今日は、国際ウオーキングトレイル実査、最終日のレポートです。
2006年6月8日(木)
国際ウオーキングトレイル実査 第3日 =八島湿原~霧ヶ峰~上諏訪=
5時40分起床、朝食前に、昨日通過した八島湿原の南側にある諏訪神社
と、御射山(みさやま)遺跡を見に行く。
普通は、遺跡というと石器時代とか弥生時代の遺跡などを想像する。
ところがこの遺跡は、平安時代から特に鎌倉時代を全盛として、元禄年間
まで行われた諏訪神社下社の「御射山祭御狩神事」が行われたところだと
いう。

神事は、信濃の豪族が交代でお頭をつとめ、祭事用の穂屋にこもって豊作
を祈り、同時に信濃の氏人が勝射などの技を競って諏訪神社に奉納したと
記されていた。
神社の周囲の丘には、鎌倉幕府の将軍などの桟敷跡が今も残っている
ようだ。神社周辺の湿地には、クリンソウが花を開き始めていた。

8時20分に、オーナーの高橋さんなどに見送られ、ヒュッテじゃベル
を出る。

今日は、昨日着いた畑中さんも加わり3人である。
夏期運行のバス停・沢渡のところから、「車山肩・園地方面」の道標に従い
林に入ると、カッコーが盛んに鳴いている。
少しだけ石の多い涸れ沢を通過、緩やかに高度が上がり、八島ヶ原湿原
や八子ヶ峰が見えてきた。
ベンチのある第5園地まで上がると展望が広がり、行く手に霧ヶ峰インター
チェンジ周辺の建物が望まれる。
この先は、霧ヶ峰自然研究路になっていて、インターチェンジに向かう
周遊路になっている。

レンゲツツジやササなどが広がる低木帯の自然観察を、第3園地から
第2園地へと回り込み、霧ヶ峰インターチェンジ際に出た。
周遊路は、季節になるとレンゲツツジ、ニッコウキスゲ、マツムシソウ、
リンドウなどの花が見られるようだが、レンゲツツジもまだ若葉だけで色彩
に乏しい。
インターチェンジには食事や土産を販売する店と、霧ヶ峰自然観察センター
がある。自然観察センターに入館し、霧ヶ峰の動植物や地形、歴史などの
展示と、「じっくり霧ヶ峰」というビデオも鑑賞した。
館内では、セルフサービスのお茶やコーヒーが用意されている。若い自然
公園管理員・須賀さんとも話すなど、1時間近く滞在した。
南西にある霧ヶ峰グライダー滑走路沿いに進むと、霧鐘塔がある。

美ヶ原の美しの塔と同様、霧の時に鐘を鳴らして場所を知らせるための
ものらしい。塔内に平林たい子の「霧の鐘」という詩が刻まれていた。
すぐ先には、地元・諏訪市角間新田出身の気象学者で元中央気象台長・
藤原咲平の碑が石垣の中に納まっていた。

藤原咲平は、霧ヶ峰のグライダー研究会の創設者でもあるという。
北側の体育館のような建物は、諏訪市のグライダーふれあい館。管内
には、数基のグライダーや、曳航(えいこう)用の小型トラックなどが展示
されていた。
館の横からマレットゴルフ場沿いに南西へ。グライダー滑走路の南西端
近くに進む。長塚節の歌碑と鳥居があり、鳥居をくぐって薙鎌神社に向かう。
神社といっても、社殿は高さ3m足らずの石灯ろうのような造り。石をくり
ぬいた中に古い鎌が幾つか奉納されていた。

神社の先から、「池のくるみ」と呼ぶ湿原の西端に出る予定で下りて
いったが、道がはっきりしなくなった。カラマツ林の急傾斜を注意しながら
しばらく下ったら、等高線沿いの道に出た。
池のくるみとは反対方向に進み、左右に2回折返しながら下り、車も入る
林道に合する。林道を少し下ったら、諏訪市上水道堀込水源があった。
水源の西側の草の道は送水管が埋設してあり、歩きやすいのでそのまま
下る。草の間にマイヅルソウがたくさん咲いていた。

車道に出る手前に廃屋があり、そばの細いパイプから冷水が流れ落ちて
いる。車道の反対側には今も住んでいる1軒の民家があった。
車道を少しだけ下り、再び送水管の埋まった草の道を下る。霧ヶ峰療護園
の前で再度車道に出る。

車道を横切り、角間川の小さい流れに回ると、丸太を渡した橋があり、右岸
沿いに送水管の埋まった草の道が続いている。車道を避けてこの道を下る
ことにして、橋のそばで昼食にした。
500mほど下り、戦後のひとときスケート場として知られた湖・蓼の海に
通じる林道科(しな)の木線を横切り、さらに1㎞ほどで諏訪市清掃センター
がある。
センターの先からは、角間川左岸沿いの歩道を進み、いずみ橋でバス道路
に分かれて西側の車道に進む。
10数戸の住宅地の先で、右手斜面に上がる山道に入った。このまま進め
ば棚田の横に出て、簡易保険保養センター横に下れるはずである。
初めは細い用水路沿いのはっきりした山道だったが、右に回り込んで行く
と踏み跡が消えた。そのまま進んで、針葉樹林の中の谷間の小さな流れに
出た。
流れの先に回ったら、上から下って来た道が見つかった。
少し下った右手の平地に、「瞰湖庵」という石碑が立っていた。碑には、
中央線工事の犠牲者供養のために昭和11年(1936)に、諏訪湖を望む
この地に、建設したと記されている。建物は無く、木が茂って諏訪湖も展望
できない。

さらに下ると、正面に諏訪湖が見えてきた。1㎞余り下り、簡易保険保養
センター横に出る。
大和二丁目から旧甲州街道の住宅地を南に進み、14時27分に今回の
ゴール、JR中央線上諏訪駅に着いた。
(天気 曇り、距離 13km、地図(1/2.5万) 霧ヶ峰、南大塩、諏訪、歩行地
諏訪市)
2006年6月8日(木)
国際ウオーキングトレイル実査 第3日 =八島湿原~霧ヶ峰~上諏訪=
5時40分起床、朝食前に、昨日通過した八島湿原の南側にある諏訪神社
と、御射山(みさやま)遺跡を見に行く。
普通は、遺跡というと石器時代とか弥生時代の遺跡などを想像する。
ところがこの遺跡は、平安時代から特に鎌倉時代を全盛として、元禄年間
まで行われた諏訪神社下社の「御射山祭御狩神事」が行われたところだと
いう。

神事は、信濃の豪族が交代でお頭をつとめ、祭事用の穂屋にこもって豊作
を祈り、同時に信濃の氏人が勝射などの技を競って諏訪神社に奉納したと
記されていた。
神社の周囲の丘には、鎌倉幕府の将軍などの桟敷跡が今も残っている
ようだ。神社周辺の湿地には、クリンソウが花を開き始めていた。

8時20分に、オーナーの高橋さんなどに見送られ、ヒュッテじゃベル
を出る。

今日は、昨日着いた畑中さんも加わり3人である。
夏期運行のバス停・沢渡のところから、「車山肩・園地方面」の道標に従い
林に入ると、カッコーが盛んに鳴いている。
少しだけ石の多い涸れ沢を通過、緩やかに高度が上がり、八島ヶ原湿原
や八子ヶ峰が見えてきた。
ベンチのある第5園地まで上がると展望が広がり、行く手に霧ヶ峰インター
チェンジ周辺の建物が望まれる。
この先は、霧ヶ峰自然研究路になっていて、インターチェンジに向かう
周遊路になっている。

レンゲツツジやササなどが広がる低木帯の自然観察を、第3園地から
第2園地へと回り込み、霧ヶ峰インターチェンジ際に出た。
周遊路は、季節になるとレンゲツツジ、ニッコウキスゲ、マツムシソウ、
リンドウなどの花が見られるようだが、レンゲツツジもまだ若葉だけで色彩
に乏しい。
インターチェンジには食事や土産を販売する店と、霧ヶ峰自然観察センター
がある。自然観察センターに入館し、霧ヶ峰の動植物や地形、歴史などの
展示と、「じっくり霧ヶ峰」というビデオも鑑賞した。
館内では、セルフサービスのお茶やコーヒーが用意されている。若い自然
公園管理員・須賀さんとも話すなど、1時間近く滞在した。
南西にある霧ヶ峰グライダー滑走路沿いに進むと、霧鐘塔がある。

美ヶ原の美しの塔と同様、霧の時に鐘を鳴らして場所を知らせるための
ものらしい。塔内に平林たい子の「霧の鐘」という詩が刻まれていた。
すぐ先には、地元・諏訪市角間新田出身の気象学者で元中央気象台長・
藤原咲平の碑が石垣の中に納まっていた。

藤原咲平は、霧ヶ峰のグライダー研究会の創設者でもあるという。
北側の体育館のような建物は、諏訪市のグライダーふれあい館。管内
には、数基のグライダーや、曳航(えいこう)用の小型トラックなどが展示
されていた。
館の横からマレットゴルフ場沿いに南西へ。グライダー滑走路の南西端
近くに進む。長塚節の歌碑と鳥居があり、鳥居をくぐって薙鎌神社に向かう。
神社といっても、社殿は高さ3m足らずの石灯ろうのような造り。石をくり
ぬいた中に古い鎌が幾つか奉納されていた。

神社の先から、「池のくるみ」と呼ぶ湿原の西端に出る予定で下りて
いったが、道がはっきりしなくなった。カラマツ林の急傾斜を注意しながら
しばらく下ったら、等高線沿いの道に出た。
池のくるみとは反対方向に進み、左右に2回折返しながら下り、車も入る
林道に合する。林道を少し下ったら、諏訪市上水道堀込水源があった。
水源の西側の草の道は送水管が埋設してあり、歩きやすいのでそのまま
下る。草の間にマイヅルソウがたくさん咲いていた。

車道に出る手前に廃屋があり、そばの細いパイプから冷水が流れ落ちて
いる。車道の反対側には今も住んでいる1軒の民家があった。
車道を少しだけ下り、再び送水管の埋まった草の道を下る。霧ヶ峰療護園
の前で再度車道に出る。

車道を横切り、角間川の小さい流れに回ると、丸太を渡した橋があり、右岸
沿いに送水管の埋まった草の道が続いている。車道を避けてこの道を下る
ことにして、橋のそばで昼食にした。
500mほど下り、戦後のひとときスケート場として知られた湖・蓼の海に
通じる林道科(しな)の木線を横切り、さらに1㎞ほどで諏訪市清掃センター
がある。
センターの先からは、角間川左岸沿いの歩道を進み、いずみ橋でバス道路
に分かれて西側の車道に進む。
10数戸の住宅地の先で、右手斜面に上がる山道に入った。このまま進め
ば棚田の横に出て、簡易保険保養センター横に下れるはずである。
初めは細い用水路沿いのはっきりした山道だったが、右に回り込んで行く
と踏み跡が消えた。そのまま進んで、針葉樹林の中の谷間の小さな流れに
出た。
流れの先に回ったら、上から下って来た道が見つかった。
少し下った右手の平地に、「瞰湖庵」という石碑が立っていた。碑には、
中央線工事の犠牲者供養のために昭和11年(1936)に、諏訪湖を望む
この地に、建設したと記されている。建物は無く、木が茂って諏訪湖も展望
できない。

さらに下ると、正面に諏訪湖が見えてきた。1㎞余り下り、簡易保険保養
センター横に出る。
大和二丁目から旧甲州街道の住宅地を南に進み、14時27分に今回の
ゴール、JR中央線上諏訪駅に着いた。
(天気 曇り、距離 13km、地図(1/2.5万) 霧ヶ峰、南大塩、諏訪、歩行地
諏訪市)
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