あるきメデス

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稲荷町から田原町周辺の寺社を巡る(東京・台東区)

2011-09-25 15:22:44 | 江戸・東京を歩く
2011年9月24日(土)

 地図愛好者グループの第21回例会があり、東京メトロ銀座線の稲荷町から隣の田原町
周辺を巡る、東京歴史散歩に参加した。


 11時に稲荷町駅上↑をスタートし、駅の北側、東上野五丁目にある永昌寺へ。


 境内左手に「講道館柔道発祥の地」碑が立っている。柔道の父、嘉納治五郎は明治15
年(1882)、ここの書院に12畳の道場を設け、柔道を始めたという。


 寺の北側の通りには、関東大震災の復興のために建設されたという古い建物がが残って
いる。

 上野下アパートと呼び、4階建ての建物は現在も使用されて、中にはこのような組織も
入っているようだ。


 上野下アパートの西側の通りを南下して、浅草通りを横断し、東上野三丁目の下谷神社
に行く。


 下谷神社は、天平2年(730)に上野忍ヶ丘に創建されたと伝えられ、祭神は日本
武尊である。近隣での2度の移転を経て、関東大震災後の昭和3年(1928)の区画
整理によりこの地に移り、昭和9年(1934)に遷座されたとのこと。


 拝殿の天井には、近くの池之端に住んでいた日本画の巨匠、横山大観の天井画が描か
れている。


 境内には、最寄りの地下鉄の駅名の起こりである稲荷神社もある。その稲荷神社の横
を南に抜けて境内を出た。

 東に向かう通りには、太平洋戦争の戦災を免れた古い民家が残り、庭のない家の前に
鉢植えをたくさん並べた家も多い。


 元浅草二丁目を東に抜けて、元浅草四丁目にある誓教寺に入った。本堂は現代風な建物。


 墓地に回ると、「富岳三十六景」などで知られる江戸後期の浮世絵師で、欧米の近代
芸術にも影響を与えた葛飾北斎の墓があり、東京都史跡になっている。


 境内には、生誕230年の平成2年(1990)に建立した葛飾北斎像もあった。


 再び北に向かい、浅草通りを松ヶ谷一丁目交差点で横断し、松ヶ谷1丁目の妙音寺に
西側の山門から入る。



 境内はよく手入れされた植栽が多く、弁天池にはりっぱなヒゴイガがたくさん泳いで
いる。池の脇に咲き出した白ハギの横の緑陰で小休止した。


 東上野6交差点を北に渡ると、西側にあるのが報恩寺。本堂はコンクリート造りで大
きく、境内にはソメイヨシノの古木が立つ。


 寺では、江戸時代から正月に四條流包丁儀式「俎板開(まないたびらき)」が継承され、
テレビなどでも報道されているという。


 境内には、慶安元年(1648)鋳造の銅鐘が、大きな鐘楼に吊され、傍らには、昭和
10年(1935)の竣工時に現在の本堂に用いられたという、高さ2m余りで重量530
㎏という大きな鬼瓦が置かれていた。


 報恩寺の北側に、「筑波」というそば屋さんがあった。正午を少し過ぎたので、ここで
昼食をすることにした。


 店内はかなり広いが、墓参に来たらしい近隣の人たちが次々に出入りして満員。私たち
も幾つかのテーブルに分かれたが、一般のそば屋さんより盛りが多くて美味い。賑わうの
も当然で、よい店に入ったとみな満足した。

 店のおすすめ、筑波そばは450円、私の食べたとろろそばは550円だった。

 道路を隔てた東側には、いまは都内でも数少なくなった銭湯が残り、煙突から煙が上が
っていた。


 北側の通りを西に入って、次は上野小の北にある法善寺へ。本堂は近代的なコンクリート
造り。


 本堂右手の墓地に、天保5年(1834)と7年に江戸の風俗や行事、名所などを絵入り
解説した「江戸名所図会(ずえ)」を完成させた、斎藤長秋(ちょうしゅう)以下三代の墓
が、きゅうくつな墓地の片隅にあり、都史跡に指定されていた。


 北側の通りに回って東へ向かうと、行く手に建設が進む東京スカイツリーが望まれる。


 (続く)


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