あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

第10次中山道ウオーク③(太田~細久手)〈続き〉

2009-04-23 18:07:51 | 中山道を歩く
 2009年4月3日(金)
 =太田宿から細久手宿まで〈続き〉= 

 キリシタン遺跡での昼食を終え、出発する。

 少し先に、旅人の休憩所だった十本木立場の説明板があり、さらに
進むと小屋の下に、「一呑(ひとのみ)の清水」と呼ぶ湧水が湧き出て
いた。

 皇女和宮が賞味して大変気に入り、岐阜県名水50選にも選定され
ているという。


 竹炭工房(上の写真)もある、のどかな謡坂集落を抜けたところには、
小さな湧水の「唄清水」が残り、かたわらにショウジョウバカマが咲い
ていた。


 さらに謡坂を上がり、ラ・プロヴァンスと呼ぶフランス料理店の横を進
み、御殿場と呼ぶ峠に出た。和宮一行が休憩する御殿が造られたとこ
ろから名付けられたらしい。展望台も設けられていた。

 峠を少し下ったところに、小さな観音像が立つていた。和宮が降嫁する
のを、静かに見守っていたのだろうか…。


 近くには「馬の水呑場」の説明板もあり、このあたりが険しい道中で
あったことがしのばれる。近くの斜面に大きなショウジョウバカマが花
を見せていた。


 津橋の集落に下り、農作業中の人に聞き、近くにあるカタクリの栽培
地を訪ねる。午前中通過した御嵩町内で、弁当販売の露店を準備中の
人から、ぜひ訪ねるよう誘われていたところである。

 誘ってくれた、持ち主のYさんが戻っていて、案内して下さる。

 山の斜面を切り開いて個人で育てた「地蔵洞園」と呼ぶ山野草園で、
祖母の土地だったが荒れたままだった山林を30年前から一人で整備
したという。当時、マムシを60数匹も捕まえたとのこと。


 急斜面を少し上がったところに、ちょうど見ごろなカタクリが、たくさん
咲いていた。




 京都の北山杉も300本育てており、ほかにクリスマスローズやイカ
リソウ、下の湿地にはミズバショウも花を見せていた。


 さらにこれから、クリンソウ、シラネアオイ、ヒメコウボネ、ササユリなど
が咲くという。10年来の中山道ウオークでも初めての、貴重な訪問先
だった。

 Yさんにいろいろ説明をしてもらい、ゆっくり拝見したので、津橋交差
点でザックの番をしていたMママさんには、1時間近くもお待たせしてし
まった。(家の密集しているところが津幡交差点)


 その先も上り坂だが、ウグイスが鳴き、落ち葉がたっぷりの気持ちよ
い道。


 鴨ノ巣一里塚は、両側に当時をしのばせる塚が、よく残されていた。
好天なら鈴鹿、伊吹、北アルプスなどが一望できるというが、今日は
見えない。

 さらに幅広い山道が続き、秋葉坂三尊石窟へ。3体の石仏が石積み
の中に並ぶ。明和5年(1768)銘の馬頭観音などである。


 西の坂から平岩集落に下った。交差点際に食料品や日用品などを販
売する商店があり、ここで「やくタイム」にするという。

 アイスクリームを買い、焼酎をかけて食べることを言うらしい。アップダ
ウンして汗をかいた後だけに、アルコール漬けのアイスはおいしかった。

 さらにウグイスの鳴く車道を緩やかに上がると細久手(ほそくて)宿。
築後150年、尾張藩の本陣であったおなじみの宿、大黒屋に16時35
分に着いた。

 毎年、定宿(じようやど)にしており、細久手宿でただ1軒、当時の面影
を残す建物である。

 地元の特産品を並べた夕食をおいしくいただき、食後は、食べ物談義
などで話がはずんだ。


【コースタイム】美濃加茂・元禄荘8・00ー太田橋南詰8・30ー中恵土
 交差点9・05ー上恵土神社9・20~35ー伏見本陣跡9・54ー比衣一里
 塚跡10・12ー鬼首塚10・35~37ー願興寺10・50~11・10ーKマート
 11・40~55ーキリシタン遺跡(昼食)12・33~13・20ー唄清水13・40
 ー津幡交差点(カタクリの里往復)14・05~55ー鴨ノ巣一里塚15・32
 ~36ー平岩15・57~16・15ー細久手宿・大黒屋16・35

(天気 快晴後晴、距離 24㎞、地図(1/2.5万) 美濃加茂、御嵩、
 土岐、瑞浪、武並、歩行地 美濃加茂市、可児市、御嵩町、瑞浪市、
 歩数 41,100)

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