
長寿のための運動はできる限りゆっくりと、心拍数が上がらないように行うことだとおもっている。辛いほどの運動は、年寄はしてはならない。身体を動かすことが楽しいと思える範囲で運動することで、健康が保てる。先ずは楽しいと思える心の健康である。
楽しく暮らすことが大切だと思っている。ぼんやりした一日に成らないように、目標を持ってその日一日を暮らすこと。好奇心を持ち、やりたいことが湧き出てくるような暮らしである。しかもそれが自分一人のことではなく、人様に繋がっていることだろう。
昨日はのぼたん農園にある、直径が1m近くあるヤラブの大木にトゥリーハウスを作ろうという話で盛り上がった。考えただけでも楽しくなる。あの大木の上の家でコーヒーを飲みたいものだと、新しい夢が出来た。次の挑戦が生まれた。これは楽しい。きっとみんなにも楽しい事のはずだ。
米国のオリンピック参加した一流のアスリートは一般の人と比較して、約5年長寿であるというデータがある。だから厳しい運動は長寿に繋がると出ていた。疾患別にみると、心血管疾患の抑制により2.2年、がんの抑制により1.5年の寿命延長がみられるという。 こう書かれている。
このデーターの説明では、オリンピックに出場するような激しい運動の訓練が、長寿の理由と結論していた。まさか、そんなはずがない。激しい運動は身体に悪いに決まっている。オリンピックに出るということは限界を超えて身体を酷使しているはずだ。そのことだけではむしろ短命のはずだ。
そもそもそういう一流アスリートは、その厳しい運動訓練に耐える肉体であった事は確かだ。身体の弱い人が、オリンピックに出られるような肉体にはなれない。私は高校生の時に中距離走をしていた。練習のしすぎで、くるぶしの下にもう一つくるぶしが出来たようになってしまった。
大抵普通の人は身体がどこか壊れる。壊れないような千日回峰行にも耐え抜ける肉体の人が、オリンピック選手になれるわけだ。そうした優れた肉体の持ち主が、平均5年くらい長寿であるというのは、何の不思議もないだろう。それを厳しい運動の結果とみるのは間違えだ。
しかも、オリンピックに出るような人であれば、きちっとした職業に就いた可能性が高い。収入を比較したら、一般の人より高収入の可能性が高い。生活もきちっとしたものであろう。医療にも十分関与している。特にアメリカでは収入と寿命は相関関係があることも分かっている。
一流アスリートは自己制御能力が高い。食事のコントロールは的確に出来るはずだ。体重の調整も普通の人よりも維持能力が高いだろう。加えて、生活全体も、精神状態も一般の人よりも安定している可能性が高い。その結果5年間の長寿が維持された。と考えるべきではないだろうか。
限界を超えたような運動は身体の健康を損なうと考えた方が良いと思っている。健康に良い範囲の運動は、軽めの運動を継続的に行うことだと考えるべきだ。ところが、より厳しい運動をしようという努力を、より健康になると考えたいと言うことがあるのだと思う。
昔の人の方が寿命が短かったのは、身体を酷使したからだと思う。昔の肉体労働をさせられていた人は、短命だったに違いない。命を知事める用にはたら化無ければならなかった人が沢山居たはずだ。渡しの船頭さんは60のお爺さんだったのだ。
今の時代60歳はまだ壮年と言える。75歳になる私が何とか農作業が出来る。身体を酷使するほど働いたことはなもちろんない。厳しい運動をしたことが無いからだ。あまり心拍数を上げない程度に、ゆっくりと頑張らない運動をすることにしている。
耐えて頑張れば頑張るほど健康になると思いたいのだろう。頑張ることが、健康を損なうことであれば、努力が健康を損なうことになる。という逆の現象には納得がいかないのだろう。だから、様々な角度から、より厳しい運動が、より健康な身体を作るという結論ありきなのだ。ここは気をつけないと間違うところだ。
アメリカでは人種別の統計というものがあるらしい。収入別の統計も多い。これから膨大なスマートウオッチによる統計が出てくると、どういう人が長寿であるかが、もう少し分ってくるはずだ。激しい運動をする人は短命であると言うことが必ず出てくると私は思っている。
毎日マラソンをしている年寄がいたら、止めた方が良いに決まっている。ジョギングではなく、競技マラソンは身体に悪い。ところが、ランニングは長寿に繋がるというデーターは数々ある。問題はランニングとマラソンランナーの走りの違いである。オリンピックに出るようなマラソンランナーの過酷な練習は身体に悪いとしかおもえない。
マラソン以外でも、オリンピックに出るような厳しい運動を継続していれば、必ず身体を壊すと考えるべきだろう。オリンピックに出られるような人は、類い希な肉体があるために、普通の人なら身体を壊す運動を継続できるのだ。普通の肉体の人が真似をしてはならない。
運動は、体重を減らすのに役立つというイメージが強い。だが、激しい運動はかえって体重を増やす方向に作用すると言う実験結果もある。筑波大の松井崇助教のグループがマウスでの実験で確かめ、論文として発表している。運動はほどほどが良いのだ。
ほどほどの運動とは自給のための農作業ぐらいだと思っている。せいぜい1日一時間の農作業である。これくらい身体を動かして汗をかく事が一番長生きである。私は一日7時間座り込んで絵を描いている。これは実に身体に悪い。だから、時々農作業をする。農作業がなければ、たぶん座ってばかりで歩けなくなる。
良く推奨されている運動をみると、以下のようにある。「ウォーキング、自転車、水泳などの有酸素運動(全身を使って、10分以上継続する運動)、次に、筋力トレーニング、そしてストレッチの3つです。特に有酸素運動は、健康の維持増進には絶対に不可欠な運動です。」
問題は継続にある。大体誰でも身体に良いだろう運動ぐらい分っている。しかし、継続できる人は少ないのだ。どうすれば継続できるかが鍵だと思っている。私の場合は農作業である。農作業は興味に繋がっていて好きだ。やりたいことである。やらなければならないことでもある。
それでもなかなか継続は出来ない。今も草取りがやれないでいる。やればいいのだが、暑くて出来ないのだ。それでも自給を諦める訳にはまだいかないので、すこしづつはやっている。それで大いに汗をかく。この運動がなければだめだと思う。
そして、少しの運動でも継続するためには、朝のスワイショウから8段錦もやらなければならない。太極拳も出来ればやる。しかしどの体操も激しくやってはならない。これ以上無いくらいにゆっくりである。心拍数が上がるほどにはやらない。有酸素運動ではないのだろう。ここが自己流だが大事なことだと思っている。
デンマークの体操よりも、中国の体操の方が私には合っている。日本に来るとやたら精神性が重視されるが、中国でやっている人達を見ると、あくまで自己流の健康体操である。いわゆる決まりのあるような太極拳ではなく、あちこちで自己流なのだと思う。
中国でも残念なことは動きが速い。生活の感覚が慌ただしいのだろう。運動も悠長にはやっていたのでは間尺に合わないという感じだ。私の自己流は何でもゆっくりである。農作業も急がない。ゆっくりがいい。効率など考えない。作業自体を味わうつもりでやっている。
長寿は楽しく暮らすことに尽きる。毎日やりたい事を精一杯行う満足である。一日をやり尽くすことが出来れば、これ以上のことはない。それが人のためにも成れば最善である。自分のことだけでは、楽しさも半分である。どうやって人のためになるかを見付けたいものだ。
私と会うことで元気が出る。と言われるような人になれればと思う。それはなかなか難しいことだが、そういう後期高齢者になるのがこれからの目標だろう。そういう立派な人が確かに居る。できる限りそういう人と接するようにしている。そうで無い人とはできるだけ会わないようにしている。
長くともあと25年である。具体的に想像できるのは10年ぐらいである。この10年を今までに無いほど、楽しい充実した10年にしたいと思う。たぶん出来そうな気がしている。石垣島に来て5年。一年一年楽しさが増している。このさきもそういう暮らしが出来そうだ。