2020年7月30日(木)
なかなか明けない今年の梅雨だが、今日は雨は無さそうな予報なので近場のウオーキン
グに出かけることにした。
西武池袋線の下り電車に乗り、元加治(もとかじ)駅に9時59分に着く。
今日のコースは、入間市(いるまし)設定のウオーキングコース「元気な入間 ふれあ
い茶ん歩道 ③湧水をめぐる」である。10時05分にスタートした。
線路沿いを少し戻り最初の踏切を渡り、線路の南側沿いの円照寺(えんしょうじ)へ。
中世の武蔵武士、加治氏の菩提寺とか。武蔵野七福神のひとつで、現在開創80周年総
開帳中の武蔵野三十三観音霊場第22番札所。胎蔵界大日三尊種子板碑は国指定重要文化
財になっているという。
本堂の手前に2つに分かれた弁天池があり、一つの池にはヒゴイガ泳ぐ。池にはスイレ
ンやコウホネが咲き、その上に紅白のサルスベリが咲く。
豊富な池の水源は湧水である。
境内南東側に、北向きの不動堂がある。安永8(1779)年の再建で、江戸時代以降
の寺院建築の特徴をよく備えたものという。
門前を南へ、すぐ先のY字路を右に入った入間川左岸段丘上に、「上橋(かみばし)の
大ケヤキ」と呼ぶケヤキの巨木が並び、そのうちの7本が入間市の保護樹木に指定されて
いた。
その上橋の中ほどまで進んで、上流側左岸の大ケヤキなどを眺める。
下流には西武池袋線の新旧鉄橋が望まれた。
左岸沿いの細道を北東に進んで鉄道橋下を北に抜ける。橋下の流れは小規模なダムにな
っていた。
入間川の支流、藤田堀を渡り、元加治団地沿いに北上する。再び藤田堀が眼下に近づい
た段丘沿いの民家のそばに駅名標のようなものがあったが、現在は新型コロナウィルスの
感染拡大防止のためか、オープンしてないようだ。
すぐ先の突き当たりが野田白鬚(しらひげ)神社。創建は寛元元(1243)年で、境
内では7月の天王様で「野田ばやし」と呼ぶ屋台ばやしが演奏されるようだ。
拝殿には「寛政三(1791)年正月」の掲額がある。
拝殿左手の小さな社殿は旧本殿で、寛永年間(1624~44)に再建のときに造られ
たものと推定され、市内最古の神社建築のひとつのよう。
背後の住宅地を東に進むと長徳寺がある。由緒などは記されてないが、本堂左手には薬
師如来堂が祭られ、眼病治癒を祈願する古い絵馬がたくさん奉納されていた。
少し戻って北進して国道299号線を手押し信号で渡り、「ハケ」と呼ぶ入間川の2段
目の河岸段丘へ。墓地の西南端に小屋があり、その下に明和7(1770)年造立の地蔵
尊と馬頭観音が祭られていた。
その前からハケに沿って東へ、草むらの遊歩道を少し進んで林間に入る。
足下にキツネノカミソリが咲いていた。
間もなく、木々の下からの豊富な湧水地、谷田の泉(やたのいずみ)である。
谷田の泉は、豊富な湧き水や林、湿地、草地など多様な環境がまとまっていて様々な生
き物が見られる貴重な場所として、泉の周辺約1haを公有化したようだ。
泉から流出するせせらぎには、カワモズクという絶滅が心配される藻(も)の仲間が生
育していて、県内では数カ所しか確認されていない貴重な植物の一つらしい。これがカワ
モズクだろうか・・・
気持ち良い緑の一角だったが、腕の数カ所を蚊にさされその先しばらくはかゆくて参る。
泉の横からハケの斜面を台地に上がる。
茶畑沿いを少し進んで再び林へ。林下にミズヒキの咲く杉林を抜けて車道を横断し、
西武地区体育館下で右折して南に向かう。
近くの畑に里芋のおおきな株が望まれ、路傍の民家のオミナエシやナツズイセンが咲き
出していた。
国道299号線を手押し信号で横断して東へ、すぐ先の交差点で南側の八木集落に入る。
突き当たりのT字路を東へ少しで、山王塚と呼ぶ庚申塔や馬頭観音が並ぶ一角がある。
庚申塔7基や馬頭観音塔3基など12基の石造群が立ち、「野田山王塚石造物群」と呼
ぶ市指定文化財になっている。寛文8(1668)年の庚申塔は市内最古のものという。
かつての山王塚は、こんもりと塚状になった木々が生い茂る神聖な雰囲気の場所で、江
戸時代には野田村と笹井村(狭山市笹井)を結ぶ交通の要地(村境)だったようだ。
手前の民家の間の路地を入り、階段を下って入間川左岸沿いの野田河川公園へ。東側の
芝生地はパターゴルフ場である。
西側にはソメイヨシノの並木が続き、児童公園のそばのハケの斜面からは豊富な湧水が
流れ落ち、円形の池に流入していた。
入間川の流れにはたくさんのアシが生い茂り、ソメイヨシノの下にアジサイが続くが、
花はほぼ咲き終えていた。
上流に見える中橋(なかはし)に向かって進んで橋際に出た。すぐ先の西武小の手前に
神社があるようなので回ってみたが、朱塗りの鳥居があるが神社の名は分からず。シンプ
ルな社殿で境内もわずかだった。
中橋から望む入間川の流れは、梅雨が続いているので川幅いっぱいに近い。上流側を見
た後、右岸の信号を渡って下流側も眺める。
橋の南側のT字路を東へ少し、変則五差路際に「アミーゴ(AMIGO!)」と呼ぶ8棟の
建物と緑地の公園で構成されたところがあった。
この施設は、大正5(1916)年に所沢織物組合により、繊維製品の向上を目指して
仏子(ぶし)模範工場として建設されたもの。
その後、仏子染色指導所を経て県の繊維工業試験場入間市場として繊維産業の発展に大
きな役割を果たし、平成10(1998)年3月に閉鎖されたという。
入口のそばには、ここで作成したものか手づくりの商品が並び、廊下には過去の催しの
写真パネルなどがある。
市では、これを市民の文化活動の場としてリニューアルし、イベントの開催や染色体験
等に利用できるアトリエに改修したもののよう。
道路に面した本館前には、新型コロナウィルスの感染拡大を受け、疫病を鎮めるという
妖怪・アマビエの作品を5月から募集し、応募された「埼玉写真2020」と呼ぶ作品が
たくさん並んでいた。
本館の右手から構内に入ると、円筒形のスタジオの建物や、サロン、ホール、織物工房
や染色工房に使われている建物が並んでいる。
本館の右手背後に広がる草地を東北に進み、すぐ先で入間川に流れ込む大沢川の清水橋
を渡る。
橋の先、右岸の両側斜面に湧水があり、下流側には湧水を利用した手造りの「杏(あん
ず)水力発電所」の水車が回っている。
上流側斜面には、清らかな湧水の円形井戸が造られていた。
草地の北端は入間川右岸沿いなので、普段より水流の多い流れが望まれた。
一巡してアミーゴを出て、そばの変則五差路を渡る。南西側広い敷地はスーパー・ヤオ
コーだが、その交差点際に「創立者 平岡仙太郎之像」と刻まれた胸像があった。
平岡仙太郎は、明治26(1893)年にこの地仏子の織物業を営む家の長男に生まれ
た。昭和4(1929)年にレース生産が有望と考え刺繍レースの生産を始め、これが
「平仙(ひらせん)レース」で、最盛期には全国のレース生産の30%を占め、日本第2
位の生産高だったという。
その後、県会議員や議長、所沢織物工業組合理事長となり、昭和12(1937)年に
は仏子染色指導所(現在のアミーゴ)を誘致するなどしたよう。この地は平仙レース第二
工場の跡地で、仙太郎ゆかりの地であるとともに所沢織物の歴史を刻む場所だという。
スーパー・ヤオコーで弁当と飲物を求め、南東側近くの八坂神社に行く。八坂神社は、
明治5(1872)年以前の仏子村5集落にあった5社を合祀して仏子村の村社としたと
ころ。現在の社殿は大正10(1921)年の建立という。
拝殿に参拝したら、新型コロナウィルスの消滅祈願の神札が下がっていた。記されてい
た参拝方法に従い再度参拝する。参拝後、拝殿左手背後に回って昼食をした。
北西に少しで、スタートした元加治駅の隣の仏子駅。14時10分に着き、すぐに来た
同時刻の上り電車に乗る。
(天気 曇、距離 7㎞、地図 1/2.5万 飯能、「元気な入間 ふれあい茶ん歩道 ③湧
水をめぐる」地図)、歩行地 入間市、歩数 14,500)
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なかなか明けない今年の梅雨だが、今日は雨は無さそうな予報なので近場のウオーキン
グに出かけることにした。
西武池袋線の下り電車に乗り、元加治(もとかじ)駅に9時59分に着く。
今日のコースは、入間市(いるまし)設定のウオーキングコース「元気な入間 ふれあ
い茶ん歩道 ③湧水をめぐる」である。10時05分にスタートした。
線路沿いを少し戻り最初の踏切を渡り、線路の南側沿いの円照寺(えんしょうじ)へ。
中世の武蔵武士、加治氏の菩提寺とか。武蔵野七福神のひとつで、現在開創80周年総
開帳中の武蔵野三十三観音霊場第22番札所。胎蔵界大日三尊種子板碑は国指定重要文化
財になっているという。
本堂の手前に2つに分かれた弁天池があり、一つの池にはヒゴイガ泳ぐ。池にはスイレ
ンやコウホネが咲き、その上に紅白のサルスベリが咲く。
豊富な池の水源は湧水である。
境内南東側に、北向きの不動堂がある。安永8(1779)年の再建で、江戸時代以降
の寺院建築の特徴をよく備えたものという。
門前を南へ、すぐ先のY字路を右に入った入間川左岸段丘上に、「上橋(かみばし)の
大ケヤキ」と呼ぶケヤキの巨木が並び、そのうちの7本が入間市の保護樹木に指定されて
いた。
その上橋の中ほどまで進んで、上流側左岸の大ケヤキなどを眺める。
下流には西武池袋線の新旧鉄橋が望まれた。
左岸沿いの細道を北東に進んで鉄道橋下を北に抜ける。橋下の流れは小規模なダムにな
っていた。
入間川の支流、藤田堀を渡り、元加治団地沿いに北上する。再び藤田堀が眼下に近づい
た段丘沿いの民家のそばに駅名標のようなものがあったが、現在は新型コロナウィルスの
感染拡大防止のためか、オープンしてないようだ。
すぐ先の突き当たりが野田白鬚(しらひげ)神社。創建は寛元元(1243)年で、境
内では7月の天王様で「野田ばやし」と呼ぶ屋台ばやしが演奏されるようだ。
拝殿には「寛政三(1791)年正月」の掲額がある。
拝殿左手の小さな社殿は旧本殿で、寛永年間(1624~44)に再建のときに造られ
たものと推定され、市内最古の神社建築のひとつのよう。
背後の住宅地を東に進むと長徳寺がある。由緒などは記されてないが、本堂左手には薬
師如来堂が祭られ、眼病治癒を祈願する古い絵馬がたくさん奉納されていた。
少し戻って北進して国道299号線を手押し信号で渡り、「ハケ」と呼ぶ入間川の2段
目の河岸段丘へ。墓地の西南端に小屋があり、その下に明和7(1770)年造立の地蔵
尊と馬頭観音が祭られていた。
その前からハケに沿って東へ、草むらの遊歩道を少し進んで林間に入る。
足下にキツネノカミソリが咲いていた。
間もなく、木々の下からの豊富な湧水地、谷田の泉(やたのいずみ)である。
谷田の泉は、豊富な湧き水や林、湿地、草地など多様な環境がまとまっていて様々な生
き物が見られる貴重な場所として、泉の周辺約1haを公有化したようだ。
泉から流出するせせらぎには、カワモズクという絶滅が心配される藻(も)の仲間が生
育していて、県内では数カ所しか確認されていない貴重な植物の一つらしい。これがカワ
モズクだろうか・・・
気持ち良い緑の一角だったが、腕の数カ所を蚊にさされその先しばらくはかゆくて参る。
泉の横からハケの斜面を台地に上がる。
茶畑沿いを少し進んで再び林へ。林下にミズヒキの咲く杉林を抜けて車道を横断し、
西武地区体育館下で右折して南に向かう。
近くの畑に里芋のおおきな株が望まれ、路傍の民家のオミナエシやナツズイセンが咲き
出していた。
国道299号線を手押し信号で横断して東へ、すぐ先の交差点で南側の八木集落に入る。
突き当たりのT字路を東へ少しで、山王塚と呼ぶ庚申塔や馬頭観音が並ぶ一角がある。
庚申塔7基や馬頭観音塔3基など12基の石造群が立ち、「野田山王塚石造物群」と呼
ぶ市指定文化財になっている。寛文8(1668)年の庚申塔は市内最古のものという。
かつての山王塚は、こんもりと塚状になった木々が生い茂る神聖な雰囲気の場所で、江
戸時代には野田村と笹井村(狭山市笹井)を結ぶ交通の要地(村境)だったようだ。
手前の民家の間の路地を入り、階段を下って入間川左岸沿いの野田河川公園へ。東側の
芝生地はパターゴルフ場である。
西側にはソメイヨシノの並木が続き、児童公園のそばのハケの斜面からは豊富な湧水が
流れ落ち、円形の池に流入していた。
入間川の流れにはたくさんのアシが生い茂り、ソメイヨシノの下にアジサイが続くが、
花はほぼ咲き終えていた。
上流に見える中橋(なかはし)に向かって進んで橋際に出た。すぐ先の西武小の手前に
神社があるようなので回ってみたが、朱塗りの鳥居があるが神社の名は分からず。シンプ
ルな社殿で境内もわずかだった。
中橋から望む入間川の流れは、梅雨が続いているので川幅いっぱいに近い。上流側を見
た後、右岸の信号を渡って下流側も眺める。
橋の南側のT字路を東へ少し、変則五差路際に「アミーゴ(AMIGO!)」と呼ぶ8棟の
建物と緑地の公園で構成されたところがあった。
この施設は、大正5(1916)年に所沢織物組合により、繊維製品の向上を目指して
仏子(ぶし)模範工場として建設されたもの。
その後、仏子染色指導所を経て県の繊維工業試験場入間市場として繊維産業の発展に大
きな役割を果たし、平成10(1998)年3月に閉鎖されたという。
入口のそばには、ここで作成したものか手づくりの商品が並び、廊下には過去の催しの
写真パネルなどがある。
市では、これを市民の文化活動の場としてリニューアルし、イベントの開催や染色体験
等に利用できるアトリエに改修したもののよう。
道路に面した本館前には、新型コロナウィルスの感染拡大を受け、疫病を鎮めるという
妖怪・アマビエの作品を5月から募集し、応募された「埼玉写真2020」と呼ぶ作品が
たくさん並んでいた。
本館の右手から構内に入ると、円筒形のスタジオの建物や、サロン、ホール、織物工房
や染色工房に使われている建物が並んでいる。
本館の右手背後に広がる草地を東北に進み、すぐ先で入間川に流れ込む大沢川の清水橋
を渡る。
橋の先、右岸の両側斜面に湧水があり、下流側には湧水を利用した手造りの「杏(あん
ず)水力発電所」の水車が回っている。
上流側斜面には、清らかな湧水の円形井戸が造られていた。
草地の北端は入間川右岸沿いなので、普段より水流の多い流れが望まれた。
一巡してアミーゴを出て、そばの変則五差路を渡る。南西側広い敷地はスーパー・ヤオ
コーだが、その交差点際に「創立者 平岡仙太郎之像」と刻まれた胸像があった。
平岡仙太郎は、明治26(1893)年にこの地仏子の織物業を営む家の長男に生まれ
た。昭和4(1929)年にレース生産が有望と考え刺繍レースの生産を始め、これが
「平仙(ひらせん)レース」で、最盛期には全国のレース生産の30%を占め、日本第2
位の生産高だったという。
その後、県会議員や議長、所沢織物工業組合理事長となり、昭和12(1937)年に
は仏子染色指導所(現在のアミーゴ)を誘致するなどしたよう。この地は平仙レース第二
工場の跡地で、仙太郎ゆかりの地であるとともに所沢織物の歴史を刻む場所だという。
スーパー・ヤオコーで弁当と飲物を求め、南東側近くの八坂神社に行く。八坂神社は、
明治5(1872)年以前の仏子村5集落にあった5社を合祀して仏子村の村社としたと
ころ。現在の社殿は大正10(1921)年の建立という。
拝殿に参拝したら、新型コロナウィルスの消滅祈願の神札が下がっていた。記されてい
た参拝方法に従い再度参拝する。参拝後、拝殿左手背後に回って昼食をした。
北西に少しで、スタートした元加治駅の隣の仏子駅。14時10分に着き、すぐに来た
同時刻の上り電車に乗る。
(天気 曇、距離 7㎞、地図 1/2.5万 飯能、「元気な入間 ふれあい茶ん歩道 ③湧
水をめぐる」地図)、歩行地 入間市、歩数 14,500)
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