魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

ほんもの

2007年05月17日 | 占いばなし

魚座時代は偽物が横行する・・・

じゃあ、本物って何だろう?
最初の存在をまねたのが偽物なら、本物は最初のものということになる。だから、元祖や本家の本物争いが起こる。

そういう、「物」の真贋ならまだわかるが、形のないモノの真贋、芸術や人物の、いわゆる「ホンモノ」とは何だろう。
ホンモノを見抜けない人でも、ホンモノの概念はもっている。
「あの人はホンモノだね」「こりゃホンモノだ」などと言う場合は、概念を自分が判定する。
で、問題はその概念だが、誰も見たことがないし、抽象的で同じ基準はない。だから、正確に言えば、「ホンモノと言われているものに似ている」という意味だ。

では、ホンモノ認定は誰がするのだろう。
通常、評論家や権威者によって認定されるが、人気によって決定されることもある。
しかし、いずれの場合もほとんどすべてが飽きられ陳腐化する。後で見直すと、いかにもその時代ならではのセピア色だ。評論家も権威者も、人気も流行も、時代の中のみに存在していたことがはっきりする。

結局、ホンモノとは時代の風雪に耐えて残るモノということだが、現在にあって、それを見抜くのはむづかしい。
おそらく、生命や人間に一貫して流れている法則を体現している人や作品を、ホンモノというのだろう。
だから、芸術や人物を見ることの意味は「すばらしい物」を拝観するのではなく、芸術や人物の中に命の法則を発見し、読み解くことにある。そうした抽象概念が解らない人にとっては、どうしてもダヴィンチコードのような答えが必要になる。芸術の観点から考えると、ゲスの勘ぐりとしか言いようがない。やがてセピアに染まるだろう。

占いの楽しみの一つはマンウオッチング、歴史ウオッチングだ。法則性を考察しながらその意味を考える・・・
占星術では土星と天王星は占い師を表すが、小説家も表す。