中野さなえ活動日誌

花には太陽を こどもらには平和を

ホタルの川の掃除・松本女性後援会つどいと街頭宣伝

2010年05月09日 21時58分44秒 | 活動日誌
 
 今日は「母の日」、そして私の誕生日でした。「母の日」は第二日曜日となりましたが、私が生まれたときも「母の日」だったのです。
 
 今日の赤旗にも「母の日」の由来が載っていましたが、1870年のアメリカで、南北戦争を終えて5年後、ジュリア・ウォード・ハウという女性が「夫も子ども戦場には送らない」と「母の日」を宣言したことが始まりだと言われています。私は、そんな記念すべき日に生まれたのです。

 名前の「早苗」は、田植えしている風景からつけたそうです。手塩にかけて育てた「早苗」がお米になって、人の役に立つように、と。
 皆さんに10年かかって育てていただいた「早苗」は、国会議員という「お米」にならなくっちゃ、との誕生日の決意でした。
 ひらがなで「さなえ」を使っているのは選挙用、本当は「早苗」と漢字です。

 さて、午前中は地域の「ホタルの川」の掃除でした。共産党が中心になって20年間守ってきた、ホタルの生息する「土京川」の年2回の清掃は、昨年から地域の自治協議会との共同で行われています。今日はその日でした。


 30人ほどが参加したでしょうか。地元の役員さんに「中野さん、こんなことしていていいのか」と心配していただきました。「いえ、今日はこれが大事なんです」

原田市会議員と、みんなが「母ちゃん」と呼んでいる栗岩の婆やンと。今年は昨年より、ゴミが少なくなっていました。
 「幼虫が土にあがってきているときだから、そっとね」との、原田さんの注意を守って、そっと行いました。

 午後は松本へ。松本の女性後援会がつどいを開いてくれました。90人以上の人で、会場は一杯。
 
 かわえ明美さんからのビデオメッセージもあり、皆さんからのフリートークで、介護や人工呼吸器をつけている子の実態や、派遣雇用の問題などが語られ、政治の前進への期待が広がりました。
 
 私は、母の日にちなんで、90才になった私の母への思いを込め、後期高齢者医療制度は即時廃止、沖縄基地は無条件撤去をと、政治革新のために何としても国会へと決意をお話ししました。

 私の後、中信地区委員長から情勢の報告がありましたが、イントロでやはり母の日にちなんで、「私の大切な3人の女性」の話をしたのです。
 
 一人は母親、二人目は19才になる娘さん、そして3人目は「女房」でした。「今私があるのは女房のおかげ」と、参加していた「女房」殿に向かって熱いメッセージを送り、会場からはやんやの喝采でした!!いいですねえ、かっこよかった。
 
そんな私に、思わぬプレゼント、皆さんの前で開けてびっくり!タオルで作ったケーキでした! ありがとうございます。
 
 年を重ねるだけ、人として豊かになりたいものです。

 夕方から皆さんと共に、街頭宣伝に出ました。花時計公園と松本駅前で訴えました。どちらでも、そばで何人もの青年が熱心に聞いており、質問も沢山してきて、頼もしいなあと思いました。

 

 「民主党は沖縄の基地問題で、いい加減だ」「共産党はいかが?」「演説を聴いていたけどいいと思った」
 「数が問題ではないですか。言ってることはいいけど、やれるんですか」
 「沖縄の基地、なくした後どうするのですか」
 「派遣をほんとうになくせるのですか。みんな正社員になったら、会社は競争力がなくなって困るのでは」
 「私はパートで、ちょっとした事故を起こしたら首になってしまった。親からの仕送りで暮らしているけど・・・ハローワークでも仕事がない」

 沢山お聞きし、お答えしました。

高校生は「授業料の負担を無くして欲しい」と。私学なんですね。
 
 終わりに記念撮影をしました。右端に映っている二人は、自民党の務台さんとお仲間です。私たちが終わるのを待って、演説していました。
コメント (2)
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