魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

あれこれ射手座

2007年05月13日 | 占いばなし

木星・射手座の話題が満開
射手座(法律・宗教・哲学・情報・スポーツ・外国・宇宙・・・)
国民投票法案で憲法が話題になり、高野連は存在理由まで疑われ、サッカーくじ「トト」に人気殺到。あちこちから北京オリンピックのボイコット論噴出。自動車工場拡張。
宇宙関連では過去最大の超新星や、生命の存在可能な惑星などが発見された。
高等教育では大学で乱射事件があるかと思えば、日本ではハシカで大学が休講になる、それも上智大学で・・・。
ミッションスクールは射手座の宗教と外国だが、中でも、上智は射手座の上半身の精神性を表す。こんなピッタシカンカンは、前もって予想しても、出来すぎと思って除外してしまう。

余談だが、(本論かな)
これまでも予想時、まさかと除外して、「事実は予想より奇なり」となってしまったことが何度もある。常識や科学に照らし合わせて的中させようと色気を出し、ありそうな範囲で予想すると外れてしまう。
「占いは当てものにあらず」の信念は持っているが、予想するなら常識は禁物だ。一方で、カウンセリングには常識的バランス感覚こそが重要で、相反するスタンスだ。
鑑定における究極の選択は、やはり常識の方が優先だと思う。「あなたは帰りに心臓発作で死にます」と言って、何の意味があるのだろう。人間は死ぬ時まで「明日も生きている」と思って生きるべきだと思うし、それがふつうだ。
そして、矛盾するようだが、人間はいつ死んでも不思議ではないという覚悟がなければ、明日が不安になる。死を意識してこそ生が輝くということだろう。