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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



記事としては2015年3月20日付のものなのだが、
Twitterできょう紹介されていたことで、
私は初めて以下の↓文章を読むことになった。

「仕事が楽しい」の本当の意味を教えよう(東洋経済ONLINE)
『突然ですが、皆さんにひとつ質問があります。皆さんは、大学を卒業した後、就職する代わりに、普通の人が定年退職する65歳まで、仕事をするのと同じ時間、同じ曜日数、大学に通って授業を受けてくれと言われたらどうしますか? あ、もちろん授業料はなしです。そして、月々お給料として30万円差し上げます。』『どうですか? 四十数年間、毎日ずっと大学で授業を受けたいと思いますか?』『この質問、大学生だけではなく、社会人にも聞いてみているのですが、ほとんどの人が、困惑するか、答えに窮してしまいます。少なくても、「はいはい、やります」などと、大喜びで飛びつく人には、お目にかかったことがありません。』『どうしてなんでしょうか?』

こっちが訊きたいわ(汗)。
私だったら大喜びで飛びつく。57歳の今からでもやりたい。
もう65歳まででは10年もできないし、体力的にも心許ないけど。
私の現状は既に老後で、将来に対して投資して貰う価値はなく、
単なる道楽で大学へ行く訳だから、30万円も貰わなくてもいい。
学費無料+書籍費・交通費支給くらいあれば十分に有り難い。

私は、学問研究以前に、「勉強」全般が好きだ。
だからいいトシをして、金を払ってまでTOEICを1年間受け続けたり、
カルチャースクールの漢詩講座に10年以上通い続けていたり、
今に至るもラジオの語学講座を聴き続けたりしているのだ。
授業を聴いたり、自分なりにノートを作ったりして、試験を受け、
そこから考えたこと・得たことを、自分の精神面での力にして行く、
という暮らし方が、私はことのほか性に合っている。
ただ、それしかできないのは未成熟な、甘やかされた状態である、
という認識も、学生時代からあった。
ゆえに大学卒業時、不本意ながら自分でその時期を終わらせて、就職したのだ。
ここまで長年、教育して貰って成人した以上、
次は、微力であろうと社会貢献を心がける段階に移るべきだろう、と。

私は大学を卒業する頃、一時は大学院進学をかなり具体的に検討していた。
3年次から言語学を専攻し始め、形態論と統語論に熱中し、
4年次で卒業論文を書きながら、初めて研究への取り組み方を知るようになり、
これを一生の仕事にする方法はないものかと、毎日、思い悩んでいた。
いや、正直に言うと、「仕事をする」イメージなど当時の私には希薄で、
無期限で、このまま学ぶ側で居続けたかったのだが、前述の通り、
大人なら社会に何か還元できるようになるべきだと、頭では理解していたし、
いずれは、トシとった親を養う必要も出て来るだろうから、
いつまでも霞食って生きていける訳でもない、とも考えていた。
また、昭和の話だから、女が修士号や博士号など持っていたら、
就職も結婚もどんどん難しくなるだけだ、という現実もわかっていた。
何より、自分程度の頭で、生涯を研究に捧げるなどというレベルには
到底、到達できないということも感じていた。

それを、それをだな、学部新卒から毎月30万円も貰って、朝から晩まで、
ほかの心配をしないで勉強をしていればいいなんて、天国じゃないか!!!
学費や生活費のためにバイトもしなくていい。
卒業年限の心配もなく、65歳まで決まっているのだから、
就活しなきゃとか、オーバードクターになったら生活できるのか、
等々と進路に悩むこともない!!むこう40数年保証つき!!
『仕事をするのと同じ時間、同じ曜日数』ということは、
夏休みだから長期に大学が閉まってしまう、なんてこともないんだよね?
大学にも図書館にも毎日行ける!!

私は学部しか行っていないので、大学院生の生活は想像するのみだが、
「勉強だけする」のは当時から私のひそかな憧れであった。
もしも玉の輿に乗って大富豪と結婚できたら、授業料を出して貰い、
大学院に進学するか、違う専門の大学に入り直すかして、
就職など考えず、ずっと学問させて貰いたいと夢見ていたことさえあった。
大学時代が、私が最も勉強した4年間であり、
これこそ私が最も向いている世界だと実感した日々でもあった。
大学のときと同様、必修科目以外は自分で時間割が組めるなら、
毎日、9時-5時で勉強に行くのなんて、それだけでは足りないくらいだ。
あれを、定年までやって良いなんて。しかも給料つきで!!

しかしコレ、一人暮らしならパーフェクトだが、
家族がいたら、家事をしないといけないのだよね(^_^;。
会社で仕事をする代わりに大学に毎日行く、という設定なので、
家庭を持ったり子供ができたりしたら、配偶者と相談する余地はあるとしても、
家事も育児も、共働き同様に考えなくてはならない。
そうすると、勉強時間が足りなくなる。
大学のときは、100分講義×4コマで、4限を受けると午後5時終了、
それから学食に寄り、夕食をとってから下宿に帰ることをよくやっていた。
下宿に帰っても勉強せねばならないし、そのうえ趣味もあったから(笑)、
自炊などに時間を費やしたくなかった。
私が勉強で徹夜するようになったのだって、大学に行ってからだ。
9時ー5時の講義を毎日受けるとすると、結構、量が多いので、
大学時代以上に予習も復習もせねばならないだろうし、
そこから派生する研究もあるから、
家での時間が自由に使えなくなるのは、かなりキツい。
毎月30万円貰えるのだから、家事その他の雑事は外注すればいいのか……。
でも30万円をそんなことに使ったら、十分な書籍代は残るだろうか。
昇給も賞与もないなら、自分の老後の蓄えをどうするかという問題もあるし。
一考を要する。

(家庭持ちの研究者の方々は、こういう困難を乗り越えながら、
研究者としての成果を挙げ論文を書き、各分野に貢献して来られたのですね…)

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Happy birthday to you, our greatest Maestro!
I always hope your happiness and congratulate you on another wonderful year.

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本日10月19日は「TOEICの日」なのだそうだ。
今年から日本記念日協会の認定を正式に受けて、そうなった。
なんで10月19日で「TOEIC」になるのか、
英語じゃなく、日本語のほうができないとわからない(爆)。

10月19日は #TOEICの日(国際ビジネスコミュニケーション協会)
『日本でTOEIC Programを実施・運営する国際ビジネスコミュニケーション協会(IIBC)(所在地:東京都千代田区永田町、理事長:大橋圭造)は、10月19日を「TOEICの日」と定め、日本記念日協会(加瀬清志代表)の認定を受けました。』

私が初めてTOEICの存在を知ったのは、大学在学中で、
1986年くらいのことだったのではないかと思う。
当時はTOEFLしか眼中になくて、似たような試験ができたのだな?と
大学生協の書籍売場で無料パンフレットを見ながら思ったものだった。
実際に初めて受けてみたのは1992年5月31日の第38回だった。
以前も書いたが、当時の資料によると、この回の受験生は全国で33,522人、
リスニングには満点がいたが、リーディングは最高点が440となっており、
TOEIC連続満点などという猛者は、まだ登場していなかった時代だった。

90年代半ばからは私は育児時代に突入し、英語のエの字もなく過ごし、
再びTOEICを受験してみようと思い立ったのが、
2009年5月31日の第146回公開テストのときだった。
私が離れていた17年の間に、TOEIC公開テストは100回以上行われ、
学生や社会人に広く認知され、年間で150万人超が受ける巨大試験へと
成長を遂げていたのであった。

私がTOEICに集中的に取り組んだのは2015年で、
公式本をやり込んで、TOEIC的な反射神経を鍛えた1年間だった。
英語力を磨きたかったのは勿論だが、やっているとゲーム的な面白さがあった。
受け続けることでスコアは上がって来るのだと、体験的に理解した。
「TOEICのスコアが高くても英語ができる訳ではない」
と主張する人がよくあって、確かに机の上の対策で得点は上がって来るので、
(私のように)脆弱な英語しかできない者でもスコアは出せるが、
逆に、きちんとした英語がビジネスの場で使えている人であれば、
TOEICでも必ず一定以上のスコアが取れるはずだ、と私は思っている。

TOEICは問題そのものは決して難しくないし、特別な内容でもない。
水も漏らさぬ満点はマニアの目指すものだとしても、
日常、英語を使うことで不自由をしていない人なら、
大ざっぱにやったとしても、Aランク(860以上)前後は取れる、
と私は体感として思っている。
取れないとしたら、できているつもりでもSurvival Englishの域を出ていないか、
注意力や集中力が続かず、よくよく試験という形態に向いていないか……。

大勢の人を一度にテストするには、マークシート形式の客観テストしかなく、
それで英語力のすべてを測れるものでないことは私も同意するが、
土台となる英語力の程度をスコアとして数値化するために、
TOEICはそれなりによく考えられた試験であると私は思っている。
社会人が仕事で使うのに、先方を困らせないレベルの英語ができているかどうか
をはかることは、TOEICのテスト内容で可能であると思う。

ピアノでいうと、初級~中級エチュードのようなものではないだろうか。
これがノーミスで弾けるからと言って、必ずしも演奏が巧いことにはならないが、
人前で、一応まとまった演奏ができる人なら、この程度の練習曲集で、
あちこちつっかえたり何度も弾き直したりする筈がないし、
ゆっくりだったら弾けるんだけど、……などということもない筈なのだ(^_^;。
そして私がツェルニーにハマったように、
ときどき、TOEICの英語に特化してトレーニングを続けることを
生き甲斐にする人が出現する。
TOEIC満点数十回達成、みたいな受験生も今ではさほど珍しくなくなった。
TOEICがこのようなかたちで発展を遂げようとは、
私の学生時代には思ってもみないことだった。

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10月になると、やはり例年のことだが忙しい。
神社関連で秋祭とか七五三とか行事が増えるうえ、
一社だけとはいえ巫女舞指導の仕事もあり、
実家の村の方面へ出向く日が続いている。

そのような中できょうは久しぶりの休日であった。
休日と言っても対外的な用事が入っていないだけで、休息日ではなく、
舅の家のほうへ町内会費を払いに行き、廃屋めいた舅宅を点検し、
帰りに耳鼻咽喉科に寄って秋の花粉症のために薬を貰い、
夕食の買い物をして、帰宅した。

その後は、ここまで溜まりに溜まった書類仕事に着手した。
神社関係や両親の保険関係その他、こまごまとしたものが
次から次へと「紙」で送られてくるので、
部屋が散らかるし、場合によっては切手も要るしで、本当にウザい。
いくらかでもオンラインにならんものかね(--#)。

「高額介護合算療養費等支給申請書兼自己負担額証明書交付申請書」
が特にウザくて、2月1日が期限だったにもかかわらず、未だにやっていない。
書類を書くだけでなく、被保険者証(医療・介護)・通帳・印鑑・マイナンバー、
これらが確認できるものを両親それぞれについて揃えて、提出せねばならない。
支給額の合計(見込み)が少ないので、これにかかる私の労力やストレスを思うと、
このまま放置しようかと思いつつ、はや8か月。
手続可能期間はまだ1年以上あるので、それまでに暇になったらな(殴)。
ちなみにちょっと検索してみたところ、この書類は毎年来るという噂がある。
そういえば去年も同じようなものを書いた記憶は確かにあって、
やはりあまりの手数にウンザリしたものだったが、
去年登録した口座などは1年で無効になってしまったのか?
だったら来年この書類がまた来たときに今年のもまとめて書けば、
添付書類が一組で、……済まないんだろうかな、やはり(泣)。

ときに、急に気温が下がったので、室内にいるとテキメンに冷える(汗)。
つい2日前まで半袖×ハーフパンツでうろうろしていたのだが、
昨夜から長袖×長ズボンの秋冬仕様の部屋着に変更し、
靴下もちょっと厚いのを履くことにした。
昨年の記録を見ると、10月下旬にやはり秋の花粉症による鼻炎になり、
遠赤外線ヒーターのフォトンⅡの新型を購入して試運転しているので、
今や10月後半ではあるし、現状は季節的に自然な状態なのかもしれないが、
つい10日ほど前まで熱中症になりそうなほど暑い日が続いていたので、
この急激な温度変化は、実際以上に「寒くなった」と感じてしまう。

今週のこれからと、来週に関しては、今のところ、
週末以外には神社に呼び出される予定は無いことになっているので、
できれば一度、家でゆっくりしたいものだと思っている。
外に出ずっぱり、というのが私はもともと得意でないので、
人に会わず、喋らずに、家で一人きりで黙っていないと心身が枯渇する。
今月は、そろそろ、そういう時間が足りなくなってきたぞ(^_^;。

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尿路結石の定期検診を受けに、きょうの夕方、
いつもの某病院泌尿器科に行って来た。
有り難いことに、石は、再発していなかった(涙)。
これにて、結石治療後8年目が無事に終了。

きょうは、昨年の反省を活かして、数日前に電話で予約してから、出向いた。
会社帰りに行ったので、夕方4時半の予約だったのだが、
5~6人しか待合室におらず、しかも診察が終わって伝票待ちの人も複数いて、
午前中に行くより、断然、空いていて楽であることがわかった。

昨年は、尿検査とエコー検査だけだったのだが、
きょうはそれにレントゲン検査も受けるよう指示があった。
結果、どれも問題なく、このあと変わったことがなければ、
次はまた1年後に、適当に予約して来れば良いと言われた。

「ではまた、来年ですね」
と送り出されて、伝票を貰い、会計に向かったのだが、
……これってつまり、一生受け続けるんですかね??
きょうは、私が今まで見たこともない若い先生がいらして、
8年前に私を診断してくださった先生は既に退職か異動になっていて御名前がなく、
受付の女性も全然知らない人になっていて、時の流れを実感した。
このまま続けたら、将来的に、よたよたになった私が石の定期検診に来て、
先生は全員、私の息子か孫みたいな年齢、ってなるのかね(汗)。

まあ、そんなになるまで元気で頑張れ、ってことか(^_^;。
ともあれ今年も、石の再発は無かった。良かった。
来年まで、また気を付けて過ごさなくては。
帰り道にある、毎年行く神社に寄って、御礼のお詣りをした。

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全国的に、COVID-19の感染者数が激減している。
新型コロナウイルス対策ダッシュボードを見ても、
8月下旬と今とでは様相が一変している。

(左が8月21日 右が10月12日)
 

コロナ禍に突入して以降、ベストと言える時期を迎えているではないか!
ワクチンが終わった者は、活動するなら、この秋だな。
晩秋から年末年始となると、また状況が不穏になる可能性があるし(^_^;。

折しも、両親のいる某老人ホームでも、ワクチン2回終了した家族に限り、
いよいよ10月15日から、居住階の共同スペースまで入れることになった。
ホームに接種券の控え等を提出し、『接種済み確認カード』を発行して貰えば、
居住フロアへの立ち入りが許可される。
世の中が動き出しているのを感じる。有り難いことだ。

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第18回ショパン国際ピアノコンクールの予選が進んでいる。
まず、一次予選では日本勢は、
古海行子、小林愛実、京増修史、沢田蒼梧、進藤実優、
反田恭平、角野隼斗、牛田智大の8名が通過、
そして今朝ほど発表された二次予選の結果では
古海行子、小林愛実、進藤実優、反田恭平、角野隼斗、の5名が通った。

聴き手としての私にとっては、あるひとりのピアニストを聴くときに、
その人がかつてショパンコンクールで何位を取ったことがあるとか無いとかは、
大した問題ではないし、経歴として読んでも多くの場合すぐ忘れる。
私が「いい」と思った演奏家が「いい」のであって、受賞歴などどうでも良い。
ただ、こうしたコンクールで優勝、あるいは上位に食い込むことで、
名前を国際的に知られ、マネージメントがつき、演奏会を開けるようになる、
という職業演奏家としてのメリットが大きいことは、理解している。
若いピアニストは、そのためにコンクールを受けるのであって、
自分の才能に、他人様から点数をつけて貰うことは主目的ではない。

そもそもがワルシャワまで来ている時点で、同世代では破格の存在なのだ。
それがコンクールの一発の演奏で採点され、人数が絞られて行くのだから、
合否なるものに、大なり小なり理不尽な面があるのは致し方ないと思う。
特に予選となると、入学試験と同様、一定の人数を落とすためにやっている。
「推し」が落選すると、多くの人が1980年の第10回コンクールでの
「ポゴレリッチ落選事件」を引き合いにして語るのだが、
その通り、彼など、派手に予選落ちした御蔭でスターになったのだから、
何が幸いするかわからない。

尤も、ポゴ氏御本人は世界中で演奏会を行う存在になったあとでも、
「あのコンクールは政治的なものだった、自分は不当な評価を受けた」
と延々と言い続けており、今に至るも機会さえあれば追求する構えのようである。
私は上記のとおり、ファンとしてはとっくの昔に、
彼の、ショパンコンクールの騒動など眼中になくなり、
現在進行形の彼の演奏がどうなのかということしか考えなくなっていたのだが、
御本人にとっては、あれは一生許せない事件だったのだなと
2008年に彼の発言を聞いたとき初めて(殴)悟った次第だ。

それくらいの意地がなかったら、人前で演奏などできないものかもしれない。
こうした解決の困難なわだかまりも、演奏家にとっては、
我が道を切り開くための原動力となり得るものだろう。
「芸術の世界では、一度引き下がると自分の信念を保つことができず、
再び取り戻すことは困難です」(『ピアニストが語る!』増補版p.41)
とポゴレリチは言っているので、今回の若いコンテスタントたちも、
結果がどうであれ、決して『引き下がる』ことなく
これからも己が信ずる道を追求し、進んで行って貰いたいと思っている。

追記(10月17日):3次予選通過しファイナリストとなったのは、
日本勢では小林愛実、反田恭平の2名。

追記(10月21日):本選の結果、反田恭平2位、小林愛実4位にそれぞれ入賞。

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転夫ころもんの転々4
昨年暮れに肝機能障害と高血糖、それに下咽頭乳頭腫を指摘されて以来、
転夫ころもんは、性根を入れ替えて完全断酒し、食生活全般改善し、
日々の運動を欠かさず、真面目にやっている。
肝臓専門K内科へは月1回、糖尿専門G内科へは3か月に1回、
それに某総合病院耳鼻咽喉科へは6か月に1回、診て貰いに行っている。
肝機能は8月の検査でGOT26、GPT21、γ-GTP62、
糖尿病は9月の検査で食前血糖100、HbA1c5.8、
下咽頭乳頭腫についてはカメラによる観察にて変化なし、
……等々で、検査数値的には概ね問題なく過ごせている。
プロトロンビン活性は基準値内、Fib4indexは肝炎レベルではあるが改善しており、
定期的なエコー検査でも、問題となる箇所はないということだ。
血液生化学検査で項目が細かいと、基準値を微妙に外れるものもあるが、
主治医の先生からは何もご指摘がないそうで、本人は気にしていない(^_^;。
否応無しに毎月のように血液検査される身の上になったのは、
体力を過信しがちだった本人のためには、良かったと思う。
体重は1年前より10キロは減らした。
スポーツクラブは退会し、家でオンラインエアロビクスを毎日やっている。
自分に都合の良い時間に、体調に合わせたプログラムを自分で選べて
YouTube等を活用した運動が、ころもんには合っているそうだ。

転妻よしこの唇
9月に10年ぶりの口唇炎になり、皮膚科受診し、
アルメタとプロペトを貰って、だいたい改善したと思っていたら、
今月になってまたなんだかひりひりし始め、
再度アルメタを使い、効きが悪いのでキレてリンデロンVSを塗ったら、
よけいに唇の周辺まで赤みが広がってしまった。
唇とその周囲が、色つきリップを塗りすぎたみたいに薄い朱色になり、
皮がうっすらむけてきて、痛痒いような?というのが今回の症状だった。
しまった、ヤリ過ぎた、さては今度は真菌ではないか!
と見当を付けて、先週また皮膚科に行き、己の愚行を正直に告白したら、
ワタクシの診断はピンポン♪で、検査後、薬がアスタットに変更された。
炎症をおさえようと自己判断で強いステロイド軟膏を塗り続けたのが大失敗で、
抵抗力の落ちた唇は、口腔常在菌に抵抗できなくなり、
つまるところ「カビ」が(爆)生えたのであった。
婦人科領域ならばカンジダ膣炎、同じことが足指に起これば水虫、に相当する。
なんとキショク悪い話なんだ(--#)。
知識としては知っていたが、本当に口唇にも真菌がつくんですね(--#)。
薬が合っていたので、開始4~5日目から効果が体感できるようになり、
一週間目の昨日、診察を受けたら、良くなってきているとのことだった。
自覚としても、もう唇の違和感はないし、染みたりもしなくなった。
乾くとつっぱり感が強いが、プロペトをつけている限りは何も困っていない。
あと1~2週間というところかな、と皮膚科の先生が仰った。
唇の違和感など、全身的な不調に較べたら大したことではない筈なのだが、
それでもここまで、なかなか鬱陶しかった。
外出時等、不織布マスクで常に口元を覆っているのは、皮膚炎を隠すには良いが、
通気性や周辺温度の観点からは、あまり良くないのだろうな(汗)。

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後発白内障のレーザー治療から1週間経ったので、今朝は母を
先日来お世話になっている眼科クリニックに連れて行った。
左目の視力は、治療前に0.1だったものがきょうは0.4まで回復しており
水晶体嚢の白濁も取れていることがわかった。
もともと加齢黄斑変性もあることを考えれば、
それなりに良くなっていると言える状態だったが
母本人は「ようわからん。悪ぅはなってへん」とのことだった。
とはいえ、だからと言って不満ということもなく、先生が
「これで治療は完了です。今後は、定期検診として1年に1度か2度、
診せて頂ければ良いです。何かあったらいつでも来て頂いて」
と仰ると、母は笑顔で、
「ありがとうございます、はい、生きておりましたら、また……(^^)」
と答えていた。

ちなみに母の持っていたバッグの中には、
私が先週、某ホームの売店で買って渡した歯ブラシと歯磨きがそのまま
開封もされずに入っており、やはりすっかり忘れていたことが判明した。
クリニックからの帰り際、母に新しい歯ブラシを取り出して見せて、
きょうから使うようにね、と教えてあげた(^_^;。
本当に短期記憶が定着しない様子なので、
きょう通院したことも、……というより後発白内障の治療をしたことも、
もう、今夜には忘れてしまっているのではなかろうか。

ともあれきょうも母は穏やかであった。
次から次へといろいろなことを忘れて、昔のことも思い出さなくなり、
執着も薄れ、ゆるやかにすべてが「無」に近づいて行くのだとすれば、
92歳まで生きた甲斐もあるのかもしれない、と、見ていて思った。

…………知らんけど(^_^;。

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当初3日間かかる予定だったが、2日目の今日の夕方、
LDKのクロス張り替えが完了した。

白っぽい壁紙なので、写真ではどう良いのかわかりにくいが、
全体に光沢があるので、マンションならではの梁にも
灯りによって面白い陰影が出て、なかなか効果的だ。

キッチン側のクロスも張れたので、これにてめでたく完成となった。
綺麗になった(^^)。とても嬉しい(^^)。

 

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