魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

加藤の乱

2008年06月08日 | 星の流れに

秋葉原の無差別殺人。満月でも新月でもない。
月と火星の0゜、海王星との180゜など、色々に説明は付くが、これは事件と言うより、世相として考えるべきだろう。

「世の中が嫌になった」から無差別殺人。何でそうなるんだと、誰でも思うかも知れない。
しかし、天王星/魚座時代の世相現象そのものだ。

魚座=海王星の虚構世界では、自分の存在が解らなくなる。
命の尊さとは、自分個人の命なのか、他人と共有する類的、社会的な命なのか解らなくなり、自分の命=他人の命、という感覚になる。

「他人を殺してみたい」のは、自分の命の大切さを、他人を殺すことによってしか理解できないからだ。自分を殺せばすべてが終わってしまうので、他人を殺して、命の実感を確かめたい。
同じ事は
自殺したいのに、自分では死ねない。死ねないなら、そこで命の大切さに気づきそうなものだが、他人によって殺して貰えば、死ねないはずの大切な自分の命も、自分を越えて、殺すことができる。
そこで、集団自殺や、死刑願望が出てくる。
「人を殺せば死刑にして貰えると思った」・・・となる。

もちろん、これらの動機は、世の中の人が気づかない以上に、本人は無自覚だ。

「星の流れに」で縷々説明しているが、魚座は鏡だ。主客が錯乱する。対極の乙女座に土星が入ってから、ますます社会的に錯乱現象がひどくなっている。(バラバラ、ガスなどの事件も)
またも海王星の7

「秋」葉原は、やはり乙女座なのだろう。元々「家電」で知られた。
魚座時代に「メイド」や、「萌え」など魚座現象で脚光を浴びたが、土星が入ってからはネガティブ事件ばかりだ。


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