昼の林にツクツクボーシが鳴き、夜になるとわが家でも虫の鳴き声が聞こえ、秋の近いこと
が感じられます。台風12号の接近で、雲行きが怪しくなりました。この後、どう進むのか気が
かりです。
「四国遍路あれこれ」の次のテーマは、後半の遍路道から見える川についてです。
======================================
3度目の遍路の後半のスタートは、43番明石寺と44番大宝寺の中間、JR予讃線の内子
駅からでしたが、その前に前半行き残した別格7番出石寺(しゅっせきじ)に行くことにしました。
愛媛県大洲市内のときわ旅館を出て、間もなく渡る肱川(ひじかわ)の肱川橋からは、対岸
に大洲城が望まれます。2月24日(木)の7時過ぎ、まだ太陽の差し込む前です。
正午前後に出石寺に参拝し、大洲市街に向かって下って行きます。帰路の車道、標高240m
くらいのところから見下ろす肱川の流れと大洲の町並み。
上の写真の右側カーブ点付近のアップ、肱川橋の右側手前に大洲城が見えています。
戻ってきた肱川橋から、再び望む大洲城。
翌日、JR予讃山内子駅をスタートして、内子の町並みの外れで小田川を渡り、道の駅内子
に寄りました。道の駅付近の小田川の流れ。
道の駅から先しばらくは、小田川右岸に沿った国道379号を進みます。
上和田バス停の先で、国道は左岸に回り、遍路道は右岸の旧道に入って大瀬の家並みへ。
川岸の紅梅が花を開いていました。
大瀬の家並みが少なくなり、間もなく河口橋で国道に合する手前で、仏岩と呼ばれる岩が
見下ろせます。
番外霊場千人宿大師堂のある川登集落のあたりは、「筏(いかだ)の里」と呼ばれ、明治
から昭和初期まで木材の集積地として、和歌山県新宮や秋田の能代とともに知られていた
ところとか。
その筏の里付近でも、紅梅が咲き始めています。
筏の里の先、突合(つきあわせ)で小田川を右に分けて、翌日の鴇田峠(ひわたとうげ)遍路
道を目指して、支流の吉野川に沿って同じ国道379号を進みます。
翌日は、鴇田峠を越えて44番大宝寺に詣でた後、標高670mにある45番岩屋寺にも参
拝し、東を流れる直瀬川右岸に沿った遍路道を、国民宿舎古岩屋荘(ふるいわやそう)に向
かいました。残雪も見える直瀬川の流れ。
さらに、直瀬川右岸(左側)沿いの遍路道を進みます。
翌2月27日(日)、一部昨日の遍路道を通り、久万高原町の町並みに向かって戻ります。
河合の住吉神社横を通過して県道12号を西進しました。間もなく国道32号というあたりの、
久万川の橋から上流の眺め。
三坂峠(710m)を越えて松山市に入り、翌日、46番浄瑠璃寺そばの長珍屋(ちょうちん
や)をスタートして、市街地の霊場に向かいます。番外霊場札始(ふだはじめ)大師堂の先
で渡る重信川(しげのぶがわ)は、川幅は広いのに水の流れがほとんど見られません。
松山市の市街地にある51番石手寺に詣で、西郊にある52番太山寺(たいさんじ)を目指
して北西に進みます。山田池や吉藤池など3つの池の横を進んで、吉藤(よしふじ)の住宅
地に入りました。雨後の小さい流れの両側を埋め尽くしているのは、クレソンでしょうか…。
さらに西へ、番外霊場蓮花寺の先で国道196号を跨道橋で越えて、安城寺町で南北に流
れる流を渡りました。両岸に咲き出したナノハナ。
3月1日(火)、JR予讃線光洋台駅をスタートして松山市西部、旧北条市の町並みを県道
179号で通過しました。短い間隔で幾つかの川を渡りますが、これは高山川だったと思われ
ます。
北条の町並みの西端に近い立岩川。向こうの鉄橋はJR予讃線です。
この先、番外霊場鎌大師(かまだいし)までは2㎞足らずです。 (続く)
にほんブログ村
にほんブログ村
が感じられます。台風12号の接近で、雲行きが怪しくなりました。この後、どう進むのか気が
かりです。
「四国遍路あれこれ」の次のテーマは、後半の遍路道から見える川についてです。
======================================
3度目の遍路の後半のスタートは、43番明石寺と44番大宝寺の中間、JR予讃線の内子
駅からでしたが、その前に前半行き残した別格7番出石寺(しゅっせきじ)に行くことにしました。
愛媛県大洲市内のときわ旅館を出て、間もなく渡る肱川(ひじかわ)の肱川橋からは、対岸
に大洲城が望まれます。2月24日(木)の7時過ぎ、まだ太陽の差し込む前です。
正午前後に出石寺に参拝し、大洲市街に向かって下って行きます。帰路の車道、標高240m
くらいのところから見下ろす肱川の流れと大洲の町並み。
上の写真の右側カーブ点付近のアップ、肱川橋の右側手前に大洲城が見えています。
戻ってきた肱川橋から、再び望む大洲城。
翌日、JR予讃山内子駅をスタートして、内子の町並みの外れで小田川を渡り、道の駅内子
に寄りました。道の駅付近の小田川の流れ。
道の駅から先しばらくは、小田川右岸に沿った国道379号を進みます。
上和田バス停の先で、国道は左岸に回り、遍路道は右岸の旧道に入って大瀬の家並みへ。
川岸の紅梅が花を開いていました。
大瀬の家並みが少なくなり、間もなく河口橋で国道に合する手前で、仏岩と呼ばれる岩が
見下ろせます。
番外霊場千人宿大師堂のある川登集落のあたりは、「筏(いかだ)の里」と呼ばれ、明治
から昭和初期まで木材の集積地として、和歌山県新宮や秋田の能代とともに知られていた
ところとか。
その筏の里付近でも、紅梅が咲き始めています。
筏の里の先、突合(つきあわせ)で小田川を右に分けて、翌日の鴇田峠(ひわたとうげ)遍路
道を目指して、支流の吉野川に沿って同じ国道379号を進みます。
翌日は、鴇田峠を越えて44番大宝寺に詣でた後、標高670mにある45番岩屋寺にも参
拝し、東を流れる直瀬川右岸に沿った遍路道を、国民宿舎古岩屋荘(ふるいわやそう)に向
かいました。残雪も見える直瀬川の流れ。
さらに、直瀬川右岸(左側)沿いの遍路道を進みます。
翌2月27日(日)、一部昨日の遍路道を通り、久万高原町の町並みに向かって戻ります。
河合の住吉神社横を通過して県道12号を西進しました。間もなく国道32号というあたりの、
久万川の橋から上流の眺め。
三坂峠(710m)を越えて松山市に入り、翌日、46番浄瑠璃寺そばの長珍屋(ちょうちん
や)をスタートして、市街地の霊場に向かいます。番外霊場札始(ふだはじめ)大師堂の先
で渡る重信川(しげのぶがわ)は、川幅は広いのに水の流れがほとんど見られません。
松山市の市街地にある51番石手寺に詣で、西郊にある52番太山寺(たいさんじ)を目指
して北西に進みます。山田池や吉藤池など3つの池の横を進んで、吉藤(よしふじ)の住宅
地に入りました。雨後の小さい流れの両側を埋め尽くしているのは、クレソンでしょうか…。
さらに西へ、番外霊場蓮花寺の先で国道196号を跨道橋で越えて、安城寺町で南北に流
れる流を渡りました。両岸に咲き出したナノハナ。
3月1日(火)、JR予讃線光洋台駅をスタートして松山市西部、旧北条市の町並みを県道
179号で通過しました。短い間隔で幾つかの川を渡りますが、これは高山川だったと思われ
ます。
北条の町並みの西端に近い立岩川。向こうの鉄橋はJR予讃線です。
この先、番外霊場鎌大師(かまだいし)までは2㎞足らずです。 (続く)
にほんブログ村
にほんブログ村