地場・旬・自給

ホームページ https://sasamura.sakura.ne.jp/

武士の家計簿

2010-05-31 05:00:06 | 
「武士の家計簿」磯田道史著(新潮新書)実に納得の行く本である。幸運にも入手した、克明な加賀藩の御算用者の家計簿を読み解く本である。資料に基づく江戸時代の実像が活写されている。いたる所あいずちを打ちながらの通読である。さっぱりした。江戸時代の事は誤解が浸透している。封建社会、男尊女卑、農民一揆、士農工商、そうした先入観を浸透したのは、明治政府の歴史教育である。私がそうしたことに気付いたのは、自給自足を行なってみての事である。私のような人間に、自給自足が一日1時間で可能である。どうも江戸時代の農民像が狂い始めた。それは子供の頃からの趣味があった。ランチュウとか、チャボとか江戸文化に触れてきて、江戸時代という物のイメージに、焦点があって行かないというぐあいだった。何故、ランチュウの改良に生涯を費やせたのか。碁石チャボの作出に熱中できたのか。よほどの暇人である。

磯田氏の神田の古本屋での段ボール一杯の古文書との出会いの幸運。他人事ながら読んで安堵してしまった。これが残されていたからこそ、江戸時代の加賀藩の下級武士の生活が見えてくる。下級武士といえば、会計係は卑しい仕事とされていた。御殿医という医師の職も卑しい仕事で、役名は大小姓というと我が家では伝わっていた。武家社会というのは武士道と言うか、武力が最も大切な身分制度で、金勘定を武士にはさせない感覚があった。上級武士の教育には、会計学はない。二宮尊徳もそうである。農民でありながら、財政再建に乗り出す。これは尊徳が特殊なのでなく、江戸時代では普通の事であったという。これは面白い見方だ。金勘定のような下賎な事に、武士が関わって精神が汚れる。鳩山家のような育ちである。しかし、これが災いすると言うか、武士の生活は常に借金生活であった。仕方ないから、頼母子講のような、無尽のようなもので、凌いでゆく。ここでも尊徳が現れる。

武士が農民からお金を借りる姿、これを体裁を整え、保証を確実にする制度。この工夫は商人や、尊徳の世界。この精神が新しい時代を作ってゆく。そしてそれが、海軍に繋がるという。海軍で重要な事は、計算だそうだ。数学。そもそも江戸時代の加賀藩の数学のレベルは世界レベルである。その世界レベルの数学を背景とした、御算用者の家計簿が残っていたのだ。ここには武士の家制度の本質まで覆してみせる、驚きがある。女性像の見直し。女性に与えられるお金の数々から、意外な尊重が見られる。また、実家との終生切れない、深いつながり。そう離縁。離婚も三行半ではない。現代以上の離婚社会。困窮する武家の生活実態。それでも体面だけは維持しなければならない武家社会。年貢を上げる領地との関係、封建制度とは違う領地の実態も浮かび上がる。

その家計簿やら手紙は明治維新を経過してゆく。明治政府の実像。明治に入っても政府は武士の禄だけは出していた。徐々に引く波のような形で、給与がなくなる。それでも何の障害もなく、給与の廃止が行なわれる。そして武家の商法。仕官。現代の日本人と少しも変らない、維新への他人事のような対応。江戸時代を見直す重要性。明治政府の作り上げた、貧困社会の先入観。これを作り上げたのは、江戸の封建社会を否定しなければならなかった、共産主義思想。上からも下からも実像を離れて言った江戸時代。今こそ、実像に迫る重要性が起きている。世界希な循環型社会を江戸時代は実現していた。稲作こそその思想を育んだ物である。土地を基盤に循環する社会。新しい循環を模索する現代こそ、ますます江戸時代の再検討が重要だと思う。

昨日の自給作業:お茶の台刈り6時間 累計時間:36時間
コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 稲直播実験の経過 | トップ | お茶の台刈り作業 »

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
お初にお目にかかります (あっちゃん)
2014-10-02 18:41:09
武士の家計簿と二宮尊徳の立て直し策って似ているなと考えていろいろ見て、ここに行きつきました。

つまりは、白土三平「カムイ伝」のような農村像は、共産主義がはやり学生運動が盛んなりし時代にできたといえば、すべて納得がいきますね。つまりおおげさにつくられた苦境の姿だということです。

さらに言えば、明治以降の方が農民が困窮して、長塚節「土」のような農村になった(大河ドラマ「獅子の時代」にもその一端を見ました)ンで、ときの政府は前の時代つまり徳川幕府時代の方がもっとひどかったンだという教育をしたと考えればすべて合点がいきます。

あれれでも大日本帝国憲法のもとでは共産主義だの社会主義だのはアカと蔑まれていたはずですが?
返信する
少し違うと思います (笹村 出)
2014-10-03 04:10:33
明治の富国強兵策が、農村の疲弊を招きます。
農村の不満を抑えるために、江戸時代の農村の悲惨さを意図的に、政府が宣伝する。

自給自足で暮らしてみて、税金さえなければ、農民は豊かなものだと、実感できます。

自分の食べ物だけなら、一日1時間働けば確保できます。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

」カテゴリの最新記事