魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

呼吸は無自覚

2007年10月21日 | 兄弟関係

悪平等が産むいじめ
生まれながらの王のような、階級社会の頂点でない限り、人間はすべてコンプレックスを持っている。また、よほど恵まれた家族関係でない限り、長子以外は、自動的にコンプレックスを持つようになる。
負けず嫌いで、しかも、親分子分の関係を求める。

この次三男魂は、人口比からすれば世間一般であり、この感覚を持ち合わせない甚六=長子に対して、時に安らぎを覚えたり、時に空気の読めないバカと思ったりする。そして、長子が弱者や目下であれば、いじめの対象にする。
この理由には、押さえられた思い、長子的な言動への潜在的な憎しみもある。つまり、弱い長子なら徹底的に復讐したくなる。
長子的とは、群れになじまず、自分のやり方にこだわる言動だ。

近年のいじめは、グループに長子的リーダーがいないこと。一方で恵まれた環境で、みな長子(一人っ子)的に育っていることにある。
昔の子供集団には年齢幅があって、上下の秩序があったが、学校という対等関係の中では、先生が番長でないかぎり押さえる人間がいない。もちろん先生は番長ではないから、学校はリーダー不在の集団だ。

「気は優しくて力持ち」と表されるような、真にリーダー的責任感を持った人間が、自然の流れの中でリーダにならない社会では、機械的に上の地位に立った者が、歯止めのきかない横暴を行う。

軍隊と学校
この典型例が昔の軍隊で、リーダー資質のない上官が非道を行った。
現代では想像のつかない軍隊社会のことは、様々な軍隊映画、兵隊映画や小説でかいま見ることができる。
軍隊社会の実像を知らない人には、そうした古い作品を先入観無く、なるべく多く観て欲しい。技術が劣る分だけ、背景が良く解る。
軍隊のなごりさえ知らず、軍国日本を資料や歴史観だけで評価する若者は、歴史の実体を体験者の感覚を通してかぎ取って欲しい。

軍隊モノの原作を書いた人たちは、学徒兵など、当時としては人間的にゆとりのあった人たちなので、非人間的な社会に怒っている。
軍隊は、陰湿ないじめ社会の究極であり、日本の潜在的な暗部だが、多くの兵隊は、丁稚や村落共同体から来ていたので、不条理にあまり違和感を覚えず、むしろ懐かしがったりする。

今の若者では耐えられないと同時に、やはり究極のいじめが起こるだろう。もしかすると、組織が維持できないほど、もっとひどいかも知れない。

学校を基盤とする現代社会は、真のリーダーを生まない。
諦観のない野次馬マスコミはゴシップばかりを暴き立て、機械的仕組みの中で生まれる政治家は、足の引っ張り合いに終始する。

何ごとも、ただ学校を卒業して職に就いた無定見であり、去勢が出世の前提となる宦官制度と同質だ。
つまりは、学校とは科挙より去勢の場であり、いかに教育改革をしようとしても、宦官によって、宦官はなくならない。
別の言い方をすれば、ロボットによるロボット工場から、人間は生まれない。