2013年5月18日(土)
湘南、大磯町のタウンウオークに出かけた。この日は、先月の関東百駅巡礼歩行で大磯
を歩いた際に知った、「おおいそオープンガーデン」の開催日で、公開している個人のお
宅などの庭を鑑賞することができる。
8時過ぎに自宅を出て、西武線から東京メトロ副都心線・東急東横線直通電車で横浜駅
まで行き、JRに乗り替えて東海道線大磯駅には10時27分に着いた。
最初に、駅前の観光案内所の横から少し上がって大磯迎賓館へ。旧木下家別邸と呼ばれ、
大正元(1912)年の建築でツーバイフォー工法では国内最古とか。国登録有形文化財
である。
先月の関東百駅の時には閉館されていたが、5月中旬にオープンし、イタリア料理や結
婚式場、ワークショップや文化芸術発表の場として利用できる。
ここも今日のオープンガーデンのひとつ。庭や鉢植えの花が多く、クラシックな洋館に
色を添える。
手前右手の坂を下って細道を左に入ると、次のオープンガーデン大磯珈琲庵がある。
植え込みや鉢植えの花が落ち着いた彩り。庭の奥にも、ビンに差した花や鉢植えの花が
たくさん並んでいた。
その先の大雲寺に入り、墓地にあるという日本画家・安田靫彦(やすだゆきひこ)の墓
を探したが見つからなかった。
迎賓館からの通りに戻り、少し先を西に入って地福寺へ。
本堂前に梅の古木が多く、左手がけ下に島崎藤村・静子夫妻の簡素な墓地がある。普通
の墓より細い墓碑は、谷口義郎博士の設計という。
旧岩崎邸敷地らしい長い土塀の下を進んで、国道1号線に出た。「杵新」と呼ぶまんじ
ゅう店があり、大磯に住んだ島崎藤村や吉田茂に愛された店らしい。
そばの三差路に挟まれた一角は新島襄終焉(しゅうえん)の地。新島襄は京都で同志社
英学校を設立し、同志社大学設立企画中に病にかかり、療養先のこの地にあった百足屋旅
館で47歳の生涯を閉じたという。
近くには大磯土産で知られる井上蒲鉾(かまぼこ)店があり、店内には美味しそうな蒲
鉾やはんぺん、さつまあげが並ぶ。買い物客も多かった。
100mほど先に、「湘南発祥の地 大磯」の石碑が立っている。湘南とは中国湖南省
にある洞庭湖の南側のこと。大磯がこの地に似ていることから湘南と呼ばれるようになっ
たと記されていた。
そばのうっそうとした森に、西行法師の「こころなき身にもあはれは知られけり 鴫立
沢(しぎたつさわ)の秋の夕暮」で知られる鴫立庵がある。
寛文4(1664)年に小田原の崇雪が草庵を結んだのが始まり。現在は京都の落柿舎、
滋賀の無名庵とともに、日本三大俳諧(はいかい)道場のひとつといわれているという。
西行に読まれた、いまはわずかな流れの鴫立沢を渡って門を入る。拝観料を払ってかや
ぶき屋根の鴫立庵を拝観後、深い緑の敷地内を上がり下りして一巡した。
敷地内には、やはりかやぶき屋根で、曽我物語の曽我十郎の恋人虎女の木像を安置する
法虎堂、芭蕉句碑など多くの句碑、五智如来座像などが並んでいる。
正午近いので、近くのカレー店「CHAIRO」に入り、地場野菜やチーズの入りのお
いしいカレーを味わった。
この店も古い商家を活用したものだが、近くには大谷石の蔵を活用した離れらしい建物
もあった。
すぐ先、大屋根の見えた妙昌寺に入る。本堂屋根下には精巧な彫刻が施されている。
境内に荒行を終えた山崎浩道上人像が立ち、サルスベリの古木や古い本堂の鬼瓦が目に
付く。
さらに国道を進み、旧東海道の松並木の残るところに出た。向こう側にウオーキンググ
ループが来るのが見える。もしやとよく見ると、やはり「第四次 21世紀の朝鮮通信使 ソ
ウルー東京 日韓友情ウオーク」の一行である。
歩道橋を渡ってそちらに回り、後方を歩いて来た日本側代表のEさん、カメラのKさん、
オッパーことKさんに声をかける。
一行は4月1日にソウルをスタートして韓国と国内あわせて約1,200㎞を歩き、2日
後の5月20日(月)に、東京・日比谷公園にゴールした。この日は、小田原~藤沢間約
37㎞を歩いている。
松並木の南側にある遊歩道をさらに進む。国道1号線のクロマツで一番太いという、樹
齢300年の巨木もあった。
松並木が終わって間もなく「伊藤公滄浪閣之旧跡」碑が立ち、背後に閉鎖された大きな
建物がある。
滄浪閣は、明治30(1897)年からの伊藤博文の本邸跡。敷地は約18,150㎡
(約5,500坪)あり、その後幾多の変遷を経て、最近まで大磯プリンスホテル別館とし
て使われたらしい。
隣接する旧西園寺邸らしい松などの多い敷地との間の細道を抜け、海を見下ろす高台に
出る。
風が強くて砂が飛んでくるので海沿いを進むのは止めて、国道に戻った。旧西園寺邸ら
しい建物は閉鎖され、海側に隣接の旧池田邸跡も樹木だけで、建物は残っていない。
大岩大門バス停のところで国道に分かれて北側の路地に入り、JR東海道線の線路際に
行く。少し戻った稲荷松公園横から東海道線の下をくぐって北側に出る。
こちら側には、オープンガーデンのお宅が多いので、それらを訪ねることにした。
まずはT字路に突き当たり、左側の細い私道沿いに花の並ぶIさん宅へ。
庭は広くはないが数多くの草花が咲き乱れる。奥様が出ておられたので花の話を伺った。
白岩神社に近い北側の通りへ。こちらにはストリートガーデンと呼ぶ、邸内には入れな
いが道路からその家の花を眺められるお宅が4軒ある。
近くの宮ノ上公園に入り、ベンチで小休止する。公園には、標高23.013mの水準
点があるが、地形図上には記されてない。
この辺りでは、オープンガーデンの案内図を持つ女性グループとそちこちで行き交う。
きれいだと聞いて回ってきた方に言われ、見残したストリートガーデンのNさん宅に戻っ
てみる。庭の一角は一面花に彩られていた。
宮ノ上公園の先を少し上がり、南に回り込む。湘南平への登山路に近い御岳神社前を通
過して、出口のない大磯駅の西側に近い、住宅地の細い路地に入る。
近接して両側に3軒のガーデンがある。東側のIさん宅は道路際も狭い庭も花がいっぱ
い。ご夫婦で自ら腐葉土などを造って育てておられるという。
西側のHさん宅はストリートガーデン。庭にはイチョウの大木が立ち、秋にはたくさん
ギンナンが実るとか。
Iさんの南、Tさん宅は、玄関周りも庭も花鉢でいっぱいで、出入りもはばかられるほ
ど。バラもきれいに咲いていた。
線路際を西進した三差路際のTさん宅は、壁面が白バラで飾られている。
北側の稲荷神社は、タブノキ、ヤブニッケイ、ムクノキ、ヤブツバキなどがうっそうと
自生し、広くはないがこの地本来の自然植生が残る貴重な鎮守の森である。
線路際に出て「夢の地下道」をくぐり、東海道線の南に出る。そばの路地を斜めに進む
と、島崎藤村邸がある。
島崎藤村は、昭和16(1941)年1月に、大磯のドンドン焼きを見に来て珍しい郷
土行事を喜び、その春から2年余り、71歳で永眠するまでここに住んだという。
そろそろ駅に向かうことにして、カーブの多い細い通りを東に進む。細い路地を入って
外国人名のJさんのオープンガーデンに寄る。設計事務所をされていて、お名前から予想
したのとは違い、庭は静かな日本庭園だった。
駅に向かう通りに出たところ、オープンガーデン「カフェあおばと」で声をかけられた
ので店内へ。小さい部屋に、押し花でつくった作品が何点か並んでいた。
外には「雁の井戸」と呼ぶ古い井戸が残っている。
すぐ先の短い路地には、Oさんのオープンガーデンがある。そう広くはない庭だが、よ
く手入れされていて草花の種類も多い。気さくな奥様が花作りの極意をいろいろと教えて
くれた。
大磯小の前を緩やかに上がり、大磯駅に16時25分に戻った。
(天気 晴、距離 7㎞、地図(1/2.5万) 平塚、歩行地 大磯町、歩数 14,100)
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湘南、大磯町のタウンウオークに出かけた。この日は、先月の関東百駅巡礼歩行で大磯
を歩いた際に知った、「おおいそオープンガーデン」の開催日で、公開している個人のお
宅などの庭を鑑賞することができる。
8時過ぎに自宅を出て、西武線から東京メトロ副都心線・東急東横線直通電車で横浜駅
まで行き、JRに乗り替えて東海道線大磯駅には10時27分に着いた。
最初に、駅前の観光案内所の横から少し上がって大磯迎賓館へ。旧木下家別邸と呼ばれ、
大正元(1912)年の建築でツーバイフォー工法では国内最古とか。国登録有形文化財
である。
先月の関東百駅の時には閉館されていたが、5月中旬にオープンし、イタリア料理や結
婚式場、ワークショップや文化芸術発表の場として利用できる。
ここも今日のオープンガーデンのひとつ。庭や鉢植えの花が多く、クラシックな洋館に
色を添える。
手前右手の坂を下って細道を左に入ると、次のオープンガーデン大磯珈琲庵がある。
植え込みや鉢植えの花が落ち着いた彩り。庭の奥にも、ビンに差した花や鉢植えの花が
たくさん並んでいた。
その先の大雲寺に入り、墓地にあるという日本画家・安田靫彦(やすだゆきひこ)の墓
を探したが見つからなかった。
迎賓館からの通りに戻り、少し先を西に入って地福寺へ。
本堂前に梅の古木が多く、左手がけ下に島崎藤村・静子夫妻の簡素な墓地がある。普通
の墓より細い墓碑は、谷口義郎博士の設計という。
旧岩崎邸敷地らしい長い土塀の下を進んで、国道1号線に出た。「杵新」と呼ぶまんじ
ゅう店があり、大磯に住んだ島崎藤村や吉田茂に愛された店らしい。
そばの三差路に挟まれた一角は新島襄終焉(しゅうえん)の地。新島襄は京都で同志社
英学校を設立し、同志社大学設立企画中に病にかかり、療養先のこの地にあった百足屋旅
館で47歳の生涯を閉じたという。
近くには大磯土産で知られる井上蒲鉾(かまぼこ)店があり、店内には美味しそうな蒲
鉾やはんぺん、さつまあげが並ぶ。買い物客も多かった。
100mほど先に、「湘南発祥の地 大磯」の石碑が立っている。湘南とは中国湖南省
にある洞庭湖の南側のこと。大磯がこの地に似ていることから湘南と呼ばれるようになっ
たと記されていた。
そばのうっそうとした森に、西行法師の「こころなき身にもあはれは知られけり 鴫立
沢(しぎたつさわ)の秋の夕暮」で知られる鴫立庵がある。
寛文4(1664)年に小田原の崇雪が草庵を結んだのが始まり。現在は京都の落柿舎、
滋賀の無名庵とともに、日本三大俳諧(はいかい)道場のひとつといわれているという。
西行に読まれた、いまはわずかな流れの鴫立沢を渡って門を入る。拝観料を払ってかや
ぶき屋根の鴫立庵を拝観後、深い緑の敷地内を上がり下りして一巡した。
敷地内には、やはりかやぶき屋根で、曽我物語の曽我十郎の恋人虎女の木像を安置する
法虎堂、芭蕉句碑など多くの句碑、五智如来座像などが並んでいる。
正午近いので、近くのカレー店「CHAIRO」に入り、地場野菜やチーズの入りのお
いしいカレーを味わった。
この店も古い商家を活用したものだが、近くには大谷石の蔵を活用した離れらしい建物
もあった。
すぐ先、大屋根の見えた妙昌寺に入る。本堂屋根下には精巧な彫刻が施されている。
境内に荒行を終えた山崎浩道上人像が立ち、サルスベリの古木や古い本堂の鬼瓦が目に
付く。
さらに国道を進み、旧東海道の松並木の残るところに出た。向こう側にウオーキンググ
ループが来るのが見える。もしやとよく見ると、やはり「第四次 21世紀の朝鮮通信使 ソ
ウルー東京 日韓友情ウオーク」の一行である。
歩道橋を渡ってそちらに回り、後方を歩いて来た日本側代表のEさん、カメラのKさん、
オッパーことKさんに声をかける。
一行は4月1日にソウルをスタートして韓国と国内あわせて約1,200㎞を歩き、2日
後の5月20日(月)に、東京・日比谷公園にゴールした。この日は、小田原~藤沢間約
37㎞を歩いている。
松並木の南側にある遊歩道をさらに進む。国道1号線のクロマツで一番太いという、樹
齢300年の巨木もあった。
松並木が終わって間もなく「伊藤公滄浪閣之旧跡」碑が立ち、背後に閉鎖された大きな
建物がある。
滄浪閣は、明治30(1897)年からの伊藤博文の本邸跡。敷地は約18,150㎡
(約5,500坪)あり、その後幾多の変遷を経て、最近まで大磯プリンスホテル別館とし
て使われたらしい。
隣接する旧西園寺邸らしい松などの多い敷地との間の細道を抜け、海を見下ろす高台に
出る。
風が強くて砂が飛んでくるので海沿いを進むのは止めて、国道に戻った。旧西園寺邸ら
しい建物は閉鎖され、海側に隣接の旧池田邸跡も樹木だけで、建物は残っていない。
大岩大門バス停のところで国道に分かれて北側の路地に入り、JR東海道線の線路際に
行く。少し戻った稲荷松公園横から東海道線の下をくぐって北側に出る。
こちら側には、オープンガーデンのお宅が多いので、それらを訪ねることにした。
まずはT字路に突き当たり、左側の細い私道沿いに花の並ぶIさん宅へ。
庭は広くはないが数多くの草花が咲き乱れる。奥様が出ておられたので花の話を伺った。
白岩神社に近い北側の通りへ。こちらにはストリートガーデンと呼ぶ、邸内には入れな
いが道路からその家の花を眺められるお宅が4軒ある。
近くの宮ノ上公園に入り、ベンチで小休止する。公園には、標高23.013mの水準
点があるが、地形図上には記されてない。
この辺りでは、オープンガーデンの案内図を持つ女性グループとそちこちで行き交う。
きれいだと聞いて回ってきた方に言われ、見残したストリートガーデンのNさん宅に戻っ
てみる。庭の一角は一面花に彩られていた。
宮ノ上公園の先を少し上がり、南に回り込む。湘南平への登山路に近い御岳神社前を通
過して、出口のない大磯駅の西側に近い、住宅地の細い路地に入る。
近接して両側に3軒のガーデンがある。東側のIさん宅は道路際も狭い庭も花がいっぱ
い。ご夫婦で自ら腐葉土などを造って育てておられるという。
西側のHさん宅はストリートガーデン。庭にはイチョウの大木が立ち、秋にはたくさん
ギンナンが実るとか。
Iさんの南、Tさん宅は、玄関周りも庭も花鉢でいっぱいで、出入りもはばかられるほ
ど。バラもきれいに咲いていた。
線路際を西進した三差路際のTさん宅は、壁面が白バラで飾られている。
北側の稲荷神社は、タブノキ、ヤブニッケイ、ムクノキ、ヤブツバキなどがうっそうと
自生し、広くはないがこの地本来の自然植生が残る貴重な鎮守の森である。
線路際に出て「夢の地下道」をくぐり、東海道線の南に出る。そばの路地を斜めに進む
と、島崎藤村邸がある。
島崎藤村は、昭和16(1941)年1月に、大磯のドンドン焼きを見に来て珍しい郷
土行事を喜び、その春から2年余り、71歳で永眠するまでここに住んだという。
そろそろ駅に向かうことにして、カーブの多い細い通りを東に進む。細い路地を入って
外国人名のJさんのオープンガーデンに寄る。設計事務所をされていて、お名前から予想
したのとは違い、庭は静かな日本庭園だった。
駅に向かう通りに出たところ、オープンガーデン「カフェあおばと」で声をかけられた
ので店内へ。小さい部屋に、押し花でつくった作品が何点か並んでいた。
外には「雁の井戸」と呼ぶ古い井戸が残っている。
すぐ先の短い路地には、Oさんのオープンガーデンがある。そう広くはない庭だが、よ
く手入れされていて草花の種類も多い。気さくな奥様が花作りの極意をいろいろと教えて
くれた。
大磯小の前を緩やかに上がり、大磯駅に16時25分に戻った。
(天気 晴、距離 7㎞、地図(1/2.5万) 平塚、歩行地 大磯町、歩数 14,100)
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