
この田んぼは40mの風が2日吹き荒れたがやられなかった。畦に刈り残してある雑草が守ってくれたのだと思う。
オリンピックに釘付けだった。素晴らしい試合が続いた。これほど水準の高い競技を見られることはかつて無いことだったのではないか。初めてメダルをとった国も多かったように思う。サンマリノやバーミューダーのことが報道されていた。
世界中のスポーツ選手のレベルが上がっているのだろう。どの種目も前回よりも選手層が厚いのではないか。スポーツクライミングを見ていて、前回よりも競技レベルが高くなっている。登坂する壁の設定も女子のボーダー以外は前より工夫されていた。世界中の選手に競争に魅了されてしまった。
登って行く技がそれぞれ選手によって違い、コースの取り方に選手の持ち味の違いがでる。ここに驚きと面白ろさがある。出場選手に登坂する壁が初めて示される。それを出場選手がぞろぞろと、双眼鏡を片手に下見をする。何やら攻略方法を意見交換している選手もいる。全員が控え室に戻り競技が始まる。
出場選手は一人づつ登場してきて、他の選手の攻略方法を見ることは出来ない。それぞれが思い描いた方法で、オーバーハングの壁を攻略して行く。この壁がまた良く出来ていて、決勝のボーダーと呼ばれる4つの壁は8人が挑戦して、頂点まで行ける選手が1人ぐらいに設定されている。
難易度の作られかたが世界選手権より、優れていた。素晴らしいレベル設定の技術である。ただ、女子選手の結晶の壁では、小さい選手にはそもそも無理な設定の壁もあり、逆に言えば大きい半分の人にはたやすい壁になった。ボーダーという競技の面白さをそこなうことになりそうだ。壁の難しさと、身体の大きさが反映しない壁の方が技術の使い方が面白い。
2つの種目があり、もう一つはリードである。こちらの壁は誰も頂点までは行けない壁に設定されていた。しかし、強い選手はあと一歩まで登った。この登り方が素晴らしいのだ。見ているものも一緒に登坂しているような醍醐味を味わった。完全にスポーツクライミングのファーンになった。一度実際に試合を見に行きたいと思う。
日本選手を応援していることが多い。生放送は怖くて見ていられないので、勝ったと言うことが分ってからみたことも多かった。日本の代表に成りオリンピックに出ることが大変だったのだ。できればオリンピックで最高の力を発揮して貰いたいと思う。あまりに力が入ってしまうから、ドキドキしてまともに見ていられないと言うことになる。
きっと勝つだろうと思っていた選手やチームが負けたときには、何か喪失感がある。しかし、よく考えてみれば、勝ち負けがあるのがオリンピックではあるが、勝って得るものもあれば、負けて得るものもある。ここに至るまで多分限界まで訓練を続けた人ばかりだろう。その練習がその人の何かになっているにちがいない。
そのひたすらの訓練は勝ち負けで変るものではない。確かに選手は負けたときの挫折感は大きいことだろう。支えてくれていた人達への申し訳のなさも大きいものあるだろう。心から応援する人であれば、勝ち負けよりもよく頑張ってくれたと受け止めるに違いない。
オリンピックを見る度に、人間の努力の素晴らしさを感じる。すごい努力をやり切る人が居る。そしてその努力を出し尽くす人が居る。これを見せて貰うと、人間というものの可能性に心底感動をする。そして、学ばせて貰う。その意味で今回のオリンピックは、新しい時代が来ていると感じた。
オリンピック直前になって、喫煙と飲酒をした未成年の体操の女子選手が、オリンピック出場を辞退させられた。これは残念なことだった。ストレスがたまって、飲酒し喫煙をしたという。確かに問題であるが、出場辞退は間違っていた。
スポーツ選手の喫煙はまずい。間違いなく肺の機能を低下させるのだから、競技者として自己管理を間違えている。しかし、人間は間違うものだ。若者が間違った場合、大切なことは、正しい道に戻ることだ。簡単には戻れないだろうが、正しい方角を教えることが取るべき道だ。
そのためには出場辞退の強制は間違った方法であった。良い結果にならないきがする。この喫煙と飲酒を公表するのはいい。今後このようなことは間違ってもしないと言うことを誓い誓約書を書いて貰う。そしてコーチと体操協会が責任をとり、謝罪をする。どの競技団体でも、競技者でない人間を入れるべきなのだ。
競技が始まると、柔道で日本選手がやはり強かった。しかし強かったとは言え、各国の選手の強さも目を見張るものがあり、素晴らしい試合が続出した。どの選手の戦い方も柔道なのである。当たり前の事だが、以前は柔道のルールを曲解したような不思議な形の選手が多かった。
結局、加納治五郎氏が集大成した柔道という武道の合理性に集約されたと言うことなのだろう。正しく柔道技が出てくる。柔道には100もの技がある。例えば風車という技がある。日本の大会では余り見なかったのだが、今回のオリンピックでは肩車が良く出てきた。漫画の技だと思っていた。
フランスが柔道団体戦2連勝で日本より強かった。フランスは日本の4倍の柔道人口がある。小さな町にも柔道場がある。大学の体育の授業に柔道があった。学校教育にも取り入れている。こうして柔道というスポーツが世界に広がったことは素晴らしいことだと思う。
柔道は礼に始まり礼に終わる。オリンピック種目の中で一番礼節を重んじている。立派な柔道家は勝利したからと言って、対戦相手に対して失礼な態度は取らない。勝っておごらず、負けて悪びれず。ここに日々の修養が重要であり、勝ち負けは人生修養の過程に過ぎないことがある。精神修養の武道が世界に広がったことは素晴らしいことだと思う。
新しクオリンピックに取り入れられた、ブレーキングとか、スポーツクライミング、スケートボード、こうしたスポーツに日本の若者が真っ先に取り組んでいることが素晴らしいと思う。しかもこうした新しいスポーツが勝ち負けだけでなく、素晴らしい技を成功させることを、参加者全員で賞賛するという態度は素晴らしい。
日本の選手達は予想通り、オリンピックで力を尽くした。その姿に感激した。勝敗ではない。例え予選敗退でも、メダルを逃したとしてもオリンピックで自己新記録を記録できれば、素晴らしいことだとおもう。自分を出し尽くすとはそういうことだろう。
そう思いながら、自分の絵の制作にそうした集中と力を尽くしているかを考えさせられた。絵を描くというのは自分で決めたオリンピックのようなものだ。準備は出来たか。どこまで自分の力を出し尽くせるか。日々の只管打画なのだ。
オリンピックは終わった。選手それぞれに次の修行の日々があるのだろう。4年後の次のオリンピックを目指して、頑張ろうと考える人も居る。新たな道に進む人も居るのだろう。世界中の若者が、全力を費やしたオリンピックが終わった。スポーツを軽く見ていたフランス人も、今回は様子が違った。
フランス人の観客がフランス選手の戦いに熱狂していた。オリンピックは戦争のくだらなさを見せてくれたと思う。世界中の人が集い。一つになって競技を楽しむ。応援する。4年後のオリンピックを見ることが楽しみになった。ロサンゼルスでやるらしい。テレビ観戦もさらに面白く変っていることだろう。