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あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

北本市東北部から鴻巣市東南部の春の彩り(埼玉)

2016-04-07 22:50:20 | ウオーキング
 2016年4月6日(水)

 6日ぶりに青空が広がったので、自分が担当する例会のコース選定のために出かけて、
JR高崎線の北本駅から鴻巣駅にかけて歩きました。

 コースの模様は例会当日のお楽しみとして、歩いた道筋で見かけた春の彩りを中心に紹
介します。

 スタートの北本駅東口では、色濃いサクラが見頃に。


    

 ソメイヨシノの古木も1本だけ。


 県道164号・中山道沿いの天神社にも、ソメイヨシノが。


 近くの通りを北東に進みます。沿道の畑に咲くナノハナ。


        

 そばの畑に咲いていた花。


 北本総合公園の野球場周辺は、ソメイヨシノの並木が花盛り。




 池の周辺では、ヤナギの芽吹きが進んでいます。


 池の中央では、カメが甲羅干し?


 以下の東側にはソメイヨシノの並木も。


      池の北側、橋の周辺からの眺め。
     


 野球場の北側から公園の北側道路際へと桜並木に沿って進み、公園を出ました。


 近くにあった「1級河川赤堀川源流点」標石付近から、赤堀川沿いを少し進みます。河
岸にはナノハナが。




 本村集落の西福寺に咲くシャクナゲ。


      鐘楼のそばには、若木のシダレザクラも。
     

        

 上越・北陸などの新幹線の高架下のナシ畑のナシも、花を見せ始めています。


    

 田園地帯を北進して上谷(かみや)総合公園へ。南側のサッカーグラント近くのヤナギ
の芽吹き。


 公園の北側にある野球場周辺でも。


 野球場の西側付近に咲き競う花々。


 野球場のネット裏入口付近には、若木の桜並木が続いていました。


    

 上谷運動公園を北に出て渡った、元荒川に咲くナノハナ。


 近くで元荒川に流入する支川の川沿いでも、いっぱいナノハナが。


    

         対岸間近に、キジが散歩していました。
        

 少し先で北側を流れる西裏用水路沿いに回ると、若木の桜並木が続き、道路を挟んで用
水に平行して流れる細い農業用水路沿いにはナノハナが。



ります。

 さかへど集落の東端付近にあった竹林公園付近でも、若木のソメイヨシノが満開に。


 竹林公園の北側の民家に咲く見事なハナモモ。




 こちらは別の民家の周辺。


 この先、鴻巣市文化センター「クレアこうのす」や鴻巣市役所を経て、JR鴻巣駅にゴ
ールしました。




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所沢航空記念公園のソメイヨシノが満開に(埼玉)

2016-04-06 23:00:51 | 所沢だより
 2016年4月5日(火)

 ここ何日か曇天続きで、花見にはいまひとつの天気ばかりですが、所沢航空記念公園に
行ってみたら、ほとんどのソメイヨシノが満開で見ごろになっていました。

 公園の北西側、市立図書館の周辺から入ります。




 公園の中央部、所沢航空発祥記念館の前に展示されている、もと航空自衛隊入間(いる
ま)基地の所属だったC-46型輸送機周辺。


 蛇足ながら、翌4月6日(水)午後、鹿児島県鹿屋(かのや)基地から飛び立った6人
乗り航空自衛隊機が行方不明になりましたが、その飛行機と乗員は入間基地の所属のよう
です。

 わが家の上空も、時々入間基地の飛行機が訓練飛行で飛んで来ますが、行方不明機のよ
うな機種は見た記憶がありません。

 こちらも図書館周辺。このあたりには何十本もソメイヨシノがあります。


    



 近くのクヌギも花を開きました。


 南東側の沈床茶園付近からの所沢航空発祥記念館周辺の眺め。


 同じ辺りからの図書館周辺のソメイヨシノ、左手背後は所沢市役所。


 沈床茶年の東側、放送塔近くにある飛行機のモニュメントと藤棚周辺。


 藤棚下からC46輸送機を見上げて、背後は航空発祥記念館。


 放送塔の南東にある「花の丘」と呼ぶ花壇に回ります。




    

 2本のシダレザクラのうち1本が咲き残っていました。


 花の丘の南側一帯はナノハナが。


 南東側、「むさしの川」と呼ぶせせらぎ周辺の木々の芽生え。




 放送塔下のロータリーから東側の時計塔下のにロータリに延びる遊歩道際では、大きな
シャクナゲが満開に。
     

        

 時計塔の南側からは、所沢の中心街、銀座通りに並ぶ高層マンションが望まれます。




 時計塔の北東側、広い芝生広場に沿って咲くソメイヨシノ。




    

        

 これはヤマザクラか…。


     

 時計塔の横から南に下る両側も、ソメイヨシノが並んでいます。




 大きなドウダンツツジも咲き出しました。


 向こうにはコブシが咲き残っています。


    

 むさしの川沿いのケヤキの芽吹き。


 川の下流は、公園の南東端にある池に流れ込みます。池に遊ぶのは、3日前に石神井川
で見たキンクロハジロのよう。


 所沢航空記念公園の南東端に出て、国道463号の航空記念公園交差点を横断して、所
沢駅方面に向かいました。





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桜まつりの金仙寺と比良の丘へ(埼玉・所沢)

2016-04-04 21:30:40 | 所沢だより
 2016年4月3日(日)

 今日は、所沢市の西郊、堀之内にある金泉寺(こんせんじ)の「第16回桜まつり」の
日とのこと。明け方の雨も上がったので行くことにしました。この時期には毎年のように
出かけていますが、桜まつりの日は初めてです。
      

 金仙寺は、約1100年前に覚堂という僧が、弘法大師の作られた身の丈約59㎝の阿
弥陀如来像を本尊として現在地の西方に開山し、現在地には天正18年(1590)に再
建され、現在の本堂は昭和38年(1963)の落慶とのこと。

 石段を上がった左側には、新四国八十八か所霊場第66番の弘法大師堂があります。


 本堂ではご本尊が開帳され、最近終えたらしい本堂修理の関係者が集まって感謝状贈呈
などの行事を開催中。修理は、耐震改修工事や本漆喰塗りなどを行ったようです。


 本堂前に立つ、樹齢150年を越えるというシダレザクラの見頃は過ぎていて、花はわ
ずかしか残っていないのが残念。3月下旬が見ごろだったようです。


 でも、南側の何本かのソメイヨシノは見ごろです。


 シダレザクラや桜などの木の下には、色々な草花が咲き競っていました。昨年は無かっ
たカタクリも1輪だけ咲いていました。
    

 クリスマスローズは何株かが。


        

 ほかにもいろいろな花が。


    

        

    

 本堂の西側、墓地との間ではハナモモが何本も咲き競っています。




    

 その後ろには色濃いサクラ。


 大師堂の回りもソメイヨシノが花いっぱい。


 墓地の西側の畑には毎年花文字が描かれますが、今年は何と書いてあるのか上から眺め
る場所が無いので分かりません。


 さらに西側の比良の丘(ひらのおか)と呼ぶ高台にも花があるので、回ってみます。
      

 寺から西に出た三差路際では、お地蔵さんが迎えてくれます。
  

 向こうが比良の丘。


 北側斜面にはシダレモモが。


 比良の丘の南側には、芽吹き始めた狭山丘陵の山並みが望まれます。都民の水源の一つ
である狭山湖の北岸になります。


      

        

 比良の丘の彩りの主なものは、真っ赤なボケと淡い彩りのモモ。




 ピークに上がる途中の、小さい墓地にはソメイヨシノも。


 花々の間を回ってみました。






 進むにつれて変わる多彩な彩り。








      

 斜面下部の淡い彩り


 お地蔵さんのそばに戻ります。かやぶき屋根の下にもお地蔵さんが祭られています。


 寺の北側背後に向かう道からの北面の眺め。


 本堂背後の庭にはカタクリが植えられていて、珍しい黄色の花も。


    

 境内の南側、駐車場にはステージが設けられ、間もなく演奏などが始まりそう。


 その南側の墓地付近にもハナモモが咲き競っていました。


 1時間半近く春の花の饗宴を楽しみ、6㎞余り東方のわが家に向かいました。





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サクラが見頃な石神井川沿いをお花見ウオーク(東京)

2016-04-03 22:43:17 | 江戸・東京を歩く
 2016年4月2日(土)

 カントリーウォークグループの第232回例会は、石神井川(しゃくじいがわ)沿いの
花見をしようとJR京浜東北線の王子駅に集まり、10時3分に王子駅親水公園口をスタ
ートした。

 
 == 石神井川右岸を板橋まで ==

 
 駅の西側は親水公園で、ソメイヨシノがちょうど見ごろ。がけ下には、今は水が無いが
せせらぎが造られ、水車もある。





 音無橋(おとなしばし)の下を抜けると、「王子神社のイチョウ」と呼ぶ大イチョウが
立っていた。幹囲5.24m、高さ24.2mある。
       
 王子神社は元亨年間(1321~4)に豊島氏が勧請(かんじょう)したとされ、その
頃植えられたとすると600年近い樹齢か。都の天然記念物に指定されている。


 クスノキの古木に囲まれた境内、コンクリート造りの拝殿に参拝して、正面の石鳥居を
出た。


 社前の通りを少し戻って音無橋を渡り、石神井川左岸の遊歩道へ。少しの間、コンクリ
ート護岸が高くて流れが見えず。流れが見えて間もなく、眼下の流れに数羽のキンクロハ
ジロが泳いでいた。
    

 次の橋を渡って右岸(南側)に回り、石神井川の旧川を利用した音無さくら緑地の吊り
橋を渡る。緑地には遊歩道が設けられ、エゴノキやコナラなどが植えられ、ソメイヨシノ
も咲いていた。


 車道が横断する紅葉橋を渡った西側に金剛寺がある。治承4年(1180)8月、伊豆
国で挙兵した源頼朝は、初戦に勝つも石橋山の合戦で敗れて安房国に逃れ、見方を増やし
て隅田川を渡り、鎌倉を目指した。

 この途次、滝野川の松橋に陣をとったといわれ、松橋が当時の金剛寺の寺域を中心とす
る地名とか。頼朝は石神井川のがけ下に祭られた弁財天に祈願し、金剛寺の寺域に弁天堂
を建立、田地を寄進したと伝えられているという。

      
 弁天堂は本堂右手にあり、その横にほかの七福神も祭られていた。


 頼朝当時は深山幽谷の趣だったという川は、現在はコンクリートで固められ、両岸のソ
メイヨシノは満開に近い姿で続いている。


 旧川の流れを掘り下げたのか、深い遊水池のようなところに遊歩道は下り、右に迂回し
て上がる。



 その先は音無紅葉緑地と呼ぶ公園で、公園や流れの両側のソメイヨシノも花であふれて
いる。






 流れは右に大きくカーブして観音橋へ。橋の向こうに露座の谷津大観音が望まれる。
      

 橋の先、数本のくぬぎの古木が林立する音無くぬぎ緑地で休憩した。
  


 くぬぎ緑地のすぐ先でJR埼京線のガード下を抜けて、北区から板橋区に入った。


 途絶えることなく続く、深い流れの両岸に咲き競うソメイヨシノの下を進み、少し高台となっ
ている加賀公園へ。

 この辺り一帯は、江戸時代の加賀前田藩の下屋敷(しもやしき)跡。下屋敷の平尾邸は
約2万8千坪に及び、徳川御三家を含む江戸の大名屋敷でも最大の広さだったとか。

 邸内には石神井川が流れ、その水流と千川(せんかわ)用水を利用した大池が設けられ、
築山や滝などを配した池泉式庭園は、本国金沢の兼六園の約7倍の広さだったという。

  
 園内に、板橋区と金沢市との友好交流都市協定締結記念碑がある。

 また公園内には、戦前この一帯にあった板橋火薬製造所内を通る電気軌道(トロッコ)
の線路敷きが残されていた。




    
 ソメイヨシノの並木は続き、満開に近い花が咲き競う。次の橋の先に、この地に昭和48
年(1973)から平成21年(2009)まであったという国立極地研究所から寄贈さ
れた、南極の石が台石の上に置かれていた。
         
 第25次南極地域観測隊が南極・プライド湾で採取した縞状黒雲母片麻(しまじょうく
ろうんもへんがん)とのこと。


 近くの遊歩道には、加賀藩にちなむ石灯ろう型のアクセサリーがある。
    

    

    
 緑橋を渡ったところには、「早春」と題する石彫が展示されていた。途切れること無く、
ソメイヨシノの並木は続いている。


 加賀二丁目緑の広場を抜けて稲荷橋を過ぎ、対岸に大きな帝京大付属病院を眺めながら
進む。
      


 次の御成橋を渡って左岸へ、すぐ先の稲荷台おなりばし緑地の一角に12時12分に着
き、みんなのシートを広げて昼食の場とした。


 == 中山道板橋から折り返す ==

 昼食後ミーティングをして12時50分に出発、いったん帝京大病院まで戻りトイレを
借りる。サクラを背に記念撮影して左岸に回り、先に進む。


 400m足らずで、板橋区の区名や町名のもととなった板橋に出た。板橋の名は、鎌倉
から室町時代の古文書にも見えていたとか。
       
 橋は中山道板橋宿(じゅく)の中心の中宿(なかじゅく)付近にあり、南側には本陣が
置かれ、問屋場や旅籠が軒を並べていて、江戸時代の地誌「江戸名所図会」の挿絵でも賑
やかだったことがうかがえるという。
      


 橋のたもとでもう一度記念撮影をして、左岸(川の北側)を折り返すことにした。



 すぐ先左岸沿いは、ソメイヨシノより白い桜が多い。



 遊歩道が広くなった緑地に子規の句碑が立ち、近くに最近の句の掲示板もある。
    


 対岸から往路の桜並木を見直しながら加賀橋まで戻り、少し先の空き地で14時からシ
ートを広げて、花見の宴の場とする。

 持ち寄ったものや途中のコンビニで求めた酒類やつまみなどを並べて円陣をつくり、
15時20分まで賑やかなひとときを過ごす。

 往路で眺めた谷津大観音の横を通過して観音橋を過ぎる。その先の遊歩道沿いには、
ショカッサイやナノハナ、チューリップなども咲いたいた。
    


 対岸に金剛寺を眺め、音無親水公園まで戻ると、往路よりかなりの人出で賑わっている。
公園には、「日本の都市公園100選」の選定プレートがあった。


 ゴールの王子駅親水公園口には、16時ちょうどに着いた。ここで解散し、有志はさら
にそばの飛鳥山公園での次の花見の宴に向かう。

 今日の東京の最高気温は13.3℃だったとか。少しヒンヤリとして青空は見えず、花
の彩りが弱かったのが少し残念だが、終始見頃のソメイヨシノを眺め、皆、満足した。

 当グループでは、毎年4月にはお花見ウオークをしているが、満開だったのは久しぶり。
しかも、全コースとも桜並木が続くというのは、初めてのことだった。

(参加 21人、天気 曇、距離 8㎞、地図(1/2.5万) 東京西部、赤羽、
 歩行地 北区、板橋区、歩数 15,200)




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所沢・東川沿いのソメイヨシノが見ごろに(埼玉)

2016-04-02 22:26:52 | 所沢だより
 2016年3月31日(木)

 天気予報以上に青空が広がったので、今日の市内ウオーキングは東川(あずまがわ)沿
いのソメイヨシノの開花状況を観察に行くことにしました。

 東川のソメイヨシノの並木は、西武新宿線の所沢駅と航空公園駅の中間のガード下付近
から、下流に向かって続いています。
      
 花は予想以上に開いていて、ほぼ見ごろになっていました。

    

        

      

 この辺りは川の左岸(西側)だけに車道があるので、車道沿いに下流(東)に向かいま
す。




 車道沿いに民家の大きなソメイヨシノも、負けじと咲き出しました。




      

    

 川沿いの、大谷石(おおやいし)積みの土蔵のある民家のシダレザクラも咲き出してい
ます。
      

 川岸にはレンギョウやコブシの花も。




    

 新東橋(しんあずまばし)の先からは、両岸に車道が走っていまずが、そのまま左岸を
進みます。
      





 左岸では、シャガも咲き出しました。






     色濃いサクラはヤマザクラ系でしょうか…
    


 この辺りからカーブがややキツくなってきました。


 左岸眼下にはシロバナタンポポが1輪だけ咲いていました。


 桜並木は続きますが、左岸の道路が左カーブして川を離れる加実橋で下流を眺め、ここ
から右岸を折り返すことにしました。


 右岸を戻り始めてすぐに、花びらの小さいサクラがほぼ満開に。




 近くには色濃いサクラも。


    

 サクラよりかなり高木のケヤキも、芽吹きが始まりました。




 新東橋まで戻ると、所沢航空記念公園に伸びる市道沿いにのシダレザクラも負けじと花
いっぱいに。




    
 この先は往路の左岸を戻り、ファルマン通りから中央通りに向かいました。




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新大塚から後楽園へ 丸ノ内線沿線を歩く(東京)②

2016-04-01 22:59:50 | 江戸・東京を歩く
 2016年3月30日(水) 《続き》

 食事を終えて春日通を少し南東に進み、徳運寺に寄る。

 2階建て堂々たる本堂はコンクリート造り。ここも小石川七福神の弁財天の寺で、境内
に夢殿風六角屋根の小さな弁財天堂が祭られていた。


 すぐ先の交差点から、東北東に緩やかに下る広い通りは播磨坂と呼ばれ、ソメイヨシノ
の並木の開花が進み「第45回文京さくらまつり」を開催中。


 桜並木は、昭和35年(1960)に「全区を花でうずめる運動」で植えられたもので、
現在は127本あるという。

 平成7年(1995)には「水と緑と彫刻のある散歩道」として整備され、好天となっ
た今日はたくさんの区民で賑わっていた。
    

 花見をしながら播磨坂を500mほど下り、都道436号・千川(せんかわ)通を横断
して新福寺前↓を過ぎる。


 突き当たりが小石川植物園、右折して南東端の入口から入園する(大人400円)。

 正式名称は「東京大学大学院理学系研究科附属植物園」で、もとは5代将軍綱吉の館林
城主時代の別邸(白山御殿)の地とか。

 貞享元年(1684)に徳川幕府が当地に設けた「小石川薬園」が始まりで、日本最古
であるばかりか、世界でも有数の歴史を持つ植物園だという。

 面積は16万1千㎡(4万8千坪)余りあり、台地、傾斜地、低地、泉水地など地形の
変化に富み、これを利用して多様な植物が配置され、国内から朝鮮、中国を含む東南アジ
アに分布する高等植物を中心に収集・栽培しているようだ。


 入口近くに、精子発見のソテツがある。裸子植物に精子が存在することを、明治29年
(1896)に当時の東大農科大学の池野威一郎助教授が発見したという。


 右に回り込み、坂を上がるとソメイヨシノの古木が見ごろ。本館の先はソメイヨシノ林
で、何れも見ごろに近く、観覧者も多い。
    

      

         
 さらに進んで、ツツジ園のミカワツツジ↑や、大きなシナミズキ↓の花などを見る。


 スズカケの古木やサルスベリの下を進むと、享保12年(1727)に中国から輸入さ
れたというサネブトナツメ(酸棗)という珍しい木もあった。


 最奥部はスギ・ヒノキ林になっていて、都心とは思えぬたたずまい。左に回り込んだ高
台からは、眼下の日本庭園やその向こうのビル群などが望まれる。


 日本庭園に向かって急坂を下り、池のそばに行く。植物園の敷地の西南端には、国重要
文化財の旧東京医学校本館が移築されているが、そばに行くことは出来ない。



 日本庭園の池から続く、台地下の幾つかの池沿いに進むと、↓オオリキュウバイや大き
なハナズオウが開花していた。
     

      
 最後の池の近くの斜面には、太郎稲荷と呼ぶ小さな稲荷神社が祭られ、近くにコブシが
花を見せる。1時間近くかけて一巡し、15時に植物園を出た。
    


 南東に進んで白山二丁目に入り、念速寺(ねんそくじ)へ。ここも本堂はコンクリート
造り、本堂前に鮮やかなボケが満開で、名の知れぬ花も咲く。
    

         

 本堂裏側の墓地には、特志解剖第1号という「美幾女(みきじよ)墓」がある。
       
 美幾女は、江戸末期の駒込追分の彦四郎の娘といわれ、病重くなり死を予期し、死後の
屍体解剖の勧めに応じた。

 明治2年(1869)8月の死後、直ちに解剖が行われ、当時の社会通念、道徳感など
からは難しい時代にこれに応じた特志解剖第1号として、わが国医学研究の進展に大きく
貢献した人という。

 南側の小石川三丁目に進む。「家康の生母、於大の方(おだいのかた)ゆかりの真珠院」
の案内板に引かれて、真珠院境内に入る。

 於大の方は三河国刈屋城主水野忠正の娘で、14歳で岡崎の松平広忠に嫁ぎ、翌年家康
が生まれたが、仲むつまじい結婚生活は3年で、政略により幼い家康を残して離婚させら
れたという。


 本堂はコンクリート円筒形の独特な造り。背後の墓所に、於大の生家、水野家の墓所が
あるというので回ったが、水野家の名を忘れ標示も無く、確認できず。これが↓そうかも
しれない。
             

 でも、第2代日本社会党委員長で、ジャーナリスト、エッセイストとしても知られた鈴
木茂三郎(1893~1970)の墓を見つけた。
         


 墓地にはシダレザクラと数本のソメイヨシノが咲き出し、小石川七福神の布袋様が立っ
ていた。


     

 南側の法蔵院も独特の本堂、2つの寺の東側一帯は、徳川家ゆかりの女性が眠る伝通院
(でんづういん)である。


 南側に回ると、新しく豪壮な山門が目に入る。山門を入った正面に大本堂が構え、その
前のソメイヨシノが花を見せ始めていた。


 山門の右手、道路際のシダレザクラは見頃になっている。


 伝通院は、慶長7年(1602)徳川家康が生母於大の方をこの地に葬り、その芳名
「伝通院殿」からされたとのこと。


 墓地には、於大↑、千姫↓をはじめとして、徳川家ゆかりの女性の墓が多い。
    やj

 また、寺は「関東十八壇林」と呼ばれる仏教徒の学問所のひとつでもあり、関東十八壇
林中でも、代々の住職が紫の衣をまとえる紫衣壇林という特別に格式の高い壇林だったと
いう。

       
 広い墓地にはほかに、明治、大正時代の教育者、評論家の杉浦重剛↑、幕末の勤王の志
士・清川八郎、大正、昭和期の詩人で小説家の佐藤春夫、アララギ派の歌人・古泉千堅、日
本画家・橋本明治、小説家・柴田錬三郎なども眠っている。

                 清川八郎墓

         
                佐藤春夫墓
 
 東に延びる善光寺坂を下る。中ほどに、文京区天然記念物のムクノキの古木が立ってい
た。樹高約13m、目通り幹囲約5m、推定樹齢約100年とか。昭和20年(1945)
5月の空襲で上部が焼けて欠損したが、「善光寺坂のムクノキ」として親しまれているよ
うだ。
       

 そばの沢蔵司(さわぞうす)稲荷神社は社殿の修理中。沢蔵司とは、伝通院で修行して
いた学僧で、わずか3年で浄土宗の奥義を極めた人とか。


 隣接する善光寺には、由緒などは記されてなかった。


 都道436号・千川通に出て少し南に、「こんにゃくえんま」で知られる源覚寺がある。

 閻魔(えんま)堂↑に安置された閻魔像は、右目が黄色く濁っているが、宝暦の頃
(1751~64)、閻魔王が目を患った老婆に己の右目を与え、老婆は感謝してこんや
くを供え続けたという言い伝えがある。

 このことから、眼病治癒の「こんにゃくえんま」として庶民の信仰を集めたとか。正面
の焔魔堂には、たくさんのコンニャクが供えられていた。
    

 焔魔堂の右手には、塩地蔵尊を祭った地蔵堂がある。開創の寛永元年(1624)以前
からこの地にあり、地蔵尊の身体に清めの塩を盛ってお参りし、参詣者の身体健康を祈願
する信仰を集めているという。
       

 さらに右手には、「汎太平洋の鐘」と呼ぶ、サイパン島や米国テキサス州などを巡って
戻ってきたらしい数奇な巡り会いを経た、元禄3年(1690)鋳造の鐘が鐘楼に吊され
ていた。

     
 正面にそびえる文京シビックセンターに向かって進み、16時36分に東京メトロ丸ノ
内線・南北線の後楽園駅に着いた。


(天気 晴、距離 10㎞、地図 「文の京観光ガイド 文京」地図(約1万800分の
 1・文京区観光協会発行)、歩行地 文京区、歩数 24,700)




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新大塚から後楽園へ 丸ノ内線周辺を歩く(東京)①

2016-04-01 16:31:36 | 江戸・東京を歩く
 2016年3月30日(水)

 東京の桜の開花もかなり進んだとようなので、早めの花見を兼ねて文京区南西部の寺社
や公園などを巡ることにした。

 池袋駅から東京メトロ丸ノ内線に乗り、次の新大塚駅で下りて10時20分にスタート
する。

 駅の南側から大塚四丁目の細道を南下して、まずは都営豊島岡墓地の東側崖(がけ)下
にある狭い境内の吹上稲荷神社へ。

 元和8年(1622)、徳川秀忠が日光山から江戸城中吹上(ふきあげ)御殿に勧請
(かんじよう)したのが初めで、のち小石川四丁目や護国寺などを経て、明治45年
(1912)に現在地に遷座したという。

 豊島岡墓地の崖下沿いに進み、護国寺へ惣門から入る。惣門は元禄年間(1688~
1704)のもので、江戸時代武家屋敷門の5万石以上の大名クラス相当の格式ある造り
という。


 護国寺は、天和元年(1681)、5代将軍綱吉が生母桂昌院の願いで創建した祈願寺
だったが、後に将軍家の祈願寺となったとか。

 正面の観音堂(本堂)は元禄10年(1697)の建立、元禄時代の建築工芸の粋を結
集したといわれ、1938年に近江から移築された桃山時代の書院造りの月光殿↓ととも
に、国の重要文化財である。



                   大師堂


 広い境内には、大師堂や多宝塔、露座の大仏、鐘楼、一言(ひとこと)地蔵尊などのほ
か、「音羽富士」と呼ぶ富士信仰のミニ富士山もある(下は登山口)。


 山ろくには、地元・音羽ゆりかご会の創始者、海沼実(かいぬまみのる)作詞作曲「か
らすの赤ちゃん」の歌碑や、民謡碑などが立っていた。
    

      
 境内のシダレザクラがかなり開花し、多宝塔近くのソメイヨシノも3分咲きくらいか。
境内を一巡して、正面の正門から寺を出た。

 門前の広い道路、都道437号・不忍通を西進して首都高速5号線の下を抜ける。目白
台三丁目の細道を南下して都道8号・目白通に出た。


 南側の旧細川侯爵邸内の広い敷地↑にある、「和敬塾」と呼ぶ海外からの留学生を含め
た学生寮の西側、幽霊坂を下る。

 下りきった神田川左岸沿いの一角は新江戸川公園。一帯は、和敬塾から続く肥後熊本藩
細川家の屋敷跡を、都立公園として開園後、文京区に移管されたもので、池泉式回遊庭園
となっている。


 入口を入ると「松聲閣(しようせいかく)」↑と呼ぶ建物がある。細川家下屋敷の学問
所として使用されたもので、集会室や喫茶サービスなどに利用され、観覧もできるが入館
は省略して、池泉式回遊庭園を一巡する。





 池の周辺に咲き出したソメイヨシノや、ボケ、シャガ、淡い新芽を見せるモミジなどを
眺めながら、池の北側斜面を東端まで進み、神田川寄りの南側を戻った。




 神田川左岸沿いにはソメイヨシノの並木が続き、かなり見頃になっていて、団体や個人
などたくさんの花見客が巡っている。


 新江戸川公園の東側斜面には、狭い境内に水神社が祭られている。水神社の創建年代は
不明のようだが、徳川家康の命で開いた神田上水の守護神として、上水の恩恵にあずかる
神田、日本橋の人達の参詣が多かったとか。
     
 簡素な社殿の前に立つ、ご神木の2本の大イチョウが歴史を示している。
        


 ソメイヨシノの並木が続く左岸沿いに進むと、関口芭蕉庵と椿山荘(ちんざんそう)が
続いている。


 関口芭蕉庵は、俳人松尾芭蕉が延宝5年(1677)から3年間神田川の改修工事に参
加した際に住んだ、「竜隠庵」と呼ばれた水番屋の場所とか。入園無料のようだが入らず
に通過した。


 長く続く土塀の建物の中は、椿山荘(ちんざんそう)で知られるホテル椿山荘東京庭園
で、桜も約20種120本あるようだが、ここも入園は省く。


 その先、桜並木の続く神田川沿いは江戸川公園で、東屋(あずまや)などもあり花見客
も更に増える。
    

     

         

 この辺りは、「大洗堰(おおあらいぜき)」と呼ぶ神田上水の堰があったところ。その
由来碑があるが、文字は判読しがたい。

 公園の東端の江戸川橋まで進み、北から合流した都道435号・音羽通りを横断して小
日向(こびなた)二丁目へ。300m余り東進し、北への服部坂を少しで、小日向神社が
あった。

 創建は天慶3年(940)という古社で、明治2年(1869)に当地に遷座されたと
いう。境内には、周辺幾つもの町内の御輿蔵(みこしぐら)らしい建物があった。


 さらに上がると、3階建集合住宅の敷地に「新渡戸稲造(にとべいなぞう)旧居跡」の
説明板が立つ。

 新渡戸稲造は、南部藩士の子として文久2年(1862)盛岡に生まれ、札幌農学校で
内村鑑三らと学び、東京帝大卒業後、アメリカやドイツに留学し、農業経済学や農学統計
などを学んだ。

 若い時から「太平洋の橋」になりたいと考え、わが国の思想や文化を西洋に、西洋のそ
れをわが国に紹介することに努め、大正9年(1920)には国際連盟事務局次長になり、
「連盟の良心」といわれたという。

 この地は、明治37年(1904)から、亡くなる昭和8年(1933)まで住んだと
か。傍らのクスノキの古木は、新渡戸も眺めたのではなかろうか。


 さらに進んで、小日向四丁目のY字路際から深光寺(じんこうじ)に上がる。本堂はコ
ンクリート造り。小石川七福神の恵比寿神の寺で、本堂前に石造の恵比寿様が座る。
       

 本堂左手前の木の下には、江戸後期の戯作者で「南総里見八犬伝」や「椿説弓張月」な
どの作品を残した滝沢馬琴(たきざわばきん)の墓があった。
           

 茗荷谷(みょうがだに)駅から地上に出たばかりの東京メトロ丸ノ内線のガード下を北
に抜けて釈迦坂を上がる。


 駅のそばの跨線橋を渡ってすぐ先の林泉寺に行くが、本堂は改修中で建物は無い。

 願かけにお地蔵様に縄をかけ、願いが叶ったら縄をほどくという「しばられ地蔵」を、
見ることはできなかった。

 13時を過ぎたので、茗荷谷駅に近い国道254号・春日通の食堂で昼食を済ます。
                                    (続く)




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