あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

第7次中山道ウオーク(軽井沢~塩名田)

2006-05-23 21:35:08 | 中山道を歩く
 今日は、中山道ウオークに参加して2日目の模様です。

06年5月16日(火) 軽井沢~塩名田
 宿泊したホテルのバスで軽井沢銀座のロータリーまで送ってもらい、39人が
8時7分にスタートした。天気は曇り空である。


 和田さんのゼッケン、今日は軽井沢にちなんだメッセージに付け替えられて
いた。



 別荘地を西北に進み、国道との合流点にあったセブンイレブンで昼食を仕入
れる。500mほどは国道18号を行く。まだヤマザクラが咲いている。国道と、
しなの鉄道の南側に回ると、前山の離山から離れてきたので、浅間山が見えて
きた。

 中軽井沢駅の東側で再び線路の北に回って国道に入り、中軽井沢駅で休憩
する。

 われわれとは逆に、塩尻を出発して中山道を6泊7日で歩き、19日に浅草寺
にゴール予定という菅笠、白衣に西国巡礼の輪袈裟(わげさ)をかけた遍路姿の
10数人と行き違い、お互いの行程の安全を祈って分かれる。中軽井沢は沓掛
宿だが、その面影は感じられなかった。

 借宿の遠近宮という珍しい名前の神社で小休止、国道に戻ると「只今の気温
12℃」と表示されていた。やはりかなり涼しい感じだ。

 江戸から39里という追分け一里塚には、梨の大木と芭蕉句碑があった。


 すぐ先にある浅間神社で休憩。本殿は室町時代初期の様相を残す流造という
珍しい造りで、町内最古の建築物だという。広い境内には、追分節発祥の地碑
や、「ふきとばす石も浅間の野分かな」という芭蕉句碑などがある。

 さらに500mほどで中山道と北国街道との分岐点、分去れ(わかされ)。道標
や常夜灯が立っている。

 国道18号に分かれて左に入る。満開の八重桜が数本並ぶ小公園があった
ので、桜を背に記念撮影する。


御代田(みよた)駅の近くに残る御代田一里塚には、しだれ桜の巨木があり、
花どきにはさぞ見事だったろうと思われる枝振りを見せていた。


 御代田駅の東側で信濃鉄道の線路をくぐる。すぐ先にあった竜神の森公園に
11時40分に着き昼食。雨がぱらついてきたので竜神の館と呼ぶ建物の下に
腰を下ろす。しかし雨は本降りにはならなかった。12時24分に出発する。


 比較的車の少ない車道を南西に進む。小田井宿本陣跡の安川家住宅など、
中山道の面影をしのばせる家もわずかに残っている。


 上信越自動車道佐久ICがに近づく頃から、リンゴ畑が増えてきた。ちょうど
白い花が見頃である。

 上信越道は堀割になっている上を橋で通過したので、気づかなかった人も
多い。交通量が増え、沿道にも首都圏郊外と同様な大型店舗が並んでいる。

 左側にあった住吉神社の境内に、根元にこぶがたくさん付いた太いケヤキ
が若葉を広げていた。根元は10人抱えくらいもあろうか。しかし樹齢などは
記されてなかった。


 ほどなく佐久市の中心、岩村田宿の市街地に入る。南北に走る国道141号
にはアーケードもある。その中ほどを東に少し入って、中央公園で休憩し休止。
清田さんのリードでストレッチ体操をして疲れをとる。

 北側には浅間山も再び姿を見せ、近くで、今年初めてのカッコウの鳴き声を
聞いた。

 小さい川の先で、畑の土を十数人の人が発掘していた。聞くと、平安時代の
水田跡だが、土器などは見つかっていないとのことだった。


 水の入った水田が増え、すでに田植えの済んだところもある。湯の丸高原や
八ヶ岳などが水田に影を映し、昔ながらの中山道の雰囲気が感じられる気持ち
よいところだ。


 塩名田宿の手前、下塚原集落の駒形神社に寄り休憩。赤松の多い境内、覆屋
で保護されている本殿は、文明18年(1486)の建立と伝えられている
とか。石段横には、男女を象徴する石が鎮座していた。


 塩名田宿に入り、佐久市公民館浅科地区館に15時35分に着いた。待機して
いた宿のマイクロバス2台に分乗して、40分ほどで国民宿舎もちづき荘に入る。

(天気 曇り、距離 29km、歩行地 長野県軽井沢町、佐久市)
コメント
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