魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

何だろう

2017年11月28日 | 日記・エッセイ・コラム

駅のトイレで、女子用からの大行列ができていた。その隣にある障害者用トイレから、出てきた健常者の女性に、入口で車いすの女性が、健常者と見るなり、聞くに堪えない誹謗の罵声を浴びせ始めた。
出ようとした20歳ぐらいの女性は、「ごめんなさい、ごめんなさい」と、小さくなって謝っているが、車いすで入口をふさがれているので出るに出られない。つまり、車いすの女性は、怒鳴る余裕があるほど、切羽詰まってはいないと言うことだ。
急いでいたので、その後のことは知らないが、この種の光景を見かけたのは一度や二度ではない。
弱者擁護とは、平等のためであって、弱者が強者を叩くためではないはずだ。
カンダタの糸は、仏の慈愛を忘れたカンダタ自身によって断ち切れてしまった。
白人の不満や世界中のヘイトスピーチは、なぜ起こっているのだろう。なぜ、トランプのようなヒンシュクおやじが大統領になれたのだろう。
世の人は一体どう思っているのだろうか。