あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

江戸東京七福神めぐりで荏原七福神へ

2015-01-03 13:15:49 | 七福神めぐり
 2015年1月2日(金)

 東京都ウオーキング協会が毎年1月2日に7つのコースで開催している「江戸東京七福
神めぐり」、今年の第13回は、初めての荏原七福神に参加した。

 ちなみに荏原七福神は、平成3年(1991)に生まれたという新しい七福神である。


 集合は、JR京浜東北線や東急大井町線などの大井町駅から南西に7分ほどの大井中央
公園。JR大井町駅へは、池袋からりんかい線直通の埼京線で21分、わが家の最寄り駅、
西所沢からも59分で着いた。


 晴れていた空が、スタートした9時45分にはすっかり曇り、うすら寒い。

 大井一丁目のマンションなどのビル群の間を北進すると、東急大井町線の南側、立会
(たちあい)道路に面した狭い敷地に、福禄寿の大井蔵王権現神社がある。

 江戸時代、江戸の町に火事や疫病がはやったとき、この地域は大井村の権現神社の天狗
のお陰で、無事だったとか。


 ケヤキ並木の続く立会道路を南西へ500mほど進み、北へ少し入った「大盛湯」↑と
いう銭湯の先が、毘沙門天の東光寺である。

 開山は天文13年(1534)とのこと。当時この辺りは、平塚村大字下蛇窪と称した
という。毘沙門天は本堂に祭られているようだが、混雑していて確認できない。


 本堂前のカシの木の根元に、石仏などが並んでいた。



 さらに立会道路を東海道新幹線の高架下まで進み、JR横須賀線の西大井駅前を通過す
る。

 新幹線と横須賀線の高架を抜けた先に、うっそうとした木々に囲まれた伊藤博文の墓地
があるが、門が閉じていて参拝は出来ない。


 少しの間、新幹線と横須賀線の線路沿いに進み、線路が右カーブした辺りで線路から離
れる。間もなくの西大井五丁目に、広大な敷地を持つ布袋尊の如来寺がある。

 植栽の多い境内、斜面を上がる途中に新しい布袋尊があった。
 


 緩やかに上がった正面の大きなお堂、瑞應殿には、品川区有形文化財で「大井の大仏」
と呼び、像高3mある5体の木造五智(ごち)如来座像が祭られている。

 五智如来像は木喰但唱(もくじきたんしよう)が弟子とともに信濃国で建立し、寛永13
年(1636)に江戸高輪に如来寺を建てて安置し、明治30年代(1897~)に大井
村(現在地)に移ったとか。

 正面の宝生(ほうしよう)如来像の前に、小さな布袋尊が鎮座していた。
    

 折り返すように北西に向かう。伊藤小の前を通過し、朋優学園の先にあった「はらっぱ
公園」で、トイレ休憩となる。


 三間道路に出て北に少し入った双葉四丁目に、弁財天の上神明天祖神社がある。大正初
期に建立された大鳥居は、昭和20年(1945)の空襲で境内の建物や樹木などが焼け
た中で、ただ一つ戦火を免れたとか。


 天保年間の1644年頃には上、下神明神社に分かれていたとの史実に基づき、平成15
年(2003)には、鎮座360年奉祝大祭が行われたという。


 七福神のお堂は本殿右にあり、この弁天社には白蛇伝説の由来があるとのこと。境内に
は、中華そばなどの露店が出ていた。


 三間道路に戻って西進し、荏原町商店街に入って源氏前小前を通過する。



 いったん三間道路を離れて東急大井町線の荏原町駅↑横の踏切を渡ると、大きな本堂が
目に付く恵比寿神の宝蓮寺である。


 開山は蒙古襲来の頃の文永年間(1264~75)と伝えられ、八幡太郎の子孫という
この地の豪族荏原氏の館に創建されたといわれているらしい。

 徳川十一代将軍家斉(いえなり)が鷹狩りの途中に現在の旗岡八幡宮に立ち寄り、別当
寺だったこの寺の芝庭で、当時の住職、日詮上人(にっせんしょうにん)と相撲を取った
という伝承があるという。

 
 恵比寿様は、道路際の小さい社に祭られていた。


 三間道路に戻って荏原町商店街を更に西進する。旗の台四丁目商店街を抜けて、東急大
井町線と池上線の旗の台駅横を通過した。

 都道2号・中原街道を少しで、昭和大病院横から桜並木の続く通りを北に進む。第二延
山小横を過ぎてから西に向かうと、荏原七丁目にある寿老人の摩耶寺に着く。


 木々の多い境内、正面のコンクリート造りの本堂に、延命長寿の寿老人が祭られていた。


 開山は寛文年間(1661~73)で、本堂の左手には釈迦の生母・摩耶夫人立像を祭
る摩耶堂があり、精巧な摩耶夫人立像は。延宝6年(1678)の製作で、品川区有形文
化財という。

 境内のテントではお神酒と甘酒が振る舞われていたので、熱々の甘酒をいただいた。


 最後の七福神、大国天の小山八幡神社は、すぐ先の小高い斜面上にあった。創立年代は
不詳のようだが、鎌倉幕府の頃と社伝にはあるとか。口伝では、長元3年(1030)に
は旧小山村の氏神として崇敬されたという。


 品川区内随一の標高35mの高台にあり、境内からは区内のビル群などの展望がよい。


 大黒天は、社殿左手奥の社に祭られているというが、扉が閉ざされていて見られない。


 西小山桜通りを進み、東急目黒線西小山(にしこやま)駅前に11時55分にゴールす
る。今日の参加者は44人と発表された。東急目黒線はこの辺りは地下化されていた。


 曇っていた空も、後半には晴天となった。初めて乗る東急目黒線で目黒に出て、JR山
手線で池袋に向かう。

(天気 曇後晴、距離 認定10㎞、実測8㎞、地図(1/2.5万) 東京西南部、
 歩行地 品川区 歩数 11,400)




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2015年元旦の表情(埼玉・所沢)

2015-01-01 14:31:58 | 所沢だより
 2015年1月1日(木)

 皆さま、よい新年をお迎えでしょうか。昨年はたくさんの方にご覧いただき、ありがと
うございました。今年もご訪問をお待ちしております。

 元旦の今日、朝起きたときには青空が広がっていたのに、11時頃にはすっかり厚い雲
に覆われ、時々雪がちらつくうす寒い日和になりました。

 いただいた年賀状の中に、出してなかった方からのものがあったので、さっそく賀状を
したため、ウオーキングを兼ねて正午近く、所沢郵便局まで投函に出かけました。

 南側の所沢航空記念公園に回ると、航空発祥記念館前の広場で連だこを揚げているこど
もさんが。ほかにも2、3、たこ揚げをしている家族が見られました。


 公園の南側の国道463号を西進して、所沢の総鎮守である所沢神明社に東側の鳥居か
ら入ります。



 県内でもベストテンに入る新年参拝者の多い神社だけあり、初もうでの人の列が長く伸
びていました。




 ご祈祷の受付や、お守りを頒布している場所も賑わっています。


 
    

 拝殿の左手では、所沢市内で造られたりっぱな飾り物を販売中。


 参拝者の列は、中段から南の大鳥居下まで伸びています。






 境内のあちこちに出ている露店群。




 大鳥居からさらに東側、旧市役所の建物付近まで参拝者の列が続き、最後列に並ぶと参
拝までには1時間ぐらいかかりそうなので、改めて参ることにしました。

 その列の前で、所沢の郷土芸能、重松流(じゅうまりゅう)のお囃子を演奏しています。
    

    

 西側の市道に出て、旧鎌倉街道上道(かみつみち)沿いにある、近くの新光寺へ。


 武蔵野三十三観音霊場の第10番札所です。


 こちらが観音堂。境内に参拝者は見えず静まりかえっていました。


 寒々とした境内ですが、山門のそばのモクレンの花芽はかなりふくらみ、春の到来を待
っているよう。
    


 自宅の近くまで戻り、わが町内の鎮守、六所神社に初もうでしました。


 参道の中ほど、児童遊園地になっている広場周辺のイチョウやソメイヨシノもいまは枯
れ枝ですが、4月になれば花や若葉に覆われることでしょう。
     

 近くのMさんのお宅ではロウバイが咲き出していて、春のさきがけを告げています。
    

 今年こそ、平和で災害のない、みのり多い年となりますように…。




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コメント (2)
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