魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

時の記憶

2020年01月22日 | 日記・エッセイ・コラム
阪神・淡路大震災から25年目の番組が多く組まれていた。東日本大震災10年後は政府としての追悼は行わないとの発表に、複雑な反応があった。
阪神当時生まれた人はもう25歳になる。実際に体験した人は昨日のことのように憶えているが、その後に生まれた人たちの感覚がどのようなものか、体験者には逆に、解らないだろう。

後に生まれた人の感覚がどのようなものか、体験談から考えると、理解できるかも知れない。
生地で、大きな地震があった。この時、18歳だった叔母が亡くなったのだが、その4年後に生まれたので何も知らない。東日本大震災なら、2015年に生まれたことになり、今年5歳になる。
物心ついた時から、母を始め、周りの大人も事あるごとに震災の話をしていたが、戦後のことでもあり、戦争の悲惨な話も日常を埋め尽くしていたので、震災だけが特別な話のようには思えなかった。今なら、相次ぐ自然災害のようなものだ。

ただ、地震というものに対する心構えは、心に深く刻み込まれたように思う。また、情報番組では伝えないであろう、下敷きになった人を火災から救うために、麻酔もなく足を切断した様な生々しい話は、心に深く刻み込まれている。

その後の人生においても、地震に関する報道となると常に目が離せない。NHKは年がら年中、地震の番組ばかりやっているような気がするくらいだ。
だから、東日本大震災の時は、誰もが津波から避難し、途上国のスマトラ地震のような被害者は出ないと信じていた。被害者数が明らかになるにつれ、逆に怒りのようなものさえこみ上げてきた。
地震そのものの被害はどうしようもない。しかし、津波は避けられる。そしてどうしようもなく腹が立ったのは原発だ。

もし、原発関係者が、地震体験をしていれば、あるいは、身近な人の追体験をしていれば、あんな馬鹿げた建設、管理はしなかっただろう。
戦争や災害の恐怖は、体験でなければ理解できない。知識を学校だけで身につけていると、全てが仮想世界であり、現実的な判断ができなくなる。優秀な学生であればあるほどそうだ。原発関係者はまさに優秀な人々であり、あの大災害をイメージできなかった。
原発関係者だけではない。今日の日本を動かしている「優秀な人々」はゴーンにあざ笑われ、悔しがっているが、ゴーンのような現実に生きる「無国籍(多国籍)」人は、法やルールのような仮想知識は道具としてしか見ていない。先ず何を相手にするべきかを知っている。

震災後に生まれた人たちは、直接語り継ぐ人たちの実感を受け継ぐが、その次の世代は仮想知識になる。しかし、現代には映像記録がある。直接体験した人には見たくない映像だが、第三世代には大いなる遺産として、体験証言録と併せ、子供の時から必ず視聴して、追体験すべきだろう。