2009年4月4日(土)
=細久手宿から大井宿まで=
![](http://clip.alpslab.jp/bin/map?pos=35/26/40.299,137/19/39.522&scale=1000000)
朝から曇り空で、午後は雨の予報である。今日は、車で来て参加の
Tパパさん、ママさんの車に、不要品は預けて軽装で歩ける。
85歳になる大おかみに見送られ、7時55五分に細久手宿でただ
一つの宿、大黒屋を出発した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/bd/52081bc17327009f63878c141d416b59.jpg)
細久手の標高は、約420mである。
車の少ない車道を東に向かう。わずかな家並みを抜けて1㎞足らず
で、奥ノ田一里塚。目印の木はないが、塚はほぼ完全にもとの姿を
とどめていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/f8/220e0486818926aabae4ce115ff7e3ce.jpg)
緩やかにカーブし、ウグイスの鳴く車道を進む。まだ両側の広葉樹
は芽吹き前で寒々としている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/fe/4514e72cb821ce73f262731c6998139b.jpg)
ソメイヨシノが咲き出し、ジュンサイが自生する池がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/22/44f628dea47bd8dbcf4e1f426ab17ca6.jpg)
太田南畝(おおたなんぽ)(蜀山人(しよくさんじん))が享和2年(1802)
に記した「壬戌(じんじゆつ)紀行」にもある弁天池で、中の島には小さ
い弁天様が祭られていた。
さらに進むと、「天神辻の地蔵尊」と呼ぶ、古い地蔵さんが立つ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/7b/e2ff0ecb3b1cc4d359b1b683e8501115.jpg)
八瀬沢のわずかな集落を過ぎ、車道を離れるところに、琵琶峠西上
り口の石碑がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/fd/b77dee04564c233f6fed259dbf8bca5d.jpg)
峠に向かっての上り道には、日本一長いとされる古い石畳が復元さ
れていた。
間もなく八瀬沢一里塚。両側の塚とも木がないが、ここもよくその姿
を復元している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/e5/1c3d9e5d146d4a188003317bf4030ede.jpg)
琵琶峠の頂上は、美濃16宿で一番高い峠で、標高は558m。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/81/2e928650520c4fe84548ceb822733e89.jpg)
針葉樹に囲まれ展望は利かないが、宝暦13年(1763)銘の石仏
と、皇女和宮の歌碑がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/f7/b38c0da81dbcffe5664a09b0b35b9607.jpg)
峠を下って車道に出たところに休憩所とトイレが設けられていた。
間もなく、左手山腹に大岩が二つある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/44/ff15c894d4a7db5005b2691e812f0ed7.jpg)
烏帽子岩と母衣石で、「二つ岩」と呼び、前記、太田南畝の壬戌紀行
にも記されているようだ。
次の大湫(おおくて)宿の入口には、りっぱな高札場が復元されていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/f8/84f9d682d6d6d4eae0595c8c18a9c34a.jpg)
大湫宿は海抜510m、美濃16宿で最も高地の宿場である。
通りの横の石段を上がり、美濃瑞浪三十三霊場の一つ、観音堂へ。
お堂に覆い被さるように、樹齢約300年というシダレザクラがあるが、
花はまだ少ししか開花していないのが残念。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/4a/6a85cf9e7965d9ee1bfdf5148b11c1ce.jpg)
観音堂の軒下は、精巧な木組みで出来ていた。
すぐ先の斜面には、大杉の目立つ神社がある。大湫神明神社で、
ご神木の大杉は、幹回り10m、樹高60m、樹齢約1300年の巨木
で、県の天然記念物である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/cc/dd27917e70820bc37c9d61f58590a403.jpg)
近くの小学校の校庭が大湫宿の本陣跡で、皇女和宮もここで一夜を
過ごされたとか。校庭の隅に、和宮の歌碑が立っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/bd/a08f743697ef9951efb95f9268a77d61.jpg)
その下には、3人のお姫様をかたどった人形が並んでいる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/4d/48e5f520edf88e32d2f2fbca3d097cfd.jpg)
道路際の休憩所に五平餅の販売所があるが、閉まっていた。その代
わり、Tパパ、ママさん差し入れの麩(ふ)まんじゅうをいただく。(続く)
=細久手宿から大井宿まで=
朝から曇り空で、午後は雨の予報である。今日は、車で来て参加の
Tパパさん、ママさんの車に、不要品は預けて軽装で歩ける。
85歳になる大おかみに見送られ、7時55五分に細久手宿でただ
一つの宿、大黒屋を出発した。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/bd/52081bc17327009f63878c141d416b59.jpg)
細久手の標高は、約420mである。
車の少ない車道を東に向かう。わずかな家並みを抜けて1㎞足らず
で、奥ノ田一里塚。目印の木はないが、塚はほぼ完全にもとの姿を
とどめていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/f8/220e0486818926aabae4ce115ff7e3ce.jpg)
緩やかにカーブし、ウグイスの鳴く車道を進む。まだ両側の広葉樹
は芽吹き前で寒々としている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/fe/4514e72cb821ce73f262731c6998139b.jpg)
ソメイヨシノが咲き出し、ジュンサイが自生する池がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/22/44f628dea47bd8dbcf4e1f426ab17ca6.jpg)
太田南畝(おおたなんぽ)(蜀山人(しよくさんじん))が享和2年(1802)
に記した「壬戌(じんじゆつ)紀行」にもある弁天池で、中の島には小さ
い弁天様が祭られていた。
さらに進むと、「天神辻の地蔵尊」と呼ぶ、古い地蔵さんが立つ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/7b/e2ff0ecb3b1cc4d359b1b683e8501115.jpg)
八瀬沢のわずかな集落を過ぎ、車道を離れるところに、琵琶峠西上
り口の石碑がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/fd/b77dee04564c233f6fed259dbf8bca5d.jpg)
峠に向かっての上り道には、日本一長いとされる古い石畳が復元さ
れていた。
間もなく八瀬沢一里塚。両側の塚とも木がないが、ここもよくその姿
を復元している。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/e5/1c3d9e5d146d4a188003317bf4030ede.jpg)
琵琶峠の頂上は、美濃16宿で一番高い峠で、標高は558m。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/81/2e928650520c4fe84548ceb822733e89.jpg)
針葉樹に囲まれ展望は利かないが、宝暦13年(1763)銘の石仏
と、皇女和宮の歌碑がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2e/f7/b38c0da81dbcffe5664a09b0b35b9607.jpg)
峠を下って車道に出たところに休憩所とトイレが設けられていた。
間もなく、左手山腹に大岩が二つある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/44/ff15c894d4a7db5005b2691e812f0ed7.jpg)
烏帽子岩と母衣石で、「二つ岩」と呼び、前記、太田南畝の壬戌紀行
にも記されているようだ。
次の大湫(おおくて)宿の入口には、りっぱな高札場が復元されていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/f8/84f9d682d6d6d4eae0595c8c18a9c34a.jpg)
大湫宿は海抜510m、美濃16宿で最も高地の宿場である。
通りの横の石段を上がり、美濃瑞浪三十三霊場の一つ、観音堂へ。
お堂に覆い被さるように、樹齢約300年というシダレザクラがあるが、
花はまだ少ししか開花していないのが残念。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/4a/6a85cf9e7965d9ee1bfdf5148b11c1ce.jpg)
観音堂の軒下は、精巧な木組みで出来ていた。
すぐ先の斜面には、大杉の目立つ神社がある。大湫神明神社で、
ご神木の大杉は、幹回り10m、樹高60m、樹齢約1300年の巨木
で、県の天然記念物である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/cc/dd27917e70820bc37c9d61f58590a403.jpg)
近くの小学校の校庭が大湫宿の本陣跡で、皇女和宮もここで一夜を
過ごされたとか。校庭の隅に、和宮の歌碑が立っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7e/bd/a08f743697ef9951efb95f9268a77d61.jpg)
その下には、3人のお姫様をかたどった人形が並んでいる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/4d/48e5f520edf88e32d2f2fbca3d097cfd.jpg)
道路際の休憩所に五平餅の販売所があるが、閉まっていた。その代
わり、Tパパ、ママさん差し入れの麩(ふ)まんじゅうをいただく。(続く)
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