2011年9月18日(日)
JR武蔵野線周辺の駅に集まって、カタツムリのようにゆっくりじっくりと半日歩く、カタツムリ
歩行の第207回例会に参加した。今回の集合はJR武蔵野線の新座(にいざ)駅、10時過ぎ
に駅前を出発する。
車の通行の激しい国道254号(川越街道)を横断し、線路の南側沿いの道路を西に進む。
不二家などの工場を過ぎると、広葉樹林が残っていたので、林の中を貫く細道へ。

林床の一角に、ヒガンバナが咲いている。

その先に、もとフィールドアスレチック場だったらしい所があり、木製の遊具が幾つか残って
いた。

道なりに左に折れると前方に畑が広がり、その柵にトンボが幾つか止まっている。

高圧送電線付近の住宅地の南側に、菅沢稲荷神社があったので寄り、境内のサクラの木
の下で水分補給を兼ねて小休止した。前回の7月例会も暑かったが、今日も残暑が厳しい。

そばに大きなマユミの木があり、実がたくさん付いていた。暑いながらに、秋はもうすぐ
そこまで来ているのだ。

南側の車道出て東に向かう。南側一帯には農地が広がり、軟らかな土の農道があるが、
10人近い人数なので入るのは止めて、先に進む。

十文字学園女子大の正門付近から右折して再び南へ、ふと西の遠方に目をやると、久し
ぶりの富士山が見えた。まだ夏姿だが、今月下旬には初冠雪の報を目にするかもしれない。

次の通りに出て、少し東側で右折して住宅地を抜ける私道に入る。中ほどの民家の板塀
からウメの木が伸びている。やさしい配慮のお宅に、どんな花を見せてくれるのだろうか…。

その住宅地にあるミニ公園の片隅には、フヨウのつぼみがいっぱい。もう咲き終わった
時期ではないかと思うのだが、こんな木もある。

私道を抜けた通りの向こうには、国の天然記念物になっている平林寺の境内林が広がる。

武蔵野の面影を残す貴重な林で、クヌギ、コナラ、アカマツ、エゴノキ、クヌギ、クリなどを
主体に56haに及ぶという。
東側の通りを南下して、山下橋のところから平林寺境内林の北側に沿って流れる野火止
(のびどめ)用水沿いの遊歩道に入ると、野火止ホタル飼育施設があった。

いまはこのような細い流れだが、野火止用水は、承応4年(1655)に川越藩主松平信綱
により、武蔵野台地開発の一環として生活用水の確保を目的として造られたもの。多摩郡
小川村(現在の東京都小平市)から玉川用水を分水して、新河岸川までの約25㎞を40日
で完成したという。

流れに沿って、珍しい黄色やピンクのヒガンバナが幾つか咲いている。その間には普通の
赤い花だろうか、すでに咲き終わった株もたくさん並んでいた。


住宅地を抜けるときは暑かったが、平林寺境内林の緑陰で日差しを遮られた野火止用水
緑道は気持ちよい。

600mほど進んだ送電線下付近に、F製作所の小さい工場があり、建物の壁に掲げられた
社名標の横に、製品を組み合わせた飾り物があった。特殊チェンの製造工場らしい。

工場のところで野火止用水緑道に分かれ、ゴールを目指して畑の間の細道を北に向かう。
畑の片隅になぜか、古い展望車が置いてある。どこかのトロッコ列車の観光用にでも使われて
いたのだろうか…。

住宅地に入ると、道路側が花で埋もれていたお宅があった。どこから入るのかも分からない
くらい、花に彩られている。

ゴールの若宮八幡宮には、正午ちょうどに着いた。

若宮八幡宮は、江戸時代の「新編武藏風土記稿」にも記されていて、寛政3年(1791)銘
の力石が奉納されているとか。
境内の一隅には、新座で最初の水道(1949)発祥の地であることを記した、「源泉水道
発祥の地」碑が立っていた。

境内で昼食後、記念撮影とミーティングをして、13時近く解散となった。

私は神社北側の車道を北西へ、西武池袋線清瀬駅に向かったが、残暑をまともに受けて
暑いので中断し、少し先のバス停からバスで清瀬駅に出た。
(天気 晴、距離 4㎞、地図(1/2.5万) 志木、歩行地 新座市)

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JR武蔵野線周辺の駅に集まって、カタツムリのようにゆっくりじっくりと半日歩く、カタツムリ
歩行の第207回例会に参加した。今回の集合はJR武蔵野線の新座(にいざ)駅、10時過ぎ
に駅前を出発する。
車の通行の激しい国道254号(川越街道)を横断し、線路の南側沿いの道路を西に進む。
不二家などの工場を過ぎると、広葉樹林が残っていたので、林の中を貫く細道へ。

林床の一角に、ヒガンバナが咲いている。

その先に、もとフィールドアスレチック場だったらしい所があり、木製の遊具が幾つか残って
いた。

道なりに左に折れると前方に畑が広がり、その柵にトンボが幾つか止まっている。

高圧送電線付近の住宅地の南側に、菅沢稲荷神社があったので寄り、境内のサクラの木
の下で水分補給を兼ねて小休止した。前回の7月例会も暑かったが、今日も残暑が厳しい。

そばに大きなマユミの木があり、実がたくさん付いていた。暑いながらに、秋はもうすぐ
そこまで来ているのだ。

南側の車道出て東に向かう。南側一帯には農地が広がり、軟らかな土の農道があるが、
10人近い人数なので入るのは止めて、先に進む。

十文字学園女子大の正門付近から右折して再び南へ、ふと西の遠方に目をやると、久し
ぶりの富士山が見えた。まだ夏姿だが、今月下旬には初冠雪の報を目にするかもしれない。

次の通りに出て、少し東側で右折して住宅地を抜ける私道に入る。中ほどの民家の板塀
からウメの木が伸びている。やさしい配慮のお宅に、どんな花を見せてくれるのだろうか…。

その住宅地にあるミニ公園の片隅には、フヨウのつぼみがいっぱい。もう咲き終わった
時期ではないかと思うのだが、こんな木もある。

私道を抜けた通りの向こうには、国の天然記念物になっている平林寺の境内林が広がる。

武蔵野の面影を残す貴重な林で、クヌギ、コナラ、アカマツ、エゴノキ、クヌギ、クリなどを
主体に56haに及ぶという。
東側の通りを南下して、山下橋のところから平林寺境内林の北側に沿って流れる野火止
(のびどめ)用水沿いの遊歩道に入ると、野火止ホタル飼育施設があった。

いまはこのような細い流れだが、野火止用水は、承応4年(1655)に川越藩主松平信綱
により、武蔵野台地開発の一環として生活用水の確保を目的として造られたもの。多摩郡
小川村(現在の東京都小平市)から玉川用水を分水して、新河岸川までの約25㎞を40日
で完成したという。

流れに沿って、珍しい黄色やピンクのヒガンバナが幾つか咲いている。その間には普通の
赤い花だろうか、すでに咲き終わった株もたくさん並んでいた。


住宅地を抜けるときは暑かったが、平林寺境内林の緑陰で日差しを遮られた野火止用水
緑道は気持ちよい。

600mほど進んだ送電線下付近に、F製作所の小さい工場があり、建物の壁に掲げられた
社名標の横に、製品を組み合わせた飾り物があった。特殊チェンの製造工場らしい。

工場のところで野火止用水緑道に分かれ、ゴールを目指して畑の間の細道を北に向かう。
畑の片隅になぜか、古い展望車が置いてある。どこかのトロッコ列車の観光用にでも使われて
いたのだろうか…。

住宅地に入ると、道路側が花で埋もれていたお宅があった。どこから入るのかも分からない
くらい、花に彩られている。

ゴールの若宮八幡宮には、正午ちょうどに着いた。

若宮八幡宮は、江戸時代の「新編武藏風土記稿」にも記されていて、寛政3年(1791)銘
の力石が奉納されているとか。
境内の一隅には、新座で最初の水道(1949)発祥の地であることを記した、「源泉水道
発祥の地」碑が立っていた。

境内で昼食後、記念撮影とミーティングをして、13時近く解散となった。

私は神社北側の車道を北西へ、西武池袋線清瀬駅に向かったが、残暑をまともに受けて
暑いので中断し、少し先のバス停からバスで清瀬駅に出た。
(天気 晴、距離 4㎞、地図(1/2.5万) 志木、歩行地 新座市)

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