あるきメデス

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西武鉄道池袋線が開業100周年に

2015-04-14 18:58:24 | Weblog
 2015年4月14日(火)

 西武鉄道池袋線は、あす4月15日(水)で開業100周年になります。

 西武鉄道の前身である武蔵野鉄道は明治45年(1912)に設立され、100年前の
大正4年(1915)4月15日に池袋~飯能(はんのう)駅間で営業を開始しました。

 10年後の大正14年(1925)12月には、池袋~飯能駅間の全線電化が完了し、
昭和38年(1963)11月には池袋~所沢駅間で、私鉄としては初めての10両運転
を開始しました。

 昭和50年(1975)3月には、池袋から終点飯能駅に近い笠縫信号所間の複線化が
完了し、平成10年(1998)3月からは西武池袋線と当時の営団(現在の東京メトロ)
有楽町線との相互運転を開始しています。

 さらに平成13年(2001)12月には飯能駅までの複線電化が完了し、現在は、東
京メトロ副都心線経由で、東急東横線、横浜みなとみらい線との相互直通運転も行ってい
ます。

 開業100周年を記念して、4月12日からは記念乗車券が発売されました。

 これは、池袋、所沢、飯能の3駅のみで限定発売しているもので、4枚の硬券がセット
で1,000円のものの表紙です。
      

 2つ折りを開くと、左側がこちら。開業当時設けられた12駅の説明になっています。
   

 右側には、開業時の路線図と武蔵野鉄道の年表、そして池袋、東長崎、西所沢、仏子
(ぶし)の4駅からの硬券が挟まれています。
           

 右側の、開業当時の路線図を切り出したものと、現在の路線を以下に比べてみました。

 開業当時の駅は、右から左へ池袋、東長崎、練馬、石神井公園(開業時は石神井・し
ゃくじい)、保谷(ほうや)、東久留米、所沢、西所沢(開業時は小手指・こてさし)、
狭山ヶ丘(開業時は元狭山・もとさやま)、入間市(開業時は豊岡町)、仏子(ぶし)、
飯能の12駅です。

 下が現在の池袋線のうちの、池袋~飯能駅間の路線図部分。

 開業当時に比べ、池袋側からいうと椎名町、江古田(えこだ)、桜台、中村橋、富士見
台、練馬高野台、大泉学園、ひばりヶ丘、清瀬、秋津、小手指、武蔵藤沢、稲荷山公園、
元加治(もとかじ)の14駅が増えています。

 記念乗車券(硬券)はほかに、開業当時の12駅でその駅の分(150円)を個々に発
売しています。

 ちなみに私は、昭和27年(1952)から昭和42年(1967)までは練馬区に、
昭和44年(1969)から現在(2015)までは所沢市に住んでいますので、100
年の歴史の中で63年近く西武池袋線を利用しており、一番利用しているとともに、なく
てはならぬ鉄道路線です。

 思い出すと、昭和28年(1953)当時、石神井公園駅発の平日日中の上り電車は、
毎時00、15、30、45分発の1時間4本だったように記憶しています。

 編成も4両が主だったように思われ、現在の石神井公園駅発の平日日中ダイヤを見ると、
1時間に18本あり、車両も10両か8両編成ですので、隔世の感がします。

 あと何年利用できるか分かりませんが、これからも西武鉄道池袋線が私の足として、正
確で安全な運転に努めてもらいたいものです。





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2 コメント

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飯能へは何度も (saikoroat)
2018-05-17 18:38:44
私も飯能市内には何度も訪れており、天覧山や多峰主山にも上り、
宮沢湖周辺などもウオーキングで何度も歩いています。
返信する
天覧山・宮沢湖に欠かせない飯能駅 (中川浩一)
2018-05-15 23:04:17
僕が西武池袋線の「飯能駅」を知ったのは、1978年11月2日・小学校1年生の秋の遠足の時にでした。これはスイッチバックの駅であり、池袋・秩父寄りの踏切に旅客用のトイレはあったけれども、遠足による団体の者は乗客の迷惑になるため、団体の者は団体専用広場内のトイレを使用する事でした。「飯能駅」は、西へ向かうと天覧山に多峰主(とうのす)山があり、北へ向かうと宮沢湖がありました。僕から見て昔は駅の隣に「飯能・西武ボウル」があったが廃墟となり、川越よりかなり狭い「まるひろ百貨店」がありましたし、思えば、駿河台大学、聖望学園、自由の森学園なんかと、色んな学園がありました。駅前にバスの車庫「西武バス飯能支所」もありましたが、今では「西武飯能ステーションビル」や「ホテル」を建設されるため団体専用広場と共に無くなり、とてもの近代的な発展ともなりました。
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