あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

「かえる展」と中山道蕨宿へ(埼玉県蕨市)

2007-08-25 12:35:27 | ウオーキング
 昨日(8月24日)中にアップする予定が、時間が無くな
り、日付が変わってしまいました。

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 8月24日(金)

 明日からまた残暑が戻るようなので、今日出かけなくて
はと思い、日本一小さい市、埼玉県蕨市を訪ねた。



 蕨市は、東西3.5km、南北1.7km、面積5.10k㎡
の中に人口7万3千人が住み、人口密度も日本一である。

 JR京浜東北線西川口駅で下車して西へ、街路樹のカリ
ンが実る「カリン通り」を進んで、河鍋暁斎(かわなべきょ
うさい)記念美術館に正午近くに着く。

 今日の目的は、この美術館で開催中の「第21回かえる
展」を見ること。都内のウオーキングで知り合った東京北
区のSKさんから、案内をいただいき、昨年も訪ねたおな
じみのところ。

 カエル好きな会員が、自分で集めたカエルのコレクショ
ンをたくさん展示して、人気投票をする、毎年同じ時期恒
例の催しである。

 SKさんも、かえる友の会の有力メンバーで、毎年たく
さんの作品を出展している。

 ちなみに、絵師・河鍋暁斎(1831~89)は、浮世絵、
狩野派双方の素地を持つ絵師で、幕末、明治維新、文明
開化と大きくゆれ動いた時代に、仏画から風刺画まで、幅
広いジャンルの作品を描いている。

 中でも風刺画などでカエルの絵を多数残しており、描か
れたカエルの表情はユーモアにあふれ、カエル好きであっ
たことで知られており、それが縁で、かえるの会の事務局
もここに置かれているようだ。

 暁斉のカエルなどの絵や、かえる展のたくさんのコレク
ションを鑑賞し、新しく出来たミュージアムショップものぞ
いて、美術館を出た。

 次の目的地は中山道蕨宿。毎年の中山道ウオークで何
度か通過したところだが、少し時間をかけて歩いてみよ
うと思ったから。

 カリン通りを西へ少し、南町4丁目の交差点際に、りっ
ぱな長屋門の民家があった。

 板倉家で、右側の塀の中には、蕨市文化財の青面金剛
や庚申塔、地蔵尊などが残されていた。

 カリン通りの延長、下蕨公民館通りを西北に進み、中央
6丁目で国道17号とのY字路付近に出て、東に並行する、
旧中山道に入る。

 Y字路に立つ蕨宿の標識。

 
 歩行者レーンに埋め込まれた中山道各宿場のタイル画。
南から北へ、100mくらいの間隔で順次、次の宿場のタ
イル画が続く。


 通りには、幾つか古い商家や民家が残っている。


 蕨郵便局の前には、こんな蕨宿の絵図があった。


 すぐ先、通りの反対側に、蕨市立歴史民俗資料館
分館がある。明治時代の織物の買継商をしていた家
をそのまま利用したもの。
(入館無料、休館は月曜、休日、年末年始など)

 左手の門を入ると、古い建物の内部が見られ、広
い庭には池を中心に、松やシュロ、ツツジなど、豊富
な植え込みに囲まれている。
 

 さらに200m余り進み、蕨市立歴史民俗資料館の
本館にも寄る。(入館無料、休館は月曜、祝日、毎月
末、年末年始など)

 1階の常設展示コーナーには、中世の文書や板碑、
江戸時代の旅の持ち物や通行手形、蕨宿の本陣や
全体の復元模型、戦中戦後の暮らしの資料や道具、
蕨の学校教育や織物の道具などを展示している。

 2階の特別展示室では、企画展「戦中・戦後のくら
し」という平和祈念展を開催中(8月末まで)。

 召集令状、出征兵士の遺書、壮行会の写真、隣組
や町内会の活動を紹介する写真、戦時中のポスター
や代用品、代用食などが紹介されていて、日本がい
かに貧困な資材で戦ったかが分かり、戦争の悲惨さ
と平和の尊さを改めて認識させられた。

 また、蕨市内は昭和20年(1945)に3回の空襲を
受け、埼玉県内では、終戦前夜に大空襲を受けた
熊谷市に次ぐ死者だったことを知った。
 
 資料館付近は、蕨宿本陣や脇本陣、高札場などが
あったいわば蕨宿の中心だったところ。

 そばの交差点際にある、讃岐うどんの店、四国屋
に入り、讃岐うどんと山かけ丼のセット(740円)を
注文し、遅い昼食をする。
 

 さらに進むと、古い薬局も残っていた。

 
 せんべい店の横に「地蔵の小径」の石標があり、そこ
を斜めに入ると、江戸時代からの古寺、三学院の入口
に突き当たる。

 この日は夜、地蔵尊大護摩供修行というのが行われ
るようで、ちょうちんが下がり、檀家の人びとが準備を
進めていた。

 正面の本堂は、鉄筋コンクリート造りで新しいが、そ
の大きさが、この寺の古くからの隆盛を示している。

 手前に並ぶのは、「南無遍照金剛」と施主の名の書
かれた卒塔婆。夜の祭礼で供養されるようだ。

 広い境内には、三重塔、弁天堂、仏舎利殿、など、
比較的新しい建物が並び、墓地には、蕨宿の本陣、脇
本陣を勤めた家の古い墓石群や、江戸時代中期の大
きな宝篋印塔(ほうきょういんとう)が並んでいる。

 門前の小屋には江戸時代初期の造立という目疾(め
やみ)地蔵(手前)と六地蔵、奥に高さ2.4mの子育
地蔵が立っている。
 

 中山道に戻り、左カーブして国道17号に合流すると
蕨宿の北端となる。合流点(下の写真のすぐ右)に、
「中山道ふれあい広場」とよぶ小さな広場があり、蕨宿
の説明板や、からくり火の見やぐらなどがある。


 帰路は、JR京浜東北線蕨駅か埼京線北戸田駅が
近いが、もう少し歩くことにして、埼京線戸田公園駅を
目指す。

 国道17号の西に出て折返し、南に向かう。錦町1丁
目から戸田市に入り、「きせつのみえるせせらぎのこみ
ち」と名付けられた、細いせせらぎの流れる市役所通り
を進む。

 戸田市役所と戸田市文化会館、後谷公園の間を抜け、
16時ちょうど、戸田公園駅に着いた。

(天気 晴、距離 6km、地図(1/2.5万) 赤羽、歩行地
 埼玉県川口市、蕨市、戸田市)
 
コメント (2)
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