2008年1月19日(土)
カントリーウオーカー「やまさん」企画の、「関東百駅
巡礼歩行」、5年目に入って最初になる41番目は、JR
東北線宝積寺(ほうしゃくじ)駅11時集合で開催された。
集まったのは東京、神奈川、埼玉、それに地元栃木
からの16人。宝積寺駅は、昨年10月に東西連絡用
コンコースを兼ねた橋上駅になったばかりで新しい。
新しく整備された東口には、建築家・隅研吾(くま
けんご)氏設計の石の蔵をイメージした建物が並び、
それを囲む「ちょっ蔵広場」ができていた。
橋上の改札口そばで記念撮影をして、11時12分に
出発した。
雪の日光連山や高原(たかはら)連峰などが望める
西口に出て、もとは国道4号だった県道101号を少し
南へ、信号のあるT字路を左折して線路の東に回る。
商店街を400mほど、信号のある交差点そばの細
道を左に入ってKさん宅を訪ねる。
昨年12月14日、やまさんの「歩く旅30年」の集い
をした東京・金町の「夢や」の、お姉さんの家があると
聞き訪ねたもの。幸い在宅しておられ、お会いすること
ができた。
交差点際に戻り、斜めの通りを進んで、高根沢町役
場へ。土曜で閉庁日だが玄関は開いていて、町のこと
を少し聞き、パンフレットをもらう。
町内には、東京国際空港(千葉・成田)の建設に伴い
三里塚から移転した宮内庁の御料牧場や、キリンビー
ル栃木工場、宇津救命丸の工場や史料館などがある
という。
役場の南で県道を横断、そばの小さい社を経て、ス
ーパー「Lion D'or」の南側の住宅地を西へ折り返すよう
に進み、踏切を越える。
県道101号を横断しさらに西へ、今日のチェックポイ
ントともいうべき最初の記念碑を見つける。「生駒神社」
と記された碑だが、そばに神社はない。
国道4号に向かって阿久津小の南側の坂を下ると、
がけ下に赤い頭巾を被った3体の地蔵と、数体の石仏
が並んでいた。
ちょうどそのお地蔵さんに、お供えをあげに数人のご
婦人が来た。地蔵さんは子どもを守ってくれるとか。安
産を祈願して1月と8月にお供えをあげ祈るのだという。
地蔵さんの首にかけてある竹筒に、以前は御神酒を
注いでいたのだが、首が重かろうと最近は傍らに注ぐ
ようにしたとも話してくれた。
国道4号交差点際にある稲荷神社社殿横には、祭礼
に使う山車の新しい保管庫ができていた。
跨道橋で国道を越えると田園地帯。男体山や女峰山
など日光連山、その右に雪のない高原連峰、さらに右
奥には雪で白い那須連峰も望見出来る。
写真左から右へ、男体山、大真名子山、小真名子山、
女峰山
鬼怒川左岸堤防に上がり少し上流に進み、枯れ草に
腰を下ろし、県民ゴルフ場の向こうに日光連山などを見
ながら昼食にした。
寒中だが風もほとんど感じず、穏やかな日和である。
20分ほどで食事を終えて堤防を南に進む。ゴルフ場
の下流の河川敷一帯には「鬼怒グリーンパーク」と呼ぶ
施設が広がっている。
冒険の森、水上アスレチックス、ボート池、テニスコー
ト、野球場などがあり、ナノハナやポピー、コスモスなど
の花畑も花どきは見ごとだという。
堤防の東側にある管理事務所横のトイレを借り、次
の石碑ウオッチングへと国道4号に向かう。
管理事務所の近くには、「磧地開発記念碑」があり、
国道交差点際には、りっぱな「百観音霊場巡拝記念碑」
が立っていた。
そばの広い民家、加藤家の奥様が出てこられ、百観
音を巡ったのは、77歳だった祖父母だという。碑には
昭和47年(1972)建立と記されていた。
国道4号の東に並行する旧道を、宝積寺中から宝積
寺下集落へと進み、東側台地上を走る県道101号沿
いにある次の記念碑を目指す。
宝積寺下集落が終わっる辺りで台地下に行き、小さい
ほこらの背後から、斜面林の中をやぶこぎして県道に上
がる。
ホテルCCCのそばに上がり、少し南側に進むと、「野中
満吉翁頌徳碑」が林の中にあった。大正13年(1924)
の建立で、石碑マークの碑としては小ぶりだった。
少し先で左に入り、JR東北本線の深い堀割の上を越え、
線路沿いを300mほどで南へ、3本の送電線下を進んで
国道408号に合した。
高根沢町と宇都宮市の市町境付近から、西側がけ下
の鬼怒川にできている岡本頭首工(とうしゅこう)を目指
すことにする。
道のない畑のあぜと雑草地を西に進む。雑草地には
ツルやバラがあり、ちょっと歩きにくかった。
数戸だけの住宅地の南側から、急な斜面林を下る。
一足ごとにズーッと滑るような急坂を、木につかまりな
がら慎重に下る。
田のあぜを少しと敷石の敷かれた雑草地を進んで、
岡本頭首工の左岸に出た。満々と水をたたえた堰にな
っている。
頭首工とは、河川の流水を用水路に引き入れるため
の施設で、一般には、取水堰(せき)、取り入れ口、付帯
施設及び管理施設から構成されており、用語としては、
明治以来用いられているという。
ちなみに、岡本頭首工は、鬼怒川中流部の水田2518
ha、畑490haの耕地にかんがいを行うために、昭和60
年(1985)完成し、堤長364.5m、堤高2mとのこと。
鬼怒川左岸のコンクリート護岸上を北に向かい、国道
4号の2つの橋、新鬼怒川橋下から鬼怒川橋下まで進ん
だが、その先は護岸がない。
新鬼怒川橋下のがけには、長いつららがのびていた。
鬼怒川橋東詰付近に向かってもう1度急斜面を上が
ることになった。高さは数mながら、垂直に近い斜面を
木やむき出しの根などにつかまり、両手両足を使って
橋のそばに上がった。
このシリーズでは、毎回のようにやぶこぎがあるが、
今日のように3回も、しかも急斜面の上り下りは初めて
だった。
でも昔の娘さん達も、橋のそばに上がったら、かつて
のお転婆ぶりを思い出したのか、「面白かったー!」と
の声が出た。
国道4号をすぐ先の跨道橋で越えて県道101号に回
り、一部往路を通過し線路沿いに進み、15時45分に
宝積寺駅に戻った。
15時54分発宇都宮行き上り電車で帰途につく。
(天気 晴、距離 10.5㎞、地図(1/2.5万) 宝積寺、
歩行地 高根沢町、宇都宮市)
カントリーウオーカー「やまさん」企画の、「関東百駅
巡礼歩行」、5年目に入って最初になる41番目は、JR
東北線宝積寺(ほうしゃくじ)駅11時集合で開催された。
集まったのは東京、神奈川、埼玉、それに地元栃木
からの16人。宝積寺駅は、昨年10月に東西連絡用
コンコースを兼ねた橋上駅になったばかりで新しい。
新しく整備された東口には、建築家・隅研吾(くま
けんご)氏設計の石の蔵をイメージした建物が並び、
それを囲む「ちょっ蔵広場」ができていた。
橋上の改札口そばで記念撮影をして、11時12分に
出発した。
雪の日光連山や高原(たかはら)連峰などが望める
西口に出て、もとは国道4号だった県道101号を少し
南へ、信号のあるT字路を左折して線路の東に回る。
商店街を400mほど、信号のある交差点そばの細
道を左に入ってKさん宅を訪ねる。
昨年12月14日、やまさんの「歩く旅30年」の集い
をした東京・金町の「夢や」の、お姉さんの家があると
聞き訪ねたもの。幸い在宅しておられ、お会いすること
ができた。
交差点際に戻り、斜めの通りを進んで、高根沢町役
場へ。土曜で閉庁日だが玄関は開いていて、町のこと
を少し聞き、パンフレットをもらう。
町内には、東京国際空港(千葉・成田)の建設に伴い
三里塚から移転した宮内庁の御料牧場や、キリンビー
ル栃木工場、宇津救命丸の工場や史料館などがある
という。
役場の南で県道を横断、そばの小さい社を経て、ス
ーパー「Lion D'or」の南側の住宅地を西へ折り返すよう
に進み、踏切を越える。
県道101号を横断しさらに西へ、今日のチェックポイ
ントともいうべき最初の記念碑を見つける。「生駒神社」
と記された碑だが、そばに神社はない。
国道4号に向かって阿久津小の南側の坂を下ると、
がけ下に赤い頭巾を被った3体の地蔵と、数体の石仏
が並んでいた。
ちょうどそのお地蔵さんに、お供えをあげに数人のご
婦人が来た。地蔵さんは子どもを守ってくれるとか。安
産を祈願して1月と8月にお供えをあげ祈るのだという。
地蔵さんの首にかけてある竹筒に、以前は御神酒を
注いでいたのだが、首が重かろうと最近は傍らに注ぐ
ようにしたとも話してくれた。
国道4号交差点際にある稲荷神社社殿横には、祭礼
に使う山車の新しい保管庫ができていた。
跨道橋で国道を越えると田園地帯。男体山や女峰山
など日光連山、その右に雪のない高原連峰、さらに右
奥には雪で白い那須連峰も望見出来る。
写真左から右へ、男体山、大真名子山、小真名子山、
女峰山
鬼怒川左岸堤防に上がり少し上流に進み、枯れ草に
腰を下ろし、県民ゴルフ場の向こうに日光連山などを見
ながら昼食にした。
寒中だが風もほとんど感じず、穏やかな日和である。
20分ほどで食事を終えて堤防を南に進む。ゴルフ場
の下流の河川敷一帯には「鬼怒グリーンパーク」と呼ぶ
施設が広がっている。
冒険の森、水上アスレチックス、ボート池、テニスコー
ト、野球場などがあり、ナノハナやポピー、コスモスなど
の花畑も花どきは見ごとだという。
堤防の東側にある管理事務所横のトイレを借り、次
の石碑ウオッチングへと国道4号に向かう。
管理事務所の近くには、「磧地開発記念碑」があり、
国道交差点際には、りっぱな「百観音霊場巡拝記念碑」
が立っていた。
そばの広い民家、加藤家の奥様が出てこられ、百観
音を巡ったのは、77歳だった祖父母だという。碑には
昭和47年(1972)建立と記されていた。
国道4号の東に並行する旧道を、宝積寺中から宝積
寺下集落へと進み、東側台地上を走る県道101号沿
いにある次の記念碑を目指す。
宝積寺下集落が終わっる辺りで台地下に行き、小さい
ほこらの背後から、斜面林の中をやぶこぎして県道に上
がる。
ホテルCCCのそばに上がり、少し南側に進むと、「野中
満吉翁頌徳碑」が林の中にあった。大正13年(1924)
の建立で、石碑マークの碑としては小ぶりだった。
少し先で左に入り、JR東北本線の深い堀割の上を越え、
線路沿いを300mほどで南へ、3本の送電線下を進んで
国道408号に合した。
高根沢町と宇都宮市の市町境付近から、西側がけ下
の鬼怒川にできている岡本頭首工(とうしゅこう)を目指
すことにする。
道のない畑のあぜと雑草地を西に進む。雑草地には
ツルやバラがあり、ちょっと歩きにくかった。
数戸だけの住宅地の南側から、急な斜面林を下る。
一足ごとにズーッと滑るような急坂を、木につかまりな
がら慎重に下る。
田のあぜを少しと敷石の敷かれた雑草地を進んで、
岡本頭首工の左岸に出た。満々と水をたたえた堰にな
っている。
頭首工とは、河川の流水を用水路に引き入れるため
の施設で、一般には、取水堰(せき)、取り入れ口、付帯
施設及び管理施設から構成されており、用語としては、
明治以来用いられているという。
ちなみに、岡本頭首工は、鬼怒川中流部の水田2518
ha、畑490haの耕地にかんがいを行うために、昭和60
年(1985)完成し、堤長364.5m、堤高2mとのこと。
鬼怒川左岸のコンクリート護岸上を北に向かい、国道
4号の2つの橋、新鬼怒川橋下から鬼怒川橋下まで進ん
だが、その先は護岸がない。
新鬼怒川橋下のがけには、長いつららがのびていた。
鬼怒川橋東詰付近に向かってもう1度急斜面を上が
ることになった。高さは数mながら、垂直に近い斜面を
木やむき出しの根などにつかまり、両手両足を使って
橋のそばに上がった。
このシリーズでは、毎回のようにやぶこぎがあるが、
今日のように3回も、しかも急斜面の上り下りは初めて
だった。
でも昔の娘さん達も、橋のそばに上がったら、かつて
のお転婆ぶりを思い出したのか、「面白かったー!」と
の声が出た。
国道4号をすぐ先の跨道橋で越えて県道101号に回
り、一部往路を通過し線路沿いに進み、15時45分に
宝積寺駅に戻った。
15時54分発宇都宮行き上り電車で帰途につく。
(天気 晴、距離 10.5㎞、地図(1/2.5万) 宝積寺、
歩行地 高根沢町、宇都宮市)