11月第1週は出かけた日が多かったため遅くなりましたが、月初のウオーキングレポ
ートです。
========================================
2020年11月1日(日)
きょう11月1日から3日(祝・火)までの3日間は、埼玉県東松山市を中心に開催さ
れる国内最大のウオーキングイベント「第43回日本スリーデーマーチ」の予定だった。
だが、新型コロナウィルスの感染拡大防止の観点から開催中止となり、その代わりの特
別企画として「どこでもウオーキング」が実施されることになった。参加申し込みした人
にはオリジナルバッジが進呈され、参加者はそれをつけて自分で決めたコースを自由に歩
くというスタイルである。
そこで私も申し込み、実行委員会から送られてきたバッジをつけて、府中市内に設定さ
れていた「名木といききの道」というコースをもとにして歩くことにした。
JR武蔵野線の起点・府中本町駅に9時37分に着き、9時45分にスタートする。
北口には、3日前に歩いた西武拝島線東大和市駅前同様の丸い郵便ポストが立っていた。
少し北へ、都道17号の駅入口交差点を渡り東側の大國魂(おおくにたま)神社に入る。
景行天皇41(111)年、武蔵国の護り神として大國魂の大神を祭ったのが始まりと
される古社。平安時代には武蔵国総社となり、さらに6社を合祀(ごうし)して総社六所
宮と称され、5月5日の「くらやみまつり」の神輿(みこし)巡行には日本一の大太鼓が
登場することで知られている。
りっぱな手水場の横から延びる北側の参道にはたくさんのちょうちんが目につき、両側
のケヤキなどは紅葉が始まっていた。
反対側、大きな熊手の奉納された山門を入り、北向きの拝殿に参拝する。
山門の手前西側では菊花展の用意が進み、境内には早めの七五三参りの家族も多い。
山門際の大イチョウも色づき始めていた。
山門を出て東へ、神社の塀沿いに南下して地獄坂の階段を下り、墓地の横から妙光院の
本堂前に回り参拝する。
本堂手前右手には、「府中の名木百選」に選定されているイチョウが立っていた。樹高
は25m、幹周は3.9mという。
朱塗りの仁王門を出てふり返ると、墓地の向こうに東京競馬場のスタンドが望まれる。
西側の都道17号から桜並木の参道を入り、南側に並ぶ安養寺へ。
突き当たりのお堂は多摩川三十三所第5番霊場の観音堂で、本堂正面には大師講講中が
奉納したご詠歌の掲額があった。
本堂のそばには、樹高18m、幹周2.9mで「府中の名木百選」のモミノキが立つ。
境内南側から東に回り、東京競馬場沿の西側から東へ。周辺に警官がたくさん配置され
ていた。今日は競馬開催日かなと思いながら進んだが、帰宅後、午後の天皇賞レースでア
ーモンドアイが芝GI新記録の8勝を飾ったと知る。
競馬場の北西側台地に向かって天神坂を少し上がり、中腹に鎮座する日吉神社に入る。
境内はケヤキやイチョウの高木など豊富な樹林に覆われていた。
大国魂神社を出たところから延びてきた通りを東に少しで、西向きの本堂の普門寺へ。
多摩新四国第22番霊場のようで、目の病に御利益があるのか「め」の字の絵馬がたく
さん奉納されている。
山門のない開放的な境内の中心部に、豊富な枝張りを見せる大イチョウがある。府中市
の保存樹木に指定されてもよさそうな高木だが、そのパネルは無い。
すぐ先で、京王競馬場線の府中競馬正門駅前を過ぎる。駅前を真っ直ぐに進めば東京競
馬場である。
駅前には、逆光に輝く「黄金の馬(アハルテケ)」が設置されていた。
アハルテケはトルクメニスタン原産の馬の品種で、同国の国章にもあしらわれていると
か。スピードと長距離の持久力で知られる「黄金の馬」は過酷な気候に適応し、現存する
最古の馬種のひとつと考えられている(ウィキペディア)という。
さらに東に少し、樹林に囲まれて一角に国府八幡宮の予想より小さめの社殿が西向きに
祭られていた。
第45代聖武天皇の御代(724~749)、各国に一国一社の八幡として創立された
社のひとつで、武蔵国国府の守護神として建立されたという古社のよう。、
八幡町地域公園の西側に接していて、公園を含めてケヤキやサクラなどの豊富な樹林に覆
われている。
公園の東南側で右折して、南に下る鳩林坂(きゅうりんざか)へ。その下り際右手(西
側)にかやぶき屋根の門があり、門前に鳩林荘と記されていた。
すぐ先左手には府中の名木百選「鳩林坂のヤマザクラ」があるが、前後の木々で全体は
確認できない。樹高8.5m、幹周2.5mと説明パネルに記されているが、樹高はもっ
とありそう。
坂を下り競馬場通りに出て、東京競馬場の東門前を通過して東へ向かう。清水が丘2丁
目の住宅地を進んだがその中にあるはずの滝神社は見つからない。清水が丘2丁目交差点
に出て北に延びる新小金井街道の清水トンネル際を上がり、府中崖線(がいせん)上を東
に延びる樹林に覆われた細道へ。
崖線上の道は、武蔵国の国府から東海道の大井の駅と甲斐国の国府へ通じていた古街道
で、行ったり来たりするという意味で「いききの道」と呼ばれ、「府中30景」のひとつ
になっているという。
北側に見えた広い墓地の横を入る。墓地に石造りの塔があり、「奉仰東郷元帥神霊照覧」
と刻まれているが、中央部の太い文字はなぜか塗りつぶされていた。
その東側が東郷寺(とうごうじ)本堂のようだが説明パネルなどはなく、東側に大きな
山門がポツンと立っていた。
帰宅後調べたら、日露戦争の連合艦隊司令長官・東郷平八郎元帥の別荘跡に立てられた
日蓮宗の寺院という。
大きな山門は昭和15(1940)年の建立とか。設計者は著名な建築家で建築史家の
伊東忠太によるもので、東京都選定歴史的建造物のようだ。
山門を下った東側に、府中市名木百選のシダレザクラ↑ほか3本のシダレザクラがある。
日蓮宗総本山身延山久遠寺(みのぶさんくおんじ)から苗を移植したようで、花どきには
みごとな花が見られそう。
山門の北側を見上げると、こんもりした広葉樹とケヤキらしい高木も望まれた。
少し南西に進んで久遠寺交差点でV字状に折り返す。再び府中崖線上の「いききの道」
に戻って東進し、西武多摩川線の踏切を越える。踏切際には「まむし坂」のパネルがある。
近くの路傍に、たくさん実をつけたピラカンサが目につく。その先にはバショウかと思
われる木に花が咲き、たわわにミカンが実る。
さらに白糸台4丁目の住宅地を進んで本願寺の前に出た。門前に府中の名木百選に選定
されている「本願寺のケヤキ」(左)と「本願寺のサイカチ」(右)とが近接して立って
いた。
ケヤキは樹高22m、幹周3.8m、サイカチは樹高12.5m、幹周2.3mと記さ
れているが、2本が近接しているので枝張りがきゅうくつそう。
本願寺は浄土宗の寺で、起源は源頼朝が奥州征伐の折、かの地から藤原秀衡の守本尊と
伝えられる薬師如来を祭ったことに始まるとか。その後、永正13(1516)年に総州
の人、大久保彦四郎が兵火で焼けたお堂を再建して中興開山したという。
現在地に移転したのは天正2(1574)年で、3代将軍家光のときに徳川家から朱印
状11石が下附され、あわせて葵紋の使用が許可されたようだ。
山門を入ると、正面にコンクリート造り2階建てのりっぱな本堂が目に入る。
本堂の手前左手には、のぼりの並ぶ薬師堂があり、その前には府中の名木百選「本願寺
のサルスベリ」が色づき始めた葉を見せていた。
境内にはハギが咲き、紅葉を始めた木も見られる。
本願寺の東側には車返八幡神社があり、境内には府中の名木百選「車返八幡神社のスダ
ジイ」が立っているが、近年枝葉がかなり切り払われたようで枝振りが少しさみしい。
選定時の1988年の樹高は18m、幹周2.5mと記されていた。
本殿の左手背後にはスダジイよりかなり樹高に秀でたケヤキが立っていて、こちらの方
が見栄えがする。
さらに東へ、道路際の斜面に色づき始めたフウがあり、その先の民家には小鳥の巣のあ
る柿が色づいていた。
府中崖線白糸台緑地の説明パネルの近くに「はけた坂」のパネルがあり、その中に「い
ききの道」のことも記されていた。
北へ延びる通を少しで、住宅地の中にわずかな森の残る諏訪神社に入る。境内北側に拝
殿殿が祭られ、道路際には府中の名木百選の「諏訪神社のシラカシ」が立っていた。樹高
は18m、幹周2.6mという。
境内にはほかに、府中市保存樹木のムクノキやシラカシもあった。
ここでコース上の予定の名木は巡り終え、ゴールは京王線飛田給(とびたきゅう)駅に
なっているが、わが家への帰路の利便さを考えて北に向かうことにする。
神社のすぐ先で京王線の踏切を渡り、白糸台6丁目の住宅地を抜けて国道20号線・甲
州街道に出た。
戻るように西進して白糸台通りの北端から延びる通りを北へ、朝日町1丁目から2丁目
へと住宅市を進み、西武多摩川線の多磨駅に14時44分に着いた。
上り電車で武蔵境駅に行き、JR中央線下り電車にて国分寺駅経由の帰路に着いた。
(天気 晴後曇 距離 9㎞、地図 「府中市ウオーキング・マップ」(1/1万)、
歩行地 府中市、歩数 19,600)
なお、「どこでもウオーキング」は、3日間で海外からの参加者157人を含めて
9,258人が参加したとのこと。
実行委員会のサイトの写真集には、参加者が撮影した東京下町の写真や、オランダの風
車前とかロシアのウラジオストク、オーストラリアなど世界中の好きな場所を楽しんだ姿
が見られたという。
アウトドアランキング
にほんブログ村
ートです。
========================================
2020年11月1日(日)
きょう11月1日から3日(祝・火)までの3日間は、埼玉県東松山市を中心に開催さ
れる国内最大のウオーキングイベント「第43回日本スリーデーマーチ」の予定だった。
だが、新型コロナウィルスの感染拡大防止の観点から開催中止となり、その代わりの特
別企画として「どこでもウオーキング」が実施されることになった。参加申し込みした人
にはオリジナルバッジが進呈され、参加者はそれをつけて自分で決めたコースを自由に歩
くというスタイルである。
そこで私も申し込み、実行委員会から送られてきたバッジをつけて、府中市内に設定さ
れていた「名木といききの道」というコースをもとにして歩くことにした。
JR武蔵野線の起点・府中本町駅に9時37分に着き、9時45分にスタートする。
北口には、3日前に歩いた西武拝島線東大和市駅前同様の丸い郵便ポストが立っていた。
少し北へ、都道17号の駅入口交差点を渡り東側の大國魂(おおくにたま)神社に入る。
景行天皇41(111)年、武蔵国の護り神として大國魂の大神を祭ったのが始まりと
される古社。平安時代には武蔵国総社となり、さらに6社を合祀(ごうし)して総社六所
宮と称され、5月5日の「くらやみまつり」の神輿(みこし)巡行には日本一の大太鼓が
登場することで知られている。
りっぱな手水場の横から延びる北側の参道にはたくさんのちょうちんが目につき、両側
のケヤキなどは紅葉が始まっていた。
反対側、大きな熊手の奉納された山門を入り、北向きの拝殿に参拝する。
山門の手前西側では菊花展の用意が進み、境内には早めの七五三参りの家族も多い。
山門際の大イチョウも色づき始めていた。
山門を出て東へ、神社の塀沿いに南下して地獄坂の階段を下り、墓地の横から妙光院の
本堂前に回り参拝する。
本堂手前右手には、「府中の名木百選」に選定されているイチョウが立っていた。樹高
は25m、幹周は3.9mという。
朱塗りの仁王門を出てふり返ると、墓地の向こうに東京競馬場のスタンドが望まれる。
西側の都道17号から桜並木の参道を入り、南側に並ぶ安養寺へ。
突き当たりのお堂は多摩川三十三所第5番霊場の観音堂で、本堂正面には大師講講中が
奉納したご詠歌の掲額があった。
本堂のそばには、樹高18m、幹周2.9mで「府中の名木百選」のモミノキが立つ。
境内南側から東に回り、東京競馬場沿の西側から東へ。周辺に警官がたくさん配置され
ていた。今日は競馬開催日かなと思いながら進んだが、帰宅後、午後の天皇賞レースでア
ーモンドアイが芝GI新記録の8勝を飾ったと知る。
競馬場の北西側台地に向かって天神坂を少し上がり、中腹に鎮座する日吉神社に入る。
境内はケヤキやイチョウの高木など豊富な樹林に覆われていた。
大国魂神社を出たところから延びてきた通りを東に少しで、西向きの本堂の普門寺へ。
多摩新四国第22番霊場のようで、目の病に御利益があるのか「め」の字の絵馬がたく
さん奉納されている。
山門のない開放的な境内の中心部に、豊富な枝張りを見せる大イチョウがある。府中市
の保存樹木に指定されてもよさそうな高木だが、そのパネルは無い。
すぐ先で、京王競馬場線の府中競馬正門駅前を過ぎる。駅前を真っ直ぐに進めば東京競
馬場である。
駅前には、逆光に輝く「黄金の馬(アハルテケ)」が設置されていた。
アハルテケはトルクメニスタン原産の馬の品種で、同国の国章にもあしらわれていると
か。スピードと長距離の持久力で知られる「黄金の馬」は過酷な気候に適応し、現存する
最古の馬種のひとつと考えられている(ウィキペディア)という。
さらに東に少し、樹林に囲まれて一角に国府八幡宮の予想より小さめの社殿が西向きに
祭られていた。
第45代聖武天皇の御代(724~749)、各国に一国一社の八幡として創立された
社のひとつで、武蔵国国府の守護神として建立されたという古社のよう。、
八幡町地域公園の西側に接していて、公園を含めてケヤキやサクラなどの豊富な樹林に覆
われている。
公園の東南側で右折して、南に下る鳩林坂(きゅうりんざか)へ。その下り際右手(西
側)にかやぶき屋根の門があり、門前に鳩林荘と記されていた。
すぐ先左手には府中の名木百選「鳩林坂のヤマザクラ」があるが、前後の木々で全体は
確認できない。樹高8.5m、幹周2.5mと説明パネルに記されているが、樹高はもっ
とありそう。
坂を下り競馬場通りに出て、東京競馬場の東門前を通過して東へ向かう。清水が丘2丁
目の住宅地を進んだがその中にあるはずの滝神社は見つからない。清水が丘2丁目交差点
に出て北に延びる新小金井街道の清水トンネル際を上がり、府中崖線(がいせん)上を東
に延びる樹林に覆われた細道へ。
崖線上の道は、武蔵国の国府から東海道の大井の駅と甲斐国の国府へ通じていた古街道
で、行ったり来たりするという意味で「いききの道」と呼ばれ、「府中30景」のひとつ
になっているという。
北側に見えた広い墓地の横を入る。墓地に石造りの塔があり、「奉仰東郷元帥神霊照覧」
と刻まれているが、中央部の太い文字はなぜか塗りつぶされていた。
その東側が東郷寺(とうごうじ)本堂のようだが説明パネルなどはなく、東側に大きな
山門がポツンと立っていた。
帰宅後調べたら、日露戦争の連合艦隊司令長官・東郷平八郎元帥の別荘跡に立てられた
日蓮宗の寺院という。
大きな山門は昭和15(1940)年の建立とか。設計者は著名な建築家で建築史家の
伊東忠太によるもので、東京都選定歴史的建造物のようだ。
山門を下った東側に、府中市名木百選のシダレザクラ↑ほか3本のシダレザクラがある。
日蓮宗総本山身延山久遠寺(みのぶさんくおんじ)から苗を移植したようで、花どきには
みごとな花が見られそう。
山門の北側を見上げると、こんもりした広葉樹とケヤキらしい高木も望まれた。
少し南西に進んで久遠寺交差点でV字状に折り返す。再び府中崖線上の「いききの道」
に戻って東進し、西武多摩川線の踏切を越える。踏切際には「まむし坂」のパネルがある。
近くの路傍に、たくさん実をつけたピラカンサが目につく。その先にはバショウかと思
われる木に花が咲き、たわわにミカンが実る。
さらに白糸台4丁目の住宅地を進んで本願寺の前に出た。門前に府中の名木百選に選定
されている「本願寺のケヤキ」(左)と「本願寺のサイカチ」(右)とが近接して立って
いた。
ケヤキは樹高22m、幹周3.8m、サイカチは樹高12.5m、幹周2.3mと記さ
れているが、2本が近接しているので枝張りがきゅうくつそう。
本願寺は浄土宗の寺で、起源は源頼朝が奥州征伐の折、かの地から藤原秀衡の守本尊と
伝えられる薬師如来を祭ったことに始まるとか。その後、永正13(1516)年に総州
の人、大久保彦四郎が兵火で焼けたお堂を再建して中興開山したという。
現在地に移転したのは天正2(1574)年で、3代将軍家光のときに徳川家から朱印
状11石が下附され、あわせて葵紋の使用が許可されたようだ。
山門を入ると、正面にコンクリート造り2階建てのりっぱな本堂が目に入る。
本堂の手前左手には、のぼりの並ぶ薬師堂があり、その前には府中の名木百選「本願寺
のサルスベリ」が色づき始めた葉を見せていた。
境内にはハギが咲き、紅葉を始めた木も見られる。
本願寺の東側には車返八幡神社があり、境内には府中の名木百選「車返八幡神社のスダ
ジイ」が立っているが、近年枝葉がかなり切り払われたようで枝振りが少しさみしい。
選定時の1988年の樹高は18m、幹周2.5mと記されていた。
本殿の左手背後にはスダジイよりかなり樹高に秀でたケヤキが立っていて、こちらの方
が見栄えがする。
さらに東へ、道路際の斜面に色づき始めたフウがあり、その先の民家には小鳥の巣のあ
る柿が色づいていた。
府中崖線白糸台緑地の説明パネルの近くに「はけた坂」のパネルがあり、その中に「い
ききの道」のことも記されていた。
北へ延びる通を少しで、住宅地の中にわずかな森の残る諏訪神社に入る。境内北側に拝
殿殿が祭られ、道路際には府中の名木百選の「諏訪神社のシラカシ」が立っていた。樹高
は18m、幹周2.6mという。
境内にはほかに、府中市保存樹木のムクノキやシラカシもあった。
ここでコース上の予定の名木は巡り終え、ゴールは京王線飛田給(とびたきゅう)駅に
なっているが、わが家への帰路の利便さを考えて北に向かうことにする。
神社のすぐ先で京王線の踏切を渡り、白糸台6丁目の住宅地を抜けて国道20号線・甲
州街道に出た。
戻るように西進して白糸台通りの北端から延びる通りを北へ、朝日町1丁目から2丁目
へと住宅市を進み、西武多摩川線の多磨駅に14時44分に着いた。
上り電車で武蔵境駅に行き、JR中央線下り電車にて国分寺駅経由の帰路に着いた。
(天気 晴後曇 距離 9㎞、地図 「府中市ウオーキング・マップ」(1/1万)、
歩行地 府中市、歩数 19,600)
なお、「どこでもウオーキング」は、3日間で海外からの参加者157人を含めて
9,258人が参加したとのこと。
実行委員会のサイトの写真集には、参加者が撮影した東京下町の写真や、オランダの風
車前とかロシアのウラジオストク、オーストラリアなど世界中の好きな場所を楽しんだ姿
が見られたという。
アウトドアランキング
にほんブログ村