春分の日の今日、3月20日(金)は、埼玉県小川町にある父母の菩
提寺に墓参りに出かけました。墓は、次弟夫妻が守ってくれています。
菩提寺は、小川町の東部、上横田(かみよこた)の輪禅寺(りんぜんじ)
です。
輪禅寺は、江戸時代に上横田を治めた武田新十郎信俊が、慶長13年
(1608)に長篠合戦で討ち死にした父・信実(のぶざね・武田信玄の
異母弟)の追福と、一族の菩提寺とするためにたてた寺です。
山門を入ると、左側に並ぶ六地蔵が迎えてくれます。
地蔵堂の背後で、ハクモクレンが咲き出しています。
地蔵堂に相対して、新しい千体地蔵堂が出来ていました。
昨年(2008年)10月19日に建立されたとのこと。
堂内には、高さ20㎝前後のお地蔵さんが千体、整然と並んでいます。
ご住職の奥様が土の仏様に魅せられて、3年かけて心を込めて作り上げ
た手作りのもの。
中央は、京都の仏師・坂井浄雲氏制作の木造地蔵菩薩中尊像。
参詣する人の心に「やすらぎ」が届くようにと、奉納されたようです。
もう少しアップの写真も撮ったのですが、誤って消去してしまいご覧
いただけなってしまいました。
六地蔵の先には、比較的新しい道元禅師像が立っています。
その背後は、これも新しい観音像でしょうか、より大きな像です。
山門の正面に建つ本堂。左手のソメイヨシノが咲くのも間もなくのこと
でしょう。
本堂の位牌堂(いはいどう)には、武田家累代の位牌が並んでいるとの
ことです。
本堂右手に庫裡(くり)があるのですが、庫裡の前には、幾つもの
可愛いお地蔵さんが並んでいました。これはその中の2つ。
これも、ご住職の奥様が制作されたもののようです。
本堂の左手から数段の石段を上がると墓地。その石段の上にある
古いお地蔵さん。
墓地の中央には、武田信俊公以降、第10代までの子孫が葬られ、
50基あまりの墓石が並んでいます。
武田氏一族の墓域は、小川町指定文化財になっています。
父母の墓はこの背後の方に、北側を向いて建っています。
山門の右手では、ユキヤナギが花を広げていました。
山門の前は、田んぼと低い山林が迫っています。
東側の眺め。のどかな田園と里山が広がっています。
私は、中学卒業までこの近くで育ったのですが、当時とあまり変わらぬ
風景のように思われます。
場所は、下の地図の中央の卍マークのところ。国道254号バイパスと
県道11号・熊谷小川線の高谷(こうや)交差点の近くです。
提寺に墓参りに出かけました。墓は、次弟夫妻が守ってくれています。
菩提寺は、小川町の東部、上横田(かみよこた)の輪禅寺(りんぜんじ)
です。
輪禅寺は、江戸時代に上横田を治めた武田新十郎信俊が、慶長13年
(1608)に長篠合戦で討ち死にした父・信実(のぶざね・武田信玄の
異母弟)の追福と、一族の菩提寺とするためにたてた寺です。
山門を入ると、左側に並ぶ六地蔵が迎えてくれます。
地蔵堂の背後で、ハクモクレンが咲き出しています。
地蔵堂に相対して、新しい千体地蔵堂が出来ていました。
昨年(2008年)10月19日に建立されたとのこと。
堂内には、高さ20㎝前後のお地蔵さんが千体、整然と並んでいます。
ご住職の奥様が土の仏様に魅せられて、3年かけて心を込めて作り上げ
た手作りのもの。
中央は、京都の仏師・坂井浄雲氏制作の木造地蔵菩薩中尊像。
参詣する人の心に「やすらぎ」が届くようにと、奉納されたようです。
もう少しアップの写真も撮ったのですが、誤って消去してしまいご覧
いただけなってしまいました。
六地蔵の先には、比較的新しい道元禅師像が立っています。
その背後は、これも新しい観音像でしょうか、より大きな像です。
山門の正面に建つ本堂。左手のソメイヨシノが咲くのも間もなくのこと
でしょう。
本堂の位牌堂(いはいどう)には、武田家累代の位牌が並んでいるとの
ことです。
本堂右手に庫裡(くり)があるのですが、庫裡の前には、幾つもの
可愛いお地蔵さんが並んでいました。これはその中の2つ。
これも、ご住職の奥様が制作されたもののようです。
本堂の左手から数段の石段を上がると墓地。その石段の上にある
古いお地蔵さん。
墓地の中央には、武田信俊公以降、第10代までの子孫が葬られ、
50基あまりの墓石が並んでいます。
武田氏一族の墓域は、小川町指定文化財になっています。
父母の墓はこの背後の方に、北側を向いて建っています。
山門の右手では、ユキヤナギが花を広げていました。
山門の前は、田んぼと低い山林が迫っています。
東側の眺め。のどかな田園と里山が広がっています。
私は、中学卒業までこの近くで育ったのですが、当時とあまり変わらぬ
風景のように思われます。
場所は、下の地図の中央の卍マークのところ。国道254号バイパスと
県道11号・熊谷小川線の高谷(こうや)交差点の近くです。