元祖本家総本家
「最初」を主張しなければならない本物って、世の中に必要なんだろうか。つまり、誰かに真似できて、皆がそれで充分だと思うなら、これは社会的財産だ。
知的財産権や学術功労賞は、西欧の個人主義を背景とする資本主義から生まれたものだ。東洋では、個人の考えは、自然や社会の恩恵と考える。
ギリシャに始まる西欧では、思想も技術も、発想者がかなり正確に記録されているが、東洋ではいい加減だ。
誰の発明かよく分からないから、黄帝のような伝説上の聖人が発明したことになっている。発明者にこだわらないから、思想や技術が多くの人に受け継がれ奥の深い文明文化になる。Linuxのようなものだ。
知的財産権というまことしやかな常識は、武力背景の資本主義、帝国主義の中でだけ成り立ち、いずれ、そうしたパラダイムの崩壊と共に消えるものだと思うが、功罪の両面がある。
権利を目指して発明が促進される反面、エイズ薬のように、地獄の沙汰も金次第だ。
知的財産権のない昔は、各々が財産を守らなければならなかったから、一子相伝や、国外持ち出しを禁じた絹や紙のように、バレない限り、知識は永遠に公開されなかった。
それと比べれば確かに、知的財産権は一定の時間が過ぎれば社会のものになる。しかし、Microsoftのように一度、基幹を掌握すれば人類の文明そのものを拘束してしまうような現実もある。
このように消費者を、ご主人様の餌で生きる家畜にしてしまうやり方こそ、アヘンで中国を植民地化した、西欧牧畜民の天性とも言える。
あの時代。日本の植民地主義を責めるのは簡単だが、欧米に対抗して日本のとれる道はあれしかなかったのも事実だ。日本も自分のことで精一杯だった。
今また、知的財産権という黒船を欧米にならって建造し、アジアを攻め、返す刀で欧米と戦争しようとする日本の姿は、涙ぐましくも浅ましい。
資本主義を取り入れた中国も、懸命にこの方式を取り入れようとしているが、中国の黒船が完成する頃には飛行機の時代になっているかも知れない。
つまり、もし、知的財産権の意識が世界に行き渡れば、一方的有利が消えた強国が、ルール改正を言い出すことは目に見えている。水泳やスキーでさんざん泣かされたように、経済においても、TRONの権利放棄をルール違反だと言い出すのだから所詮、○○権なるものは腕力次第なのだ。中国もよくそのことを知っているから武力強化しているのだろう。
しかし、飛行機の時代にたとえたように、資本の法治、巨艦巨砲主義のパラダイムは必ず崩れる。
この先、投機マネーによる世界経済の破壊の一方で、
NGOの拡大、ネットによる知の共有、金銭によらない労働バーターなど広がれば、国家や資本主義にもとずくマネーと権利はやがて崩壊するだろう。
それが、どういう形で起こるか想像もできないのが、今に生きる我々「時代の人間」の悲しさだ。
「元祖」争いは何時から起こったのか定かではないが、おそらく明治以前には無かったと思う。
「元祖」とは、「秘伝」を知的財産権のようにアピールする文明開化の苦肉の策だったのではなかろうか。