魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

妙な一致

2018年05月27日 | 星の流れに

日大アメフトの反則事件で、理事長とともに日大のドンのように言われている「内田正人」だが、少し前には、東京都議会のドンと言われたのが「内田茂」だ。
新潟の小二少女の殺害犯は「小林遼」だが、2004年、奈良の小一少女を殺害したのが「小林薫」だった。
ごくピンポイントの事象に、同姓がダブっている。新潟の事件を聞いた時には、一瞬、「え、再犯か!?」と、錯覚したぐらいだ。
これはただの偶然だろうか、それとも、何かの因縁だろうか。

その前に、全国の小林さんのために断っておきたいのは、小林という姓が少女殺害を犯すわけではない。たまたま同じ、極めて珍しい事象だ。

では、占い的にはどう考えたら良いのだろう。
様々なことが考えられる。例えば、東京の文化と内田姓のルーツの相性とか、内田姓の姓名学的資質とか・・・幾らでも考えられるが、占星学的理解は、こうした合理的因果関係に結びつける解釈は、避けるべきだろう。
占星学的には、宇宙の流れ、周期の位置において意味しているものが、たまたま内田姓と一致し、世相として現れた。そう解釈する。様々な世界の、様々なドンがいる中で、「内田」が表に現れ世相を風靡したに過ぎない。
小林もまた、周期として現れる意味の一致という事だ。性犯罪者は幾らでもいて、名前も様々だ。

サソリ座」で、白石の例をあげたように、内田や小林の意味も、現在の惑星に関係しているのだろうが、今回はどうも、調べるほどの情熱が沸かない。