今年も既に2日過ぎた。半年目ぐらいに、「早いなあ!」と思うのは普通だが、案外、冬至や正月後の1、2日目には、日々の経過に焦りを感じる。
日頃、価値ある生活をしている世間の人々にとっては、有意義な休日でも、年中だらだらと過ごすぐうたら者は、「既に2日!」と、鐘を叩かれたような衝撃を受ける。
とは言え、日頃の心がけに関係なく、正月に気が緩むのは世の常らしく、暴飲暴食や思わぬ事故が多発する。昔の正月は特別で、小学校の冬休み明けに、担任の先生がお腹を壊して休んでしまったのには驚いた。五年生だったから、お人好しの先生が断り切れず、年末年始に暴飲暴食をしたのは容易に想像できた。既に高度成長期で、戦時に食べられなかった日本中の人々が豊食に酔っていた。冬のこの時期は身体の機能が低下することを、先生は身をもって教えてくれた。
正月のたびに、正月が宗教行事であることを思い起こすのだが、コロナで正月をしない人が増えている。収まればまた始まるが、やはり、コロナは時代の鐘だ。既に起こっていたことに、ハッキリ区切りを付けた。改宗はしないが信仰心はなくなる。
テレワーク、人口移動、物流、基幹産業、脱炭素・・・技術革新によって既に始まっていた21世紀への「脱皮」の皮が破れたのだ。もう引き返せない。
正月行事はまた始まるだろうが、人々の意識は変わる。旧暦から新暦に変わり、尺貫法からメートル法に変わった頃、10年ぐらいは混乱が続いたが、今では旧暦も一銭も解る人がいなくなった。名前は初春でも真冬であり、2個1円のアメ玉1個は買えなくなった。
東京に進学就職し、満員電車で通勤し、酔っ払って終電で帰るストーリーが完全に終演した。10年ぐらいは余韻があるかも知れないが、いつまでも利権にしがみつきモタモタしている人は、帰りの電車に乗り遅れる。
現在の政官財のトップにいるような人には、事態が全く見えないだろう。彼らは終わったストーリのヒーローだからだ。
高度成長、バブル崩壊は一つの戦後物語であり、もうこれ以上何度回しても新しい話は始まらない。アベノミクスは規制の利権を崩すことなくただのバラマキ、派手な花火のフィナーレで終わった。
結局、戦後物語を捨てて一から始めるしかないが、黒船か「ゆとり世代」の成長を待つしかないだろう。
なぜなら、日本は戦後モデルの抜け殻にしがみつき、単一価値観に染められた死体になっているからだ。