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あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

牛久沼から涸沼へ88㎞はちはちウオーク(第2日)続き

2008-03-12 21:18:58 | ウオーキング
 2008年3月3日(月)
 =JR常磐線土浦駅~高浜駅(続き)=


 常磐線の下を小トンネルで東に抜けると一帯はハス
田。土浦は日本一のハスの産地である。

 地図上の水田マークのところは、全部ハス田といっ
てよいのではなかろうか。

 その名も十二屋(とうふや)と呼ぶ豆腐専門店の横で
国道と交差し、手野町に入った。県道118号を少しだ
けで、古くからの集落を貫く旧道に回り、集落背後の
台地に上がる。こちらは車の通らぬ静かな道である。

 空禅寺の背後に、樹高13.5m、枝張り約20mと
いうイタジイ(スダジイ)の古木が立つ。なかなかみごと
な枝振りだ。


 その横からは、集落の向こうに水の入ったハス田が
見下ろせる。

 隣の田村町に入ったところにあった老人福祉センタ
ー湖畔荘の横に上がり、広々としたハス田や霞ヶ浦、
土浦の市街地などを眺めながら昼食。今日もおだや
かな日和である。


 静かな畑作地帯を北に向かうと、見慣れぬものが
たくさん捨ててある。

 何かと思ったらハスのくずだった。畑の肥料に
するらしい。

 土浦五中の角から国道354号を少しで北に入り、
谷地田の間を通過してて白鳥町へ。


 小さいお堂の虚空蔵(こくぞう)菩薩堂の先からは、
りっぱな長屋門の家や、生垣を巡らした民家などが
多く、古い街道筋だったことが感じられる静かな家並
みが続く。

 次の菅谷町(すげのやまち)には、面積約6.2haと
いう鶴沼があり、一帯は芝生広場や桜などに囲まれ
た菅沼公園になっている。

 近年できた潅漑用の沼かと思ったら、江戸半ばの
天明年間(1781~)に、現在のかすみがうら市を流
れる一ノ瀬川の水源としてつくられたものらしい。

 民家の散在する沼新田で土浦市を抜け、かすみが
うら市へ。最初の新生集落周辺は開拓地のようで、
沼新田の広場に「偕拓碑」というのが立っていた。

 さらに北東に向かうと、栗畑が増えてきた。茨城県
は栗の産地だが、この辺りもその一翼を担っている
らしい。


 金川の小集落には、かやぶきの平屋が残っていた。


 近くには、りっぱな門構えの旧家も見られた。


 小さい社の愛宕神社で小休止する。

 水田の潅漑用水である菱木川を挟む田園地帯は、
気持ちよい里道が続く。


 相変わらず栗畑の多い飯岡集落を東に進んだが、
杉林の中のY字路で予定の道を見落とし、少し南側
に迂回して県道141号を進んだ。

 やまさんが地図にない家並みに気づき、潅漑用の
池のそばを回って石岡市に入り、井関で予定の道筋
に戻った。

 集落の東北端にあった盛賢寺(せいけんじ)に寄る。
仁王門をくぐると、杉林に囲まれた境内に、歴史を
感じる堂々たる阿弥陀堂があった。

 盛賢寺は、元禄2年(1689)に徳川光圀(みつくに)
の命により、那珂郡額田村から曳(ひき)寺して開山
し、阿弥陀堂には、光圀から拝領した伝・狩野正信
の絵馬があるという。

 代田集落の東側を下って行くと、再び霞ヶ浦が見え
てきた。


 谷地田を抜け、北側の台地の稜線上を北に向かう。
林の中にかやぶきの廃屋が1戸残っていた。

 林が終わると畑作地帯。霞ヶ浦を見下ろしながら進
んで石川集落から霞ヶ浦の西岸に下りる。

 湖岸道路に入ったところで今日の記念撮影をした。

 上空は雲が増え、枯れアシの続く湖畔は、風も出て
寒くなった。下石川集落の北側で湖畔道路は右折して、
恋瀬川の川口に向かって大きく左カーブする。

 風が強まり湖面は波立ち、湖面からのしぶきらしい
ものが感じられる。


 恋瀬川左岸沿いに進むと、堤防は桜堤となる。愛郷
橋を渡って500mほどで今日のゴール、常磐線高浜駅
に16時25分に着いた。

(天気 晴後曇、距離 25㎞、地図(1/2.5万) 土浦、
 常陸藤沢、常陸高浜、歩行地 土浦市、かすみが
 うら市(旧霞ヶ浦町)、石岡市、歩数 39100) 
コメント
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