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交通の命 2

2022年10月18日 | 日記・エッセイ・コラム

山手線運行の無人化が進んでいる。将来の人手不足に備え、段階的に進めているそうだ。
これは必然の流れだ。昔は、バスに車掌、エレベーターにエレベーターガールがいたし、エスカレーターの前には必ず係が立っていた。今の人には、滑稽かも知れない。
技術が進み人が慣れると要らなくなるものでも、それが無くなる時には抵抗を感じる人がいる。しかし、公共交通機関は、可能なら人手によらない方がいい。山手線も新幹線もエレベーターやエスカレーターの一種なのだ。

この感覚は、日本人の共同文化の方が馴染みやすいかも知れない。公共交通の先輩である欧米人は、船や飛行機を動かす人に拘る。船旅で船長が挨拶に回ったり、飛行機の機長が挨拶をするのは欧米のヒロイズムだ。シベリア鉄道に乗った時、キャプテン(機関手?)が挨拶に来たのには、昔の日本人としては驚かされた。
鉄道大国の日本人にとって、鉄道は既にエレベーター同様になっていたからだ。
今は逆に、長距離バスの運転手も挨拶するが、これは欧米式の再輸入だろう。

公共交通が無人化すれば、今よりはマニアが減るかも知れない。エレベーター・オタクが滅多にいないのは、建物に同化され人の関与が見えないからだろう。
鉄道が社会のエレベーターになれば、もっと物流の方に目が行く。
戦後の鉄道は、自動車通勤や長距離トラックによって在来線の需要が減り、田舎暮らしは自動車だけに頼り、末端のローカル線から徐々に消えて行った。
しかし、家を出てから目的地まで、エレベーターを利用するように移動できるなら、長い時間を運転して通勤する人はいなくなり、貨物列車とローカル配送が切れ目なく繋がるなら、長距離トラックは要らなくなる。自動車社会は、その発展過程で自動車だけしか考えて来なかった。

今や、エコと労働力、そして大きな経済効果の観点から、自動車一辺倒を見直す時が来ている。
もし、ガソリン1リッターが一万円なら、今のような乗り方をするだろうか。排気ガスより現実的な問題が、化石燃料の枯渇であり、電気自動車とて発電は無限ではない。
目先の利便性のためにエネルギーを無駄遣いするのではなく、より良い社会のためにエネルギーの使い方を考え、効率の良いシステムを先に考える。そういう時代への転換が始まっている。

今すぐできること
貨物列車と地域配送の一元化や、水素エンジン、燃料電池車や電気飛行船、ハイブリッド帆船など、技術開発が進めば可能なことは多いが、今このままでもできることは、ルールの変更だ。
自転車と乗れる鉄道は、ルールだけでできる。無論、専用車両があればなお良いが。
廃線や減便で廃れる一方のローカル線は、地方の生活環境から考えるべきで、鉄道より広いエリアに住む住人の利便を考えれば、「駅に行くまで、駅を降りてから」を切れ目なくすることが最重要で、人と自転車・バイクを同時に運べば。家や学校・職場、買い物のエリアが一つのビルの中のようになる。駅まで繋ぐバスを増やすより簡単だ。

また、利用人口が大きな都市では、鉄道のホームとバス停を一つにして欲しい。海外では昔からそうなっているところがある。これも鉄道に対する認識の違いだろう。鉄道の相互乗り入れが進んでいるが、IC化が進めば、バス乗り換えも改札など要らないはずだ。
一方、廃線になってまだ線路があるなら、工事点検用のカートのようなものを利用させて欲しい。廃線になって困る、たった一人の高校生の話など、レールの上を走る自転車やバイクは無いものかと思う。使えるのであれば、利用の知恵や事故対策の知恵はいくらでもある。