あるきメデス

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第10次中山道ウオーク③(太田~細久手)

2009-04-22 18:31:57 | 中山道を歩く
 2009年4月3日(金)
 =太田宿から細久手宿まで=


 
 朝はかなり冷えこんだが快晴。8時ちょうどに、美濃加茂市の旅館、
元禄荘をスタートして。

 市街地の東に出て、木曽川の太田橋を渡る。従来は車と同じ橋で
歩道もなかったが、歩道専用橋が出来たので、安心して渡れる。


 上流に、今渡ダムの堰堤(えんてい)が見える。橋の南詰めには、新
しい「今渡の渡し場跡」を記した石碑が出来ていた。

 今渡の家並みを抜け、JR太多線の踏切を過ぎ、上恵土神社で最初
の休憩。

 五分咲くらいのソメイヨシノの下で、女性グループがゲートボールを
楽しんでいた。

 間もなく伏見宿。古い家並みも少し残り、伏見交差点際には、伏見
宿一本松公園があり、一本松のそばに休憩施設が設けられていた。



 りっぱな石碑の立つ伏見宿本陣跡を過ぎ、1㎞余り先で比衣一里塚
跡を通過する。

 次の宿、御嶽(みたけ)宿の入口付近に、鬼首塚というのがあり、小さ
いお堂に「関ノ太郎首塚」と刻まれた自然石の碑が立つ。

 鎌倉時代の建久、正治のころ(1190~1200)、乱暴狼藉を極めた
男を捕らえて首を切ったが、検分のため都へ運ぼうとした首おけが重
くて進めず、この地に埋めたのだという。

 そばに子規の歌碑も立っていた。

 御嵩(みたけ)の町並みの中ほどにある大きな本堂の願興寺(がんこう
じ)で休憩する。一条天皇の勅願所で、屋根瓦には菊のご紋が並ぶ。

 伝教大師の開創で、可児(かに)薬師とも呼ばれており、参詣者も多
そう。 本堂を背にした、今日のメンバー。


 境内のソメイヨシノが見ごろになっていて、山門前には、5日(日)の
薬師祭りに使われるらしい大きな山車の骨組みが出来ていた。境内に
は、シラカシの古木もある。

 そばに、新しい「中山道みたけ館」もあるが、休憩直後なので通過
する。

 
 本陣跡周辺には、宿場の名残の古い建物が幾つか見られた。


 南側の林に、大きなヤマザクラが2本花を競って咲く。少し先には、
平安中期の女流歌人、和泉式部の墓があった。


 近くの井尻から、国道を離れて静かな里道に入る。

 このあたりは、東海自然歩道にもなっている。山すそのウグイスの
声を聞きながら田園を抜け、牛の鼻欠け坂と呼ぶちょっとした急坂へ。
牛の鼻がすれてかけるほどの急な上りというところである。

 坂を上がり、再び車道に出ると、左手斜面の林の中に耳神社があり、
割竹がたくさん奉納されている。全国でも珍しい耳の病気にご利益が
あるという神社。耳の病気が全快したら、その人の歳の数だけ竹でま
ねた錐(きり)を、すだれのようにして供えたのだという。

 次の謡坂(うとうざか)にかかると、1997年から4年かけて修復整備
した石畳が残っている。


 その途中から、標識に従い左手に入って少し回り、マリア像のある
キリシタン遺跡に行き、昼食にする。

 この地で、昭和56(1981)、道路工事中に十字架を彫った自然石
が見つかり、江戸幕府の過酷な弾圧の中で、発覚もせずにある期間、
信仰が続けられていた貴重なキリシタン遺跡であることがわかったと
いう。

 「平和の像」と呼ぶマリア像のそばには、小さい休憩所や子規の句
碑などもあった。


 周辺は、昔と変わらぬ静かなたたずまいを見せている。  〈続く〉



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