魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

パンダ顔

2017年07月19日 | 日記・エッセイ・コラム

1938年、ナチ政権下のドイツで、ノーベル平和賞受賞者のカール・フォン・オシェツキーが獄死した。79年前のことだ。
先日、同じノーベル平和賞の劉暁波が、中国共産党政権下で事実上の獄死をした。
天王星の84年周期に多少ズレるが、天王星が牡牛座に掛かり、他の惑星を考慮すると、同じ現象の再来と考えるべきだろう。

役者は替われど、変わらぬドラマだ。
当時、ヒトラーの目覚ましい活躍に、欧州の国でさえ媚を売る国が続出していた。
今、AIIBや一帯一路の、白髪三千丈「夢」話に、多くの国が媚を売っている。
ヒトラーの目指したものは、「戦勝国への復讐」だったが、中国が目指すものも、先進列強への「復讐」だ。

ノーベル平和賞には、不遜な性質があり、賞そのものには賛同できない。だから、肯定も否定もしないが、問題は、それに対する中国政府の態度だ。
権威主義の権化のような中国にとって、ノーベル賞は最もメンツの立つものだから、喉から手が出るほど欲しい。そのノーベル賞で、自国の恥をさらされたと思うから、逆に、意地になってそれを隠そうとする。それが、平和賞受賞者の抹殺だ。
仮にメンツの立つ形の受賞であっても、それは中国にとっては単なるメンツに過ぎず、他者が評価するような価値ではない。カードにさえなれば、ノーベル賞もパンダも同じなのだ。

自らを省みず、ひたすら先進列強への「倍返し」を狙う中国は、「その時」が来たと、一気に進撃を始めた。戦いの駆け引きのズルさはあっても、もはや、用心深さはかなぐり捨てている。あらゆる障害は、攻略し、破壊し、乗り越えるべき対象としか見ていない。
口で「国際法に則り、平和主義で、世界の発展を志す」と言えば言うほど、真逆の行動が目立ってくる。
このような「侵略すること火の如」き狂奔では、信長ではないが、「高ころびにころぶ」しかない。

メンツを気にして、ノーベル平和賞受賞者を抹殺する中国に、今、最もダメッジを与えるのは、経済制裁ではない。世界中の国が、パンダを返すことだ。
そうすれば、パンチを食らった中国が、パンダ顔になるだろう。