あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

第10次中山道ウオーク④(細久手~大井)

2009-04-24 22:51:41 | 中山道を歩く
 2009年4月4日(土)
 =細久手宿から大井宿まで=


 
 朝から曇り空で、午後は雨の予報である。今日は、車で来て参加の
Tパパさん、ママさんの車に、不要品は預けて軽装で歩ける。

 85歳になる大おかみに見送られ、7時55五分に細久手宿でただ
一つの宿、大黒屋を出発した。

 細久手の標高は、約420mである。

 車の少ない車道を東に向かう。わずかな家並みを抜けて1㎞足らず
で、奥ノ田一里塚。目印の木はないが、塚はほぼ完全にもとの姿を
とどめていた。


 緩やかにカーブし、ウグイスの鳴く車道を進む。まだ両側の広葉樹
は芽吹き前で寒々としている。


 ソメイヨシノが咲き出し、ジュンサイが自生する池がある。

 太田南畝(おおたなんぽ)(蜀山人(しよくさんじん))が享和2年(1802)
に記した「壬戌(じんじゆつ)紀行」にもある弁天池で、中の島には小さ
い弁天様が祭られていた。

 さらに進むと、「天神辻の地蔵尊」と呼ぶ、古い地蔵さんが立つ。


 八瀬沢のわずかな集落を過ぎ、車道を離れるところに、琵琶峠西上
り口の石碑がある。

 峠に向かっての上り道には、日本一長いとされる古い石畳が復元さ
れていた。

 間もなく八瀬沢一里塚。両側の塚とも木がないが、ここもよくその姿
を復元している。


 琵琶峠の頂上は、美濃16宿で一番高い峠で、標高は558m。

 針葉樹に囲まれ展望は利かないが、宝暦13年(1763)銘の石仏
と、皇女和宮の歌碑がある。


 峠を下って車道に出たところに休憩所とトイレが設けられていた。
間もなく、左手山腹に大岩が二つある。

 烏帽子岩と母衣石で、「二つ岩」と呼び、前記、太田南畝の壬戌紀行
にも記されているようだ。

 次の大湫(おおくて)宿の入口には、りっぱな高札場が復元されていた。

 大湫宿は海抜510m、美濃16宿で最も高地の宿場である。

 通りの横の石段を上がり、美濃瑞浪三十三霊場の一つ、観音堂へ。
お堂に覆い被さるように、樹齢約300年というシダレザクラがあるが、
花はまだ少ししか開花していないのが残念。

 観音堂の軒下は、精巧な木組みで出来ていた。

 すぐ先の斜面には、大杉の目立つ神社がある。大湫神明神社で、
ご神木の大杉は、幹回り10m、樹高60m、樹齢約1300年の巨木
で、県の天然記念物である。


 近くの小学校の校庭が大湫宿の本陣跡で、皇女和宮もここで一夜を
過ごされたとか。校庭の隅に、和宮の歌碑が立っていた。


 その下には、3人のお姫様をかたどった人形が並んでいる。


 道路際の休憩所に五平餅の販売所があるが、閉まっていた。その代
わり、Tパパ、ママさん差し入れの麩(ふ)まんじゅうをいただく。(続く)


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