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八ッ場ダム建設中止

2009-09-25 05:27:30 | Peace Cafe
民主党がマニュフェストに従い、八ッ場ダムの建設中止を進めている。国として、納税者としては当然の事だ。中山間地の不用な公共事業の代表がダムだ。長野県も田中康夫知事の脱ダム宣言で、一時評判だったが、結局住民は田中知事を嫌った。ここに日本の公共事業問題の縮図がある。「ダムを止めないでくれ。」と一部の住民がつよく反対している。この構図はどう考えても不自然ではないか。ふるさとを水没させないでくれと言うのが、かつての住民運動の普通の感覚である。「蜂の巣城」闘争を覚えているだろうか。1955年。子供の頃のダム反対運動の象徴である。子供心に蜂の巣城を応援した。ついに落城しダムは建設された。今、全国で起きているダム中止反対の原因は何か。

政府は八ッ場住民がダム反対を主張してきたなか、無理やりダム建設を説得強行した。住民は喜んで承諾したのではない。泣く泣く受け入れた。それを今になって、民主党政権になったからと言って、ダムは要らないので中止にします。では住民の翻弄されてきた生活はどうなるのだ。こんな憤りが背景に感じられる。もう一つに、中山間地の日本人の暮らしを崩壊させていいのか。こう言う怒りも感じられる。限界集落などと言う言葉が生れ、小さな山間地の暮らしは立ち行かなくなっている。今起きている日本の革命的方向の転換。普通に暮す人間の血が沢山流された結果だ。この10年で、30万人の自殺者である。この血は革命の代償。誤った国の方針の犠牲者と言えないか。国のダム推進教育がある。私が受けた教育では、「ダムと植林」は国家事業として取り組む正義の象徴であった。

ダムが正義だけではなく、環境破壊の原因にもなりかねない。こう言う視点は1970年代からの事だ。それまでの国の作るイメージ「共感の装置」明治政府が国家、国土と言う空間的統一イメージの形成に力を入れる。ここに水の管理。山林の管理と言う、日本国家と言う山紫水明の地の強調。特に戦時中の造林運動から国土建設。そして、戦後の「国土緑化運動」。なけなしの10円をだして、教室で緑の羽根をみんなが買った。1895年に既に学校林運動が起こっている。大日本山林会の設立。国土を守る造林と教育。緑化の背景にある国家意識の醸成。水を治める、国家事業。ダムは現代のピラミッド。あるいは古墳。この地域で言えば丹沢ダム。あるいは宮が瀬ダム。神奈川県の水道使用量は予測に反して減少している。そこに宮が瀬ダムの年間約60億円の受水費負担増。不用なダムをつくり、その費用の為に水道料金の値上げ。

ダム建設の必要性の検討。水力発電をしている訳でもない。水道使用量は減少して水は入らない。農業用水は改めて必要なわけもない。と成るともう一つ曖昧な治水機能に限定される。河川管理自体がおかしくなっている。コンクリートで3面全てを固め、ゲリラ豪雨のたびに河川事故が起きている。本来地域全体での環境的治水のあり方の検討が必要。豊かな山があり、平野に広がある田んぼ。全体で受け止めるべき治水。これを針葉樹の管理されない植林地帯。田んぼを分断するような、工業団地。住宅開発。その結果の治水が、ダム建設。川を自然から分断しての人工的管理。これが、公共事業の御旗。公共事業がなければ、生活ができない地方の状況。全てが本末転倒。先ず、中山間地の暮らしの再建。ここを政府は明確にする事が必要。ダムが作られることに望みを託さなければならない。これでは不時着地点は見つからない。

昨日の自給作業:収穫及び整理1時間 累計時間:11時間
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5 コメント

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Unknown (Take)
2009-09-25 08:36:04
理屈では笹鶏さんの言うことは賛同できますすが、八ッ場ダムの中止反対を川原の人たちがするのは致し方ないような気がするのです。
2007年のお盆の時期に川原湯温泉に行きましたが、800年以上の歴史を持つ湯治場は今瀕死の状態でした。
それはほとんどの人が、長年の闘争に折れて街を離れ、新しい家を構え、そこで新しい生活の基盤を作ってリズムに乗ってきて、昔の温泉街は自分の代で終わりにする人のみだから、外壁のトタンは錆々で、開いている店は数件。
とにかくお金をかけないで保たせなければ、という感じでした。

もしダムを造らなければ断腸の思いで家を棄てたあの遣る瀬無さは誰にぶつけたらいいのか?
たぶん地元の人はそういう思いでしょう。
ある意味、冤罪の人と々気持ちなのかもしれません。

でも冤罪の人がそこで気持ちを切り替えたように、僕は慰謝料(謝罪金)を払って、今の場所に家と街を建設させて再度街づくりをさせてあげれたらいいかな、と思います。
11月最初の土日には紅葉の吾妻峡の写真を撮りながら川原湯温泉に行ってこようかと思います。宜しければご一緒しませんか?

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やるせない怒り (笹村 出)
2009-09-25 11:05:52
そのやるせない怒りを、感じていないような、前原氏の態度に、腹が立ったのかもしれません。

しかし、担当大臣として、毅然とした態度も必要。
宮が瀬渓谷を水没させて、その対価が水あまりの水道料金の値上げです。

温泉好きとして、是否、行って見たいです。
返信する
Unknown (Take)
2009-09-26 08:22:15
6日の18時頃出発して、吾妻峡のハイキング(4km往復)をしてから、川原湯にいきます。
聖天様露天風呂は、その質素さとロケーションの良さで僕の中では高ポイントです。
帰りは7日の夜の予定です。
宜しかったら連絡ください。
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ダムは難しいです (やまきた)
2009-09-27 08:44:59
ダム建設には長期間の工期が必要で、その間の水需要を推定することは非常な困難が伴うと思います。
ダム建設のときに正確に水需要の予測ができていれば、良かったのですが、それができる人がいなかったのでしょう。結果論で、無駄なものを造ったと怒っても仕方ないです。
ダム建設を決めるときに、反対の声を上げるべきなのです。しかし、誰も自信を持って反対できる人がいなかった。反対できなかったと言うことです。
水需要予測を誤ると言っても、不足する方に誤ったなら大変です。余る方でよかったと考えるべきではないでしょうか。
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水需要のこと (笹村 出)
2009-09-27 09:06:16
宮が瀬ダムについては、ご承知かと思いますが。
建設時に反対運動はかなり広く行われています。
県内の環境系の団体は、反対署名の提出も行いました。
その理由として、水需要の今後の減少も大いに議論されました。
ところが、一切の無視です。
賢明な行政なら、充分今の状況は把握できた事例です。
ダムではありませんが、第2東名高速も同じように、生来の交通量変化なども、データーとしてあげて、意見陳述を行って、取り止めるべきを繰り返し主張しました。
しかし、無視です。
行政は、公共事業は進めるとなったら、一切の意見を無視します。意見がなかった。ということはないのです。

過去の事を今更言い募っても始まりませんが。
広域ごみ処理の予測値などこの先のいい例です。
小田原を中心にしたごみ予測でも、日量300トンを考えています。
そんなにごみがでる時代が、この先来るとは思えません。
余る方でよかったではすみません。ごみが足りなくて困ることになります。そういう焼却炉が既に多々あり、閉鎖までしているのが現実です。
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