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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



朝8時過ぎに日比谷に行って、日生劇場の側に会で集合してソルーナさんの『入り』があって、そのあとモーニングをやっているカフェに友人と行って喋り、また別の友人と待ち合わせ、ランチして、会チケットを受け取り、東宝3時半公演を観て、幕が降りたのは7時で、外に出て会で集まりシャンテ側で並んで待って『出』をして、続けて夜8時半から帝国ホテルのフェアウェルに出席し、ソルーナさんともお話でき懐かしい花組生も見かけ、ウタコさんやモックさんを遠目に拝み、周囲とさんざん喋り倒して写真を撮り、そこで知り合った人と奇しくも宿泊先が同じで、一緒にホテルに帰ってきてロビーでまた喋り、連絡先を交換して、部屋に帰り着いて、……ああ、もうじき日付が変わる…

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朝から娘の下宿に行き、お寿司屋さんで昼食を一緒にして、
主人の指定した某パスタ屋さんで生パスタを買って
近くの宅急便営業所からクール便にして自宅宛に送った。

それから狛江まで行って、友人某氏と某コーヒー店へ。
淹れたてコーヒーとケーキを前に、お喋り。
至福の時間だった(^^)。

そのあと夕方に銀座まで戻って来て、
夜は歌舞伎座『通し狂言 東海道四谷怪談』。
だんまりのときの与茂七(菊之助)の着物が菊五郎格子だった♪
私も勿論持参してましたわ♪

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予定されていたラヴェルのソナチネは弾かれず、
ショパンのスケルツォ2番に変更されていた。

充実した内容だった。
積極的な『攻め』の音楽なのだが、
決して暴力的でなく、否定的でもなかった。
『正』の力強さが大変印象的だった。

ショパンのワルツはすっかりアンコールピースとして定着したのか、
かなり自由自在な演奏だった。

ちなみに髪も『攻め』風だった(逃!)。

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明日から三泊四日の東京ひとり旅だ。
午後、名古屋で一旦降りて、田村響のリサイタルを聴いたあと、
最終の新幹線で都内まで行こうと思っている。
東京では、ソルーナ(磯野千尋)さんの東京宝塚劇場での
退団公演千秋楽を観劇し、御卒業をお見送りするのが主目的だ。
それと、別の日に歌舞伎座の夜の部も観る予定にしている。
歌舞伎座の昼の部を観る時間が取れるかどうかは、
今のところわからないので、これはチケットは買っていない。

本当は、この旅行を計画した最初の段階では、
明日は昼に大阪で途中下車して松竹座に行くことまで考えていたのだが、
そんな無謀なことは止めておいて本当に良かった(^_^;。
この暑いのに、朝早くから広島を発って道頓堀まで行くなんて、
しかも夕方は、更に名古屋で降りて演奏会を聴くなんて、そんな無茶をしたら、
日比谷での一大行事を前にして、初日でヨレヨレになってしまう。
そうでなくても私は、交通費を惜しむあまり、
一度の旅行であれもこれもしようと、いつも欲張り過ぎるのだ。
もっと意識的に予定に余白を取るようにしないとダメだ。

ともあれ、そういうことでここ数日、
四日ほど留守にしても大丈夫なように、各部屋の掃除をし食材の整理をし、
クリーニングを取りに行ったり、今月の各種支払いを済ませたりして、
あれこれと準備に忙しかった。
その甲斐あって、出発前日としてだいたい満足できるくらいには片付き、
今夜はやっと気分的にもゆとりができた。

上京にあたってひとつ残念なのは、まだ尿管結石が解決していないことだ。
一週間ほど前、1ミリほどのカケラがひとつ出たので、
その後の展開に期待していたのだが、肝心の大物はやはり動かなかった。
もう先月あたりから、右脇腹や背中に放散痛が出ることはなくなり、
専ら右の骨盤内から下肢へと違和感が集中するようになっているのだが、
最後の関所が、どーしてもどーしても!越えられないようだ。
私はどんだけ頑固な富樫を飼っとるのか(--#)。

今回の石の体験で私はつくづく、尿管(尿道に非ず)は後腹膜臓器なのだと
自分の体を通じて実感・納得できた(爆)。
尿管口(尿道口に非ず)というのも、思っていたより随分と、
背中側に寄った場所にあるもんだったんですね。
今、それが毎日、すごーくハッキリ感じられます(爆爆)。
このあと東京から帰ったら、今月の受診日が来るのだが、
さて、今後の方針はどういうことになるだろうか(汗)。
腎盂に石がつかえていた3月頃なら、こんな、出口に数ミリの石なんて、
全然どうでもいい簡単な状況だと思っただろうが、
今の私は、この膠着状態にそれなりに困っているのだ。
まったく、最終段階まで来てこれほど難儀することになろうとはね。

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多忙  


忙し過ぎてまとまったものを書く時間が無い。
連休三日ほど一人暮らしだった間は完全に自由だったので
書きたいことを書く時間もあったが、今はもうダメだ。
娘が下宿して以来、私は外に出る機会が格段に増えて、
朝と帰宅後に家事を集中して片付けなくてはならなくなり、
22~23時頃には就寝という日課は体調管理の面からも動かせず、
……となると、つまり、家でパソコンをする時間が取れない、
ということになってしまった。

今後、毎日更新していなくても、
それは私がパソコンの前に座る時間がないのが理由です(^_^;。

更に、私の心変わりを感じるのか、一太郎が機嫌を損ねていて、
打っている最中に変換が一切不能になることが最近は増えて来た。
日本語で書いていると、途中で突然、勝手に無変換に切り替わるのだ。
また今日から、googleツールバーの検索窓に文字を入力することもできなくなった
これは日本語英語問わず、二文字くらいまでで入力拒否、という症状だ。
ツールバーを再インストールしてみたが、なおらなかった。
そのうえ、ここ数日プリンターまで調子が悪い。
横縞が出るのでヘッド位置を手動で調整したのだが、改善していない。
ヘッドが汚れているのかもしれない。
しかしもう、メーカーに連絡を取ってどうのこうの、
……をやる余裕は全然無い。
どうせ私が印刷するのは文字原稿だけだから、とりあえず、もういい。

もうちょっとパソ太たちの体調に気を配ってやりたいものだが、
私自身、やたら忙しいので今は無理っ

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重大発表が16日にある、と囁かれ続けていた通り、
きょう、10月のKISS追加公演が公式発表された。

『KISS MONSTER JAPAN TOUR 2013』
【追加公演日程】
2013年10月23日(水)・24日(木)
日本武道館
Open 18:00/Start 19:00
KISS ARMY JAPAN 最新ニュース
【一般発売日】8月3日(土) 10:00 ~
(これに先立ち各種先行発売あり。UDO 最新ニュース

スパイダーセットが組めるかどうかわからないが、
KISSと言えば初来日以来やはり武道館が日本公演の象徴、
という感じがするので、納得の追加公演発表となったと思う。
……思う、のだが、私は行けないな(涙)。
10月は上旬に東京に行く予定があるし、
12月の初めにはポゴレリチの来日でやはり首都圏遠征をするので、
今の私は、KISSは大阪公演で我慢するしかないのだ。

それにしても、KISSの結成が1973年1月って(汗)。
うちの主人が半ズボン姿で中学受験塾に行っていたり、
私が家の白黒テレビで『キカイダー』を観ていたりした頃から、
彼らは既に現役だったのだ。
ネットのクレジット決済でチケットが買えたり、
YouTubeで海外ライブが観られちゃったりする21世紀になっても、
彼らが相変わらず火噴き血吐きやっていようとは、
そして子持ち主婦のワタシがそれに熱狂していようとは、
あの頃は全然、これっぽっちも、思わなかったねえ。

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朝から期日前投票をしに中区役所に行って来た。
投票日の今月21日には、私は日比谷にいる予定だからだ(笑)。
期日前投票をしたのは今回が初めてだったのだが、
『持参するもの』の欄に『このはがき(とどいているとき)』
と書いてあって、ちょっと疑問に思った。
届いていない人は『このはがき』も見ていないので
( )内の注釈は意味がなさそうに思われたのだけれども
どういう状況を想定しているのだろうか(汗)。

それはともかくとして、1989年に不在者投票をしたときには、
記入後の投票用紙を封筒に入れて厳封したりして大仰な感じだったが、
きょうのは、普通の投票のときと同じように
用紙をそのまま投票箱に入れるだけで、開放的な雰囲気だった。
普段と違うのは、期日前投票をする理由について申告した宣誓書を
投票前に記入したことだけだが、これも簡単な内容だった。

**********

期日前投票の帰りに買い物をして、昼前に帰宅した。
昼食後、主人はスポーツクラブに行き、私は家事を片付けて、休息、
午後からは二人で『人造人間キカイダー』の録画を観た。
私ひとりだとテレビなど全然つけなかったので、
我が家ではきょう三日ぶりにテレビから音が出たわけだ(^_^;。

『キカイダー』の1972年7月8日の第1回と73年5月5日の最終回とが
CSでまとめて放映されたので、主人はそれを留守中に録画していた。
私も勿論、キカイダー放映当時に観ていた世代だが、
意外なことに主人は、「わし、あんまり観とらんのんよ」と言った。
なぜかというと、当時の放映が毎週土曜日8時からで、その時間帯に、
小学生だった主人は中学受験の学習塾に行っていたからだそうだ(^_^;。

今観ても『キカイダー』はさすがに、
あの『トリプル・ファイター』よりは殺陣のキレが良かったし、
使われている自動車類もスバルを黒く塗ったものでは無く、台数も多かった。
しかし、やはりデーモン同様、ダークも世界征服を企む巨大組織の割には、
ダムの作業員を痛めつけたり、空き地で小学生を誘拐したりして地道だし、
プロフェッサー・ギルも、「光明寺親子よ、ダークの恐ろしさを思い知れ」
などと、えらく個人的な動機で行動しているのだった。
何より、ジローがキカイダーに変身できず苦悩する件で、その解決が、
 光明寺博士「変身回路が外れていた!」
だったのにはかなりウケました(逃!)。
最終回でジローは光明寺博士一家と別れてひとりで旅に出るのだが、
しかしこれって、どうなんだろう、ジローは要するにマシンなわけで、
戦闘能力の高い自作機械を野放しにして外国に行っちゃう博士って、
イイんですかね?

しかし、そういう細かいツッコミは脇へ置いておくとして、
全体としては今観ても、なかなか娯楽性のあるドラマだと思った。
登場人物のキャラは立っているし、ジローは適度に野性味があって格好いいし
プロフェッサー・ギルの悪役ぶりは徹底的だし、主題歌は爽快だし。
それに何よりも、キカイダーであるジローの設定が、
良心回路が不完全なせいで善と悪の狭間で苦悩する、
という実に人間的なもので、しかもそのことへの彼自身の答えが、
「完全な存在になりたくない」という、とても深いものだったりして、
随分と考えさせられるテーマを持つ作品だったのだなと改めて知った。
この番組がハワイで大変熱く支持されているというのも、わかる気がした。
続編の『キカイダー01』も私は当時観ていた記憶が一応あるのだが、
もう内容はほとんど覚えていない。
機会があれば観てみたいかも、と思ったりした(^_^;。

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頼山陽史跡資料館の特集展『頼山陽と幕末の群像』を観てきた。
頼山陽とその子息・弟子たちと、
近藤勇・伊藤博文ら幕末の志士たちの書が展示されており、
中でも複製でない吉田松陰絶筆が出展されるのは8月2日まで、
ということだったので、行けるうちにと思って行って来た。

頼山陽本人の書は、これまでも見たことのあるもので、
揮毫されている詩文も漢詩の会で習ったものだったが、
中年期の作については、右肩上がりの動きのある書体で、
いかにも頼山陽という趣のものだった。
書の手本として書かれた(だろう、私には詳細不明)『暢寄帖』は、
作品としての書とはまた違い、筆運びの妙技を顕示するような、
指導者・山陽の大きさ・自在さが圧巻だった。
そしてやはり今回も、山陽の長男・聿庵の書が、
山陽とはまた違う空間構成のセンスを感じさせるもので、
今の私にとっては、最も印象の鮮やかなものと思われた。

吉田松陰は、中国地方の者には何かと近しい存在だ。
山口県萩市の松下村塾が、修学旅行コースになることも多い。
しかし考えてみると、私は松陰直筆の書を積極的に見たことは、
これまで無かったかもしれない。
松陰が自身の肖像のための賛として書いたという作品よりも、
やはり、刑場に向かう直前に懐紙にしたためた『松陰絶筆』に
その未完成な部分も含めて生々しさがあった。

伊藤博文もまた漢詩をやる者にはお馴染みだ。
この人の詩はいろいろと残されており、
自身の揮毫した作品も、私が想像していた以上に数多いことがわかった。
豪快な西郷隆盛の書や、端正な岩倉具視の短冊もあり、
歴史の表舞台に登場する人達の、書家としての一面が私には新鮮だった。
近藤勇の書は山陽によく似た右肩上がりの書体なのだが、
解説を見るとやはり、山陽の書を手本として稽古に励んだと伝えられる、
と書かれていた。
一方、広島藩最後の藩主であった浅野長勲は頼聿庵の弟子で、
聿庵が手ずから植えた梅の木に、亡き聿庵を忍ぶ、
という主旨の『詠頼聿庵先生遺愛梅』を遺していた。

8月3日からの後期展示には、今回とは違う吉田松陰の作品が、
複数出展されるということなので、またそちらも観たいと思った。
書には、その人の本質の一端が明らかに現れていて、
私の様に格別の素養などない者が見ても興味深かった。
『幕末の志士たち』ではあるが、歴史上の存在意義や業績を一旦忘れて、
書から感じられる人物像をもとに、自由にイメージを広げてみるのも
なかなか楽しいことだと思った。

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昨日から主人が二泊三日の予定で東京に行った。
御蔭で、私は事実上、一人暮らしになった♪
自由極まりない。ありがたいことだ。

今朝は10時半まで寝坊して、起きてパンで簡単な朝食を済ませ、
掃除と洗濯をしたら、だんだん暑くなってきて、
冷房なしで家にいられない気温になったので、外出した。
空調の効いているデパートや本屋で遊ぼうと思ったからだ。
距離的には歩ける近さなのだが、外も猛暑なのでバスに乗った。

市街地の大型書店に着いて、時間を考えず入り浸り、
様々な本を気の向くままに眺めているうちに、
暑いからそろそろ髪を切りたいなあという気分になり、
『大人のための美人ヘアカタログ』というのを買った。
私の手に負えるくらいに簡単で、涼しくて、
世間的に呆れられない最低線を保てるスタイルは無いものか。

特集は『-5歳の美ヘアに変身』。こういうものの定番だな。
確かに、25歳が20歳に見える、というあたりなら-5の意味もあるだろう。
しかしいつも思うことだが、49歳のワタシが44歳に見えたって、
とっくに『おばさん』の箱に入っとるという点で同じことなのでは…(逃)。
インタビュー記事は、三浦りさ子。
私が結婚直前だった時期、ウェディング雑誌で、
設楽りさ子・三浦知良の結婚式の特集記事を見たことがあったが、
20年を経て今度は『大人ヘアカタログ』で再会しようとは(笑)。
しかし相変わらず実に美しい三浦りさ子さんなのだった。

さて、この時点で初めて時計を見たら、午後3時を過ぎていたので、
一旦外に出て、パスタの店で遅いお昼御飯を食べた。
誰はばかることなくあっという間に食べ終わり(私は食事が超速い)、
ひとりで動くって自由でイイなあ、としみじみ思った。
それから東急ハンズに寄って、また目的もなく最上階から順に見て、
下まで降り、次に道の向かい側の百貨店に入ってバーゲンを覗いた。
何も買わなかったが、十分に目の保養にはなり、
最後にデパ地下で、夕食用に『健康弁当』と明日の朝食用のパンを買った。

そして、帰ろうとして地上階に上がって来たら、なんと!
外は暗くなり始めていた。こ、これは!夕立フラグが立っとる!!
こんな気温の高い日に、雲が厚くなったら小雨で済むわけがないっっ!!
洗濯物を干したまま出てきたので、私はここから焦った。
来たバスにすぐ乗り、最寄り停留所で降りてから猛然と家まで走った。
マンションの玄関に到達したとき、ポツリ、と雨が私の頬に落ちた。
ま、間に合った……!!
私が洗濯物を全部取り込んで10分後くらいに、
パタパタパタ…と雨粒が窓ガラスを叩く高い音がし始め、
雷が鳴って、外は激しい降りになった。
まったく、間一髪だった。

というわけで、夕方からエアコンをつけて、ごろごろして本を読んだ。
今朝からテレビも観ていないしCDも聴いていないし、調理もしとらんし(殴)、
私ひとりならこういう節電生活が可能なのだ。と自画自賛した。
私のひとり暮らしは、明日で終わりだ。
楽しい時間って、すぐ過ぎてしまうものなのよね(蹴)。
主人は明日は娘を呼び出して、一緒に昼食を取るそうだ。
3ヶ月ぶりの父娘対面(笑)。

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3D版はもう地元ではどこもやっていなかったが、
2D版を上映している映画館があったので、行って来た。
ようやく、観ることができた。

華麗なるギャツビー(公式サイト)

日本の、それもかなり田舎で育った私にしてみれば、
ジャズ・エイジもアメリカン・ドリームも遠い世界の話で、
自分のルーツをどこまで振り返っても接点など全くないのだが、
この小説は学生時代に強引に読まされたので、
原作の内容については、今もかなり記憶に残っていた。
それで、2013年に蘇ったギャツビーがどうなったかに興味を持ち、
今回の映画を観に行ったのだ。

ディカプリオがオジさんになっていた(爆)のに感心したが、
勿論、そういう年齢でないとギャツビーは演じられなかっただろう。
富も名声もある大人で、かつ、童顔の残るディカプリオの雰囲気は、
彼の演じるギャツビーの姿とぴったり重なるものだった。
彼は自分の幸福の象徴としてのデイジーを追い求め、
実際には愛するに値しないような女である彼女に、
最後には自分の命まで与えることになるのだが、
その愚かさこそが、ギャツビーの究極の魅力なのだと観ていて思った。

華麗なパーティーや豪奢な邸宅の、映像としての表現が、
この作品の大きな見どころであったと思うのだが、
私にとって最も印象に残ったのは、
ギャツビーがひとりで桟橋にたたずむ場面だった。
ギャツビーが豪邸を建てたのも、週末ごとに大規模なパーティを催したのも、
すべては、入り江の対岸に住むデイジーを迎え入れたいがためだった。
壮大なパーティーの、華やかなホストとして振る舞う一方で、
静かな夜には、ギャツビーはひとりになって邸宅の前の桟橋に出て、
愛しいデイジーの住む邸を遠く向こう岸に眺めて立ち尽くし、
前方の灯台から放たれる緑の灯に向かって手を伸ばすのだ。
Green light means "progress", in general, "You can go."
と、チャップマン先生が講義のときに仰ったのを私は覚えている。
前に進みなさい、諦めてはいけない、きっと幸福が手に入る、
……とギャツビーはずっと自分に対して確かめるような思いで
暮らして来たことが、絵としてとてもよく伝わった場面だった。

ときに、原作にある、葬儀にギャツビーの父親が登場する件を、
映画で割愛してしまったのはなぜだったのだろう。
ここで父親の明かす、少年時代のギャツビーの姿は、
彼のひたむきさと哀しさを強調するのにとても効果的だったのだが、
きょうの映画ではその場面は使われなかったのが、少し残念だった。
一方、宝塚歌劇のデイジーはギャツビーの墓に最後に花を手向けるが、
そういう中途半端なことをしに出てこなかった点については、
映画のデイジー(の自己愛)の徹底ぶりは良かったと思った。
原作のデイジーも、勿論、ギャツビーには花どころか、
お悔やみのひとつも寄越さない。
自分のすべてで愛した女性から、一顧だにされずに逝くことで、
彼の夢は、どこまでも夢として終わる、
……というのが虚像ギャツビーの終焉に最も相応しいと、私は思っている。

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