった。その結果、農業者の側
からは、打つ手が示せないまま、中山間地や離島の農村が消滅してきたのだ。農地の利用集積のために、そうなるように進めてきた。

 農村は競争の原理では維持できない。共存の理念がなければ、継続が出来ない。ふるさとを守りたいという思いはある。しかし、資本主義の経済競争と同列の企業農業が中心になったときに、ふるさとを維持してきた経営力の弱い農家を守ることが出来ないのだ。

 農村がなくなることで、日本の自給能力は急激に弱まってしまった。いまできることは、市民が自分で始める以外にない。誰の手助けも借りずに、自給を始めることだ。それぐらい世界の危機は迫っている。まず自助だと菅元総理大臣が言っていたでは無いか。

 市民が自ら食料を生産することが、食料の安全保障の一番確かな方法だ。政府には手段がない。と諦めた言うことを表明したようなものだ。戦後の食糧難時代が再来するかも知れない。市民が自分で食料生産をやるほか無い時代が、そこまで来ている。

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