あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

関東山の辺の道(8) 桜川市真壁町~真岡市北山

2006-05-06 23:26:23 | 関東山の辺の道
 東京スリーデーマーチが終わり、今日はちょっと疲れが出た感じです。

 本日のレポートは、先々週歩いた「関東山の辺の道」8日目のレポートです。
昨年10月の中断以来、半年ぶりの歩きでした。


4月24日(月)
 前日宿泊した下館市のビジネスホテルを出て、下館駅8時発のバスで真壁駅
終点まで行く。

 前夜からの雨が上がり、青空も見えてきた。ウグイスのさえずりに送られ、
バス停そばの「つくばりんりロード」真壁休憩所を、8時40分にスタートした。

 りんりんロードは、筑波鉄道筑波線の廃線跡を活用した全長約40㎞の自転車
道。田んぼの横でカエルがにぎやか。

 「土浦31㎞、岩瀬9㎞」の表示近くに、ナノハナやしだれ桃が咲く。2㎞ほど
で旧樺穂駅跡。ホームが残り、太い葉桜が覆い被さるように並んでいる。


 田園地帯を抜けるりんりんロード沿いに植えられた、八重桜の若木は、ちょう
ど花が見ごろである。

 東側の筑波山から加波山(かばさん)に続く山並みは、上部を雲に覆われて
姿は見えない。間もなく田植えか、水の入った田んぼが多い。

 4㎞ほど先の東飯田でりんりんロードに分かれ、西方の集落を抜ける。この
辺りは、穂の出始めた麦畑が多い。

 桜川の支流を越えて阿部田集落へ。5差路に大きな馬頭尊が4基、回りは
シバザクラに彩られていた。屋根が痛んではいるが、かやぶきの家があった。

 集落を抜けると桜川が近づく。加波山から採掘した石を加工する石材所が
あり、加工した石がたくさん干してある。この先でも何か所かで見た。

 県道343号に出て桜川の羽田橋を渡る。木崎集落に后(きさき)神社があった。
平将門の后・須勢理毘売命を祭り、木崎の地名はここから来ているらしい。

 県道148号との交差点にあった農産物・加工品直売所に入る。地元や県内
産のこだわり商品のみを販売しているという。


 大岡小北側の細道を入って大国玉神社に参拝。続日本書紀に記された古社で、
慶長年間に徳川幕府から御朱印20石を賜ったという。ケヤキ、イチョウ、サカキ
など豊かな緑に囲まれた境内で小休止する。

 木崎集落の先の畑にキジがいた。近辺でも何か所かでキジの声を聞く。


JR水戸線が近づき、線路の南にある大池に出た。淡い新緑が池に影を映し、
池は静まりかえっている。


 雲が切れて加波山がほぼ全容を見せてくれた。東には雨引山らしい穏やかな
ピーク(写真)も見える。

 水戸線の北に出て古郡集落を抜ける。広々とした畑の辺りは、国史跡の新治
郡衙(にいはるぐんが)跡である。

 奈良時代の常陸国(ひたちのくに)新治郡の郡役所跡で、昭和16年(1941)
と18年の調査で51棟の建物群が確認され、その範囲は12haに及んでいた
と推定されるという。

 400mほど先、国道6号の北側一帯は国史跡・新治廃寺跡。梅畑や畑の中
に東塔、金堂、西塔、講堂跡の土壇が残り、これらをめぐる回廊や中門、食堂、
僧坊、経蔵などの遺構もあるという。

 金堂跡には、幹回り10mを超す大きな広葉樹がいっぱいに枝を広げていた。

 すぐ先の神社の角を右折、北に進む細い車道へ。神社の裏手にアシの茂る池
があり、そばに10数本の八重桜が咲く。木の下で花を眺めながら昼食をした。

 この道は、桜川市で設定した「いきいきロード」とよぶ散歩道。右に淡い新緑
の林、左に水田が4㎞近く続き、キジやウグイス、コジュケイが鳴いた。

 県道45号に出て、旧協和町の町並みの北側へ。緩やかな峠の頂上が茨城県
桜川市と栃木県二宮町の県境。歩き始めて8日目で茨城県を抜けた。

 
峠を下って行くと北方の展望が開け、水戸部集落の先で小貝川を渡る。橋の北側
で北関東自動車道の延長工事中。田んぼの中に高い土堤が伸びていた。

 次の高田集落の西側に、4つの寺が隣接していた。一番南が高田泰澄寺。緑に
囲まれた境内の一角に、上部が仏舎利塔、下部が国宝や古文書を収めていると
いう宝物殿があった。
 
 北側には真宗の遍照寺と大屋根の寿松寺が道を隔てて並んでいる。

 寿松寺の北が真宗根本道場の専修寺(せんじゅじ)。親鸞聖人が52歳の時
この地に来て、長野の善光寺から一光三尊仏を迎えて本尊としたのがこの寺の
草創という。

 国重文の山門、かやぶきで国重文の総門、同じく国重文の如来堂(写真)、大きな
かやぶきの庫裡(くり)、風格ある鐘楼堂や鼓楼(ころう)など、幾つもの建物の並ぶ
境内は1400坪を越し、境内自体が国史跡である。

 寛保3年(1743)頃の建築という大きな御影堂(みえどう)にお参りし、さらに
新涅槃堂にも上がって、3mに及ぶ日本一といわれる大涅槃像にも手を合わせる。

 親鸞聖人お手植えと伝わる大ケヤキが門前に立っていた。広い境内なので拝観
を終えるまでに約30分を経過した。


 西北西に2㎞ほどには、二宮尊徳を祭る二宮神社があった。
 二宮尊徳は、文政6年(1823)に着任、荒れ果てたこの地の復興のため、
村民に勤勉を説き、表彰制度を設けて生産意欲を高め、自らも先頭に立って、
道路や用水路、堰(せき)の改修を行った。

 その仕事は36歳から26年間に及び、その結果、豊かな村に生まれ変わり、
二宮尊徳の名は、全国に知れ渡ったという。

 二宮神社は、遺徳を尊崇するため、尊徳50年祭の明治38年(1905)に
創建された。遺徳にふさわしいシンプルな社殿である。境内の一角に、二宮尊徳
資料館があるが、この日は月曜で休館日だった。


 神社西側は桜町陣屋跡。二宮尊徳が居住したというかやぶきの陣屋跡の建物
が修復して復元されており、一帯はサクラなどの植え込みや芝生地。満開の
シバザクラが鮮やかな色を見せていた。

 神社の南にある蓮城院の墓地には、二宮金次郎の墓があった。

 桜町の十字路から県道166号を東北に向い、真岡(もおか)市に入る。歩道の
ない2車線の車道をダンプが高速で通過するので、東大島の十字路で平行する
東側の道に回った。

 山前南小の東からしばらくは、広々とした田園地帯。向かい風がやや強くなり、
ちょっと涼しくなってきた。

 散在する根本の小集落を抜け、柳久保から山根へと山すそと田んぼの間を急ぎ、
17時45分に今日の終着地、真岡鐵道北山駅に着いた。

 片側ホームだけで駅舎はない。乗客のほとんどが高校生の、17時57分発
下館行き1両のディーゼル車で下館に向かった。

(天気 曇り後晴、距離 31㎞、地図(1/2万5千) 真壁、岩瀬、真岡、歩行地
 茨城県桜川市、栃木県二宮町、真岡市)
コメント
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