魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

クジラ

2008年02月08日 | 日記・エッセイ・コラム

」でも少し触れたが、捕鯨反対はご都合主義の動物愛護だ。畜産マネーも仕掛人だろう。畜産国ほど熱心だ。
だが、日本の態度も解せない。

漁業資源、捕鯨技術の伝承、食肉資源の確保・・・
解らないではないが、相手は単なる多数派ではない、狂信者だ。
宗教に対して正面から挑めば、まさにスケープゴートになる。
外交戦略として賢明とは言えない。

クジラ信仰は欧米人の「大きいものは偉大」という「ギガント信仰」だと思う。
相撲の海外巡業で、子供達に人気するのは、小錦や曙など大きい力士だ。欧米のスポーツにハンデがあるのも「大きい者、強い者は当然強い」という素朴な物理感覚があるからだ。
余談だが、
山本五十六が、一発目に叩きつぶせば可能性なきにしもあらずと考えたのは、良くアメリカ人を知っていたからだと思う。
「こりゃ、どうにもかなわねえ」と印象づけることで、戦意を喪失させ、講和に持ち込もうという算段だった。
日露戦争も、日米戦争の時も、現場の憂国の士は勝てるとは思っていなかった。

日本がどうしても鯨を食べたいなら、経済水域で、鯨の放牧をやれば良いだろう。
鯨はダメだが牛を食べても良い理由として、牛は始めから人間が食べるために種付けをして育てているからだと言う論理があるからだ。

いや、実際にやらなくても、捕鯨を止めて飼育すると宣言すればいい。
必ずや反対するだろうから、そこで畜産の是非について大いに議論すれば良い。これは肉食文化の根本を問う対等の議論になる。

「そうですね、肉食は残酷ですね、だったら全部止めましょうよ」
と、現実を見つめさせ、妥協を認めさせることだ。
捕鯨云々はその次だ。

まあ、近々、バイオ技術が進めば動物を殺す必要はなくなるだろうから、ガンバって人工食肉を開発すべきだろう。

でも、そうなると、100年後のグルメブームは、自分の肉を増殖させてステーキにして食べるのが一番うまい・・・てなことに
だいたい、グルメブームなどと言うものは、これと大して変わらない