あるきメデス

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勤労感謝の日に城ヶ島を巡る(神奈川)

2013-11-24 22:26:17 | カントリーウオーク
 2013年11月23日(土)

 今週は毎日快晴が続いたが、勤労感謝の日も快晴に恵まれた。今日は、山浦敬子さんが
年4回実施している、「アートウオークセラピー」の今年最終回に参加した。

 集合は京浜急行久里浜線の終点、三浦海岸駅に10時。10時7分発の城ヶ島行きバス
に乗り、終点の城ヶ島バス停に10時37分頃着く。

 バス停は、東西に長い城ヶ島の西北端の駐車場のところ。そばの防波堤で記念撮影をし
て、10時45分にスタートした。
    

 まずは、南側高台にある城ヶ島灯台に向かう。3、4軒並ぶ土産物店の間を進み、右手
の階段を上がると展望広場に「海への祈り」と呼ぶ顕彰碑があり、北東側、城ヶ島大橋近
くの三崎港に停泊している船舶などが望まれる。


 城ヶ島灯台はその先にあり、最初のものは明治3年(1870)に横須賀製鉄所首長の
フランス人ヴェルニーにより、わが国5番目の西洋式灯台として設置されたとのこと。

 しかし大正12年(1923)9月の関東大震災で倒壊し、現在の灯台は大正15年
(1926)8月に改築されたもの。光達距離は約29㎞という。

 さらに進んで、長津呂(ながとろ)の磯と呼ぶ岩場に下る。今日は好天で遠望が利き、
雲を被った富士山や伊豆半島などが望まれた。


 磯料理店や土産物店などの並ぶ西山集落の通りを戻り、島の脊梁(せきりよう)部を東
に延びる遊歩道に上がる。
    
 篠竹(しのたけ)の茂る間を進むと、ところどころに畑があり、ソラマメなどが若葉を
伸ばしていた。


 次の遊ヶ崎集落が近づき、城ヶ島大橋周辺の展望が開ける。集落の西端辺りに下ると、
近くの交差点際に、灯台のような造りの交番が見えていた。
        

 すぐ先から台地の中腹にある常光寺の石段を上がると、陶器製らしい子虎が数頭、並ん
で迎えてくれてちょっとビックリ!。

 寺は享保9年(1724)に建立されたが、昭和11年(1936)2月のこの島の大
火で類焼し、現在の社殿は昭和28年(1953)の再建だという。


 本堂の前には、大部分葉を落としたイチョウの古木が立っている。
     

 下の家並みまで下りて、すぐ先からもう一度急階段を城ヶ島海南神社に11時27分に
上がり、拝殿の濡れ縁を借りて昼食にした。


 海南神社は、対岸の三崎の海南神社を分霊して元亀年間(1570~2)以前に建立し
たと伝えられ、当初は海岸に鎮座されたが暴風で破損し、明治11年(1878)にここ
に移したようだ。

 石段を上がった両側に、古い砲弾が祭られていた。右手のものに「大正8年(1919)
樺太測量…」と刻まれているが、その由緒はそれ以上分からない。
        

 境内の一隅で、アシタバが花を見せる。


 食事を終え、石段から見える城ヶ島大橋の西側、三崎港の周辺をスケッチする人も。

 アートウオークセラピーでは、スケッチしたり皆で合唱したりするのだが、今日はここ
がスケッチの場所となった。

 石段を降りた道路の反対側には、旧三崎小学校城ヶ島分校の建物があり、門柱に「三浦
市漁村センター」と「旧城ヶ島分校海の資料館」の看板が下がっていた。

 建物は昭和6年(1931)の建設、昭和45年(1970)に本校に統合されるまで
使用され、のちに公民館に転用されたとのこと。現在は、県指定民俗文化財の城ヶ島漁労
用具コレクションを展示しているようだが、開館は日曜と木曜に限られている。

     
 遊ヶ崎の東端付近から再び脊梁部へ。少しの樹林帯を抜けて、篠竹に囲まれた畑の間を
くねくねと進み、城ヶ島大橋からの車道が島に入ってループして下り始める辺りの、女性
像のところに出た。
         

 像のそばからは、東北方の対岸、通り矢付近の港や発電用風車、東北東に海を隔てた房
総半島の山並みなどが望まれる。


 像の横から、ループ部の中にある駐車場に下る。駐車場の隅には、「ムーア人式日時計」
と呼ぶ日時計があった。駐車場を横断して、ループ部の途中から分岐する道路に上がる。
路傍の一角に、初冬に開花する皇帝ダリアが花をたくさん見せていた。
    


 そのまま進むと、島の東部を占める県立城ヶ島公園である。公園事務所のある横長の門
をくぐると、クロマツの並木が続く。


 下草には早春に咲くスイセンが並び、いまはイソギク↓とツワブキがたくさん花を競っ
ていた。
    

 補修中で上がれない第二展望台の先は、ピクニック広場と呼ぶ芝生地で、前方の展望が
開けてきた。


 今日は快晴で視界が利き、東京湾を隔てた房総半島の鋸山(のこぎりやま)(329.5
m)や双耳峰の富山(とみさん)(349.5m)などの山並み、沖に並ぶ漁船などが、
かなりはっきりと望まれる。

 島の最東端には、安房崎(あわざき)灯台が立っているので、その近くまで行ってみる
ことにした。


 安房崎は、ここから望まれる安房に向く岬という意味で名付けられたとか。安房崎の
「はな」は海中に突出した磯のため浅瀬が多く、航行する船の難所だったので、昭和37
年(1962)に無人灯台が設置されたという。


                      富 山

 灯台近くの砂浜には貝がいっぱい堆積した一角があり、前方に房総半島の山並みが、ふ
り返ると展望の良いピクニック広場の先端部が望まれた。

    
                  鋸山                  

 しばし海や房総の展望を楽しみ、第一展望台までもとの道を戻る。その先から、クロス
する遊歩道の左手に回ると、「火の島へ 一帆目指すよ 芋の露」と記された活字体の句
碑があった。
    
 昭和20年(1945)に角川書店を創立した、た角川現義(かどかわげんよし・俳号
は現義(げんぎ))の昭和39年の作とか。どうりで活字体で記されていたのだと分かる。

 高みから逆光の海の向こうに、先般の豪雨による土砂崩壊で大被害の出た伊豆大島が望
まれた。


 遊歩道が右カーブする辺りには、現在の天皇陛下の、昭和34年(1959)の「皇太
子殿下御成婚記念植樹碑」があり、周辺には生長した松が密生していた。


 事務所のある門を出て、駐車場の先から左手の断崖上の遊歩道へ。高みから見下ろす海
に、カヤックを楽しむグループが見える。



 さらに進んでウミウ展望台から振り返ると、赤羽根海岸の高い断崖の中腹に、ウミウの
糞で白くなった斜面が望まれ、その右手遠くには、房総半島の先端、洲崎辺りが遠望でき
た。


 篠竹に囲まれた遊歩道の先端から斜面を下り、明治の文豪、大町桂月も訪れているとい
う「馬の背の洞門」のところに行く。

 自然が作った海蝕洞穴で、長い年月をかけて波浪や風雨に浸食されて出来たもの。高さ
は8mで、横6m厚さ2mあるという。


 その先は磯伝いに、最初に巡った島の西端の長津呂の磯に向かうことにした。中ほどま
で進むと、先ほど見下ろしたカヤックのグループの人達が休憩を終えて、カヤックに乗り
込もうとしていた。


 長津呂まで進んで西山集落に戻り、スタートした城ヶ島バス停に14時10分にゴール
した。


 14時25分発のバスで、京急三崎口駅に向かう。

 私は初めての城ヶ島だったが、快晴で暖かな日和に恵まれ、紺碧の海や房総の山並み、
三崎港や荒々しい磯の展望などを十分に満喫した。

(参加 7人、天気 快晴、距離 6㎞、地図(1/2.5万) 三浦三崎、歩行地
 三浦市、歩数 10,300) 




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