2020年1月14日(火)
1月2日の七福神めぐりの際に品切れで入手できなかった「ウオーキングダイアリー
2020」を求めるため、文京区湯島1丁目にある日本ウオーキング協会に行くことにした。
東京メトロ丸ノ内線の御茶ノ水駅に11時25分頃下車した。東へ少し進んで北への階
段を上がると、湯島聖堂があるので南側の入徳門から入って参拝する。
湯島聖堂は、5代将軍綱吉が儒学の振興を図るため、元禄3(1690)年に聖堂を創
建したのが始まり。寛政9(1797)年に幕府直轄学校として「昌平坂学問所」を開設
した。
明治維新により聖堂・学問所は新政府の所管となり、当初は大学校・大学と改称されな
がら存置されたが、明治4(1871)年にこれを廃して文部省が置かれることとなり、
林羅山以来240年の歴史を閉じている。
大正11(1922)年に国の史跡に指定されたが、翌年の関東大震災で入徳門と水屋
を残してすべてを焼失した。昭和10(1935)年に寛政時代の旧制を模して、鉄筋コ
ンクリート造りで再建したのが現在の湯島聖堂だという。
階段を上がって回廊になっている杏壇門(きょうだんもん)を入ると、正面の建物が孔
子を祭る大成殿(たいせいでん)である。
以前来た時には東西の回廊で展示があったが、今日は何も無く閑散としていて、参拝者
も少ない。
参拝を終えて杏壇門の右(西)側を見たら、「宥座之器(ゆうざのき)」というのが目
に入る。
宥座之器とは、「座右において戒めとする器(うつわ)」という意味で、「虚なればす
なわち傾き、中なればすなわち正しく、満つればすなわち覆る」器のこととか。つまり、
空の時は傾き、ほどよく水を入れると正しく水平を保ち、水をいっぱい入れるとひっくり
返る器のこと。
孔子はこの器を見て弟子たちに、「満ちて覆らない者はいない」と教訓したよう。この
宥座の器は、人生においてすべてのことにおいて、無理をすることや満ち足りることを戒
め、謙譲の徳の大切なことを教えていたという。
杏壇門の外には、合格祈願を祈る絵馬がたくさん奉納されていた。
道路側の西門から出て北側の交差点で国道17号・中山道に入り、南東に少しで神田明
神前を過ぎ、すぐ先の日本ウオーキング協会でウオーキングダイアリーを求めた。
この後、周辺を少し回ることにして、まずはそばの神田明神へ。鳥居の左手にある天野
屋では、名物の甘酒を味わう人がいっぱい。
参道側のショウウィンドウには、古い電気機関車の模型などが展示されていた。
神田明神で親しまれる神田神社は江戸の総鎮守。東京都心108町会の総氏神様で、東
京の食を支える市場の発祥地の氏神様として、青果市場、魚市場の人からもあつく崇敬さ
れているとか。
創建は天平2(730)年、江戸東京で最も歴史ある神社の一つで、家康が幕府を開い
て江戸城を拡張した時、江戸城から表鬼門にあたる現在地に遷座したようだ。
それ以降、幕府から庶民にいたるまで多くの人の崇敬を集め、明治になってからは皇居・
東京の守護神として明治天皇も参拝されたという。
総ヒノキ造りの随神門を入ると、正面に国指定重要文化財で日本初の本格的な鉄骨鉄筋
コンクリート・総漆塗りの御社殿がある。
左手の近代的ビルは、一昨年12月にオープンした文化交流館。
1階には、御札や御守りの授与所、いろいろなお土産の販売所、飲食が楽しめるカフェ
などがあった。
文化交流館の前には大きな大黒天が祭られていて、新年用に設けられた茅の輪をくぐり
お参りできる。御社殿側には、これも新年のものらしいハート型のおみくじの結び場が。
御社殿の横や背後には幾つもの摂社が祭られていたるので、左手(西)から裏手(北)
へと回ってみることにした。
最初は魚河岸水神社↑で、その先に小舟町八雲神社、大伝馬町八雲神社↓、江戸神社と続
いている。
江戸神社
さらに進むと浦安稲荷神社の先に金刀比羅神社と三宿稲荷神社が並び、↓末広稲荷神社、
八幡神社や富士神社など7社を合祀した合祀殿などが祭られている。
金刀比羅神社の背後辺りに、千代田区保存樹のイチョウが立つていた。
北側に下る階段の近くには、小唄塚と小唄作詞塚がある。江戸小唄の中には当神社の神
田祭が随所に取り入れられていることもあり、昭和の小唄作曲に大きな足跡を残した吉田
草紙庵(本名:吉田金太郎)をこの地に顕彰するなどにより建立されたという。
その、北に下る裏参道の鳥居をくぐって神田明神を後にした。
北側の蔵前橋通りを東へ、妻恋坂交差点で左折して北に延びる昭平橋通りを少し進み、
三組坂下から三組坂上へと坂道を上がる。
右折して北へ、突き当たりが湯島天満宮や湯島天神として知られる湯島神社である。
正面の表鳥居は寛文7(1667)年の建立で、都指定文化財。下脚部に唐獅子頭部の
装飾が施されていて、鳥居としては特異なもののよう。
雄略天皇の勅命で御宇2(458)年創建と伝えられる古社。正平10(1355)年
には菅公(菅原道真)の遺徳を慕い、福岡・大宰府の天満宮から勧請(かんじょう)した。
文明10(1478)年に太田道灌が再建し、家康が江戸城に入ると篤く崇敬し、湯島
郷のうち5石を朱印地として寄進したという。
今日は閉店している参道両側の露店の間を進み、本殿に参拝する。
ここも合格祈願の絵馬が何か所もあり、何れも幾重にも重なった数知れぬ絵馬が奉納さ
れていた。
境内南西側には古木の並ぶ梅林があるが、まだつぼみのまま。
その一角に、旧鍛冶橋の欄干を台にしたという日時計がある。御大典記念に奉納された
と記してあり、昭和の御大典かと思われる。
本殿左手から背後に回ると、重そうなおみくじ納所があり、本殿の背後、北側の回廊に
は笹塚稲荷↓と戸隠神社が祭られていた。
その横から急階段の夫婦坂を下って湯島天満宮を去る。
ちなみに、湯島天満宮では1月25日(土)に「うそ替え神事」がある。知らず知らず
のうちについてしまった嘘を、天神さまの誠(まこと)の心に替えていただき、前年の災
厄や凶事などを嘘にして今年は吉となることを祈って行われるのだという。
東側の天神下交差点から北へ、不忍池の南側になる池之端1交差点から池に沿って北西
に少し進み、折り返すように回り込み、国指定重要文化財である旧岩崎邸庭園に行く。
昨日の成人の日(月)の翌日なので、休館かとも思いながら行ったが、休館は年末始の
4日間(12/29~1/1)みで、あとはいつも開館しているよう。
今日これまでに回った湯島聖堂、神田明神、湯島天神には何度か訪ねているが、ここ旧
岩崎邸庭園は初めてである。
南東側にある正門を入り、北西側へと緩やかな斜面を上がると券売所のそばに推定樹齢
400年、幹周7.4mという大イチョウが目に入る。
江戸時代、この地は越後高田藩 榊原家の屋敷だったようで、当時からこの地にあった
と推定されているようだ。
受付で入園料を払い、チケットを受け取り正面の洋館に向かう(大人400円、65歳
以上200円)。
旧岩崎邸庭園は、岩崎弥太郎の長男で三菱第3代社長の久弥の本邸として造られたもの。
往時は約1万5千坪の敷地に20棟もの建物が並んでいたとか。現在の敷地は1/3とな
り、現存する建物も洋館、和館大広間と撞球室(どうきゅうしつ)のみとか。
洋館は、ジョサイア・コンドルの設計により明治29(1896)<年に完成したとのこ
と。17世紀の英国ジャコビアン様式の見事な装飾が随所に見られ、イギリス・ルネサン
ス様式やイスラム風のモティーフなどが取り入れられているという。
1階正面玄関から入り、ホールを抜けて大食堂、客室、婦人客室、サンルーム、書斎、
などを順次観覧する。
サンルームからは、広々とした芝生広場や外縁の木々などが一望できる。
2階に上がると、ホール、集会室、2つの客室、婦人客室などがあった。
天井の装飾
2階のベランダからも、庭園が見下ろせる。
次に、南西側に廊下で連絡している和室に入り、広間などを見た。
そのあと和館から庭園に出て、それぞれの建物や庭木などを眺める。
最後に撞球室(ビリヤード場)前に回り、外から内部を観覧した。
撞球室は、明治30(1897)年以降に完成したと言われ、設計は洋館と同じジョサ
イア・コンドルによる木造建築。
校倉造りの壁、刻み入りの柱、軒の深い大屋根など、アメリカの木造ゴシック様式の流
れを汲むデザインとか。
コンドルは「スイス・コテージ」と呼んだようで、玉突き場天井のトラス構造↑などに
スイスの山小屋のような特徴が見られるようだ。
建物と庭園の一巡を終え、13時57分に旧岩崎邸庭園を出た。今日の観覧はこのくら
いとして、この後は上野駅に向かうことにした。
近くに、昭和前半期の建築家かと思われる木造民家が残っていた。
東に向かい、池之端仲町商店街を抜ける。
国道437号・中央通りに出て北へ進み、京成上野駅前を通過して、上野公園に向かう
と2頭のパンダの飾り物があった。
上野公園に入って右手の階段を上がり、久しぶりに西郷隆盛像を見る。
その背後に大きな墓が見えたのでそばに行くと、江戸末期の慶応4(1868)年にこ
こ上野山内で大村益二郎率いる新政府軍・東征軍と戦って敗れた、彰義隊の墓だった。
その先からは東方に東京スカイツリー(634m)が望まれた。
咲き出したスイセンの横を進んで、JR上野駅公園口に14時23分に着いた。
(天気 晴一時曇、距離 5㎞、地図 なし、歩行地 文京区、千代田区、台東区、歩数
9,000)
今日は地図も用意せずに出かけ、思いつきで近くの見どころと思われるところを訪ねた
のだが、回り道になったりした。
帰宅後に道路地図や入手した資料などを見たら、湯島天神の近くには今年のNHK大河
ドラマ「麒麟がくる」ゆかりの春日局の菩提寺である鱗祥院(りんしょういん)があり、
さらに今日のコースの西側、文京区湯島や東京大学を中心にした弥生(やよい)辺りには
幾つもの寺院や博物館、美術館などもあり、改めて計画をたてて巡ってみたい。
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1月2日の七福神めぐりの際に品切れで入手できなかった「ウオーキングダイアリー
2020」を求めるため、文京区湯島1丁目にある日本ウオーキング協会に行くことにした。
東京メトロ丸ノ内線の御茶ノ水駅に11時25分頃下車した。東へ少し進んで北への階
段を上がると、湯島聖堂があるので南側の入徳門から入って参拝する。
湯島聖堂は、5代将軍綱吉が儒学の振興を図るため、元禄3(1690)年に聖堂を創
建したのが始まり。寛政9(1797)年に幕府直轄学校として「昌平坂学問所」を開設
した。
明治維新により聖堂・学問所は新政府の所管となり、当初は大学校・大学と改称されな
がら存置されたが、明治4(1871)年にこれを廃して文部省が置かれることとなり、
林羅山以来240年の歴史を閉じている。
大正11(1922)年に国の史跡に指定されたが、翌年の関東大震災で入徳門と水屋
を残してすべてを焼失した。昭和10(1935)年に寛政時代の旧制を模して、鉄筋コ
ンクリート造りで再建したのが現在の湯島聖堂だという。
階段を上がって回廊になっている杏壇門(きょうだんもん)を入ると、正面の建物が孔
子を祭る大成殿(たいせいでん)である。
以前来た時には東西の回廊で展示があったが、今日は何も無く閑散としていて、参拝者
も少ない。
参拝を終えて杏壇門の右(西)側を見たら、「宥座之器(ゆうざのき)」というのが目
に入る。
宥座之器とは、「座右において戒めとする器(うつわ)」という意味で、「虚なればす
なわち傾き、中なればすなわち正しく、満つればすなわち覆る」器のこととか。つまり、
空の時は傾き、ほどよく水を入れると正しく水平を保ち、水をいっぱい入れるとひっくり
返る器のこと。
孔子はこの器を見て弟子たちに、「満ちて覆らない者はいない」と教訓したよう。この
宥座の器は、人生においてすべてのことにおいて、無理をすることや満ち足りることを戒
め、謙譲の徳の大切なことを教えていたという。
杏壇門の外には、合格祈願を祈る絵馬がたくさん奉納されていた。
道路側の西門から出て北側の交差点で国道17号・中山道に入り、南東に少しで神田明
神前を過ぎ、すぐ先の日本ウオーキング協会でウオーキングダイアリーを求めた。
この後、周辺を少し回ることにして、まずはそばの神田明神へ。鳥居の左手にある天野
屋では、名物の甘酒を味わう人がいっぱい。
参道側のショウウィンドウには、古い電気機関車の模型などが展示されていた。
神田明神で親しまれる神田神社は江戸の総鎮守。東京都心108町会の総氏神様で、東
京の食を支える市場の発祥地の氏神様として、青果市場、魚市場の人からもあつく崇敬さ
れているとか。
創建は天平2(730)年、江戸東京で最も歴史ある神社の一つで、家康が幕府を開い
て江戸城を拡張した時、江戸城から表鬼門にあたる現在地に遷座したようだ。
それ以降、幕府から庶民にいたるまで多くの人の崇敬を集め、明治になってからは皇居・
東京の守護神として明治天皇も参拝されたという。
総ヒノキ造りの随神門を入ると、正面に国指定重要文化財で日本初の本格的な鉄骨鉄筋
コンクリート・総漆塗りの御社殿がある。
左手の近代的ビルは、一昨年12月にオープンした文化交流館。
1階には、御札や御守りの授与所、いろいろなお土産の販売所、飲食が楽しめるカフェ
などがあった。
文化交流館の前には大きな大黒天が祭られていて、新年用に設けられた茅の輪をくぐり
お参りできる。御社殿側には、これも新年のものらしいハート型のおみくじの結び場が。
御社殿の横や背後には幾つもの摂社が祭られていたるので、左手(西)から裏手(北)
へと回ってみることにした。
最初は魚河岸水神社↑で、その先に小舟町八雲神社、大伝馬町八雲神社↓、江戸神社と続
いている。
江戸神社
さらに進むと浦安稲荷神社の先に金刀比羅神社と三宿稲荷神社が並び、↓末広稲荷神社、
八幡神社や富士神社など7社を合祀した合祀殿などが祭られている。
金刀比羅神社の背後辺りに、千代田区保存樹のイチョウが立つていた。
北側に下る階段の近くには、小唄塚と小唄作詞塚がある。江戸小唄の中には当神社の神
田祭が随所に取り入れられていることもあり、昭和の小唄作曲に大きな足跡を残した吉田
草紙庵(本名:吉田金太郎)をこの地に顕彰するなどにより建立されたという。
その、北に下る裏参道の鳥居をくぐって神田明神を後にした。
北側の蔵前橋通りを東へ、妻恋坂交差点で左折して北に延びる昭平橋通りを少し進み、
三組坂下から三組坂上へと坂道を上がる。
右折して北へ、突き当たりが湯島天満宮や湯島天神として知られる湯島神社である。
正面の表鳥居は寛文7(1667)年の建立で、都指定文化財。下脚部に唐獅子頭部の
装飾が施されていて、鳥居としては特異なもののよう。
雄略天皇の勅命で御宇2(458)年創建と伝えられる古社。正平10(1355)年
には菅公(菅原道真)の遺徳を慕い、福岡・大宰府の天満宮から勧請(かんじょう)した。
文明10(1478)年に太田道灌が再建し、家康が江戸城に入ると篤く崇敬し、湯島
郷のうち5石を朱印地として寄進したという。
今日は閉店している参道両側の露店の間を進み、本殿に参拝する。
ここも合格祈願の絵馬が何か所もあり、何れも幾重にも重なった数知れぬ絵馬が奉納さ
れていた。
境内南西側には古木の並ぶ梅林があるが、まだつぼみのまま。
その一角に、旧鍛冶橋の欄干を台にしたという日時計がある。御大典記念に奉納された
と記してあり、昭和の御大典かと思われる。
本殿左手から背後に回ると、重そうなおみくじ納所があり、本殿の背後、北側の回廊に
は笹塚稲荷↓と戸隠神社が祭られていた。
その横から急階段の夫婦坂を下って湯島天満宮を去る。
ちなみに、湯島天満宮では1月25日(土)に「うそ替え神事」がある。知らず知らず
のうちについてしまった嘘を、天神さまの誠(まこと)の心に替えていただき、前年の災
厄や凶事などを嘘にして今年は吉となることを祈って行われるのだという。
東側の天神下交差点から北へ、不忍池の南側になる池之端1交差点から池に沿って北西
に少し進み、折り返すように回り込み、国指定重要文化財である旧岩崎邸庭園に行く。
昨日の成人の日(月)の翌日なので、休館かとも思いながら行ったが、休館は年末始の
4日間(12/29~1/1)みで、あとはいつも開館しているよう。
今日これまでに回った湯島聖堂、神田明神、湯島天神には何度か訪ねているが、ここ旧
岩崎邸庭園は初めてである。
南東側にある正門を入り、北西側へと緩やかな斜面を上がると券売所のそばに推定樹齢
400年、幹周7.4mという大イチョウが目に入る。
江戸時代、この地は越後高田藩 榊原家の屋敷だったようで、当時からこの地にあった
と推定されているようだ。
受付で入園料を払い、チケットを受け取り正面の洋館に向かう(大人400円、65歳
以上200円)。
旧岩崎邸庭園は、岩崎弥太郎の長男で三菱第3代社長の久弥の本邸として造られたもの。
往時は約1万5千坪の敷地に20棟もの建物が並んでいたとか。現在の敷地は1/3とな
り、現存する建物も洋館、和館大広間と撞球室(どうきゅうしつ)のみとか。
洋館は、ジョサイア・コンドルの設計により明治29(1896)<年に完成したとのこ
と。17世紀の英国ジャコビアン様式の見事な装飾が随所に見られ、イギリス・ルネサン
ス様式やイスラム風のモティーフなどが取り入れられているという。
1階正面玄関から入り、ホールを抜けて大食堂、客室、婦人客室、サンルーム、書斎、
などを順次観覧する。
サンルームからは、広々とした芝生広場や外縁の木々などが一望できる。
2階に上がると、ホール、集会室、2つの客室、婦人客室などがあった。
天井の装飾
2階のベランダからも、庭園が見下ろせる。
次に、南西側に廊下で連絡している和室に入り、広間などを見た。
そのあと和館から庭園に出て、それぞれの建物や庭木などを眺める。
最後に撞球室(ビリヤード場)前に回り、外から内部を観覧した。
撞球室は、明治30(1897)年以降に完成したと言われ、設計は洋館と同じジョサ
イア・コンドルによる木造建築。
校倉造りの壁、刻み入りの柱、軒の深い大屋根など、アメリカの木造ゴシック様式の流
れを汲むデザインとか。
コンドルは「スイス・コテージ」と呼んだようで、玉突き場天井のトラス構造↑などに
スイスの山小屋のような特徴が見られるようだ。
建物と庭園の一巡を終え、13時57分に旧岩崎邸庭園を出た。今日の観覧はこのくら
いとして、この後は上野駅に向かうことにした。
近くに、昭和前半期の建築家かと思われる木造民家が残っていた。
東に向かい、池之端仲町商店街を抜ける。
国道437号・中央通りに出て北へ進み、京成上野駅前を通過して、上野公園に向かう
と2頭のパンダの飾り物があった。
上野公園に入って右手の階段を上がり、久しぶりに西郷隆盛像を見る。
その背後に大きな墓が見えたのでそばに行くと、江戸末期の慶応4(1868)年にこ
こ上野山内で大村益二郎率いる新政府軍・東征軍と戦って敗れた、彰義隊の墓だった。
その先からは東方に東京スカイツリー(634m)が望まれた。
咲き出したスイセンの横を進んで、JR上野駅公園口に14時23分に着いた。
(天気 晴一時曇、距離 5㎞、地図 なし、歩行地 文京区、千代田区、台東区、歩数
9,000)
今日は地図も用意せずに出かけ、思いつきで近くの見どころと思われるところを訪ねた
のだが、回り道になったりした。
帰宅後に道路地図や入手した資料などを見たら、湯島天神の近くには今年のNHK大河
ドラマ「麒麟がくる」ゆかりの春日局の菩提寺である鱗祥院(りんしょういん)があり、
さらに今日のコースの西側、文京区湯島や東京大学を中心にした弥生(やよい)辺りには
幾つもの寺院や博物館、美術館などもあり、改めて計画をたてて巡ってみたい。
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