goo blog サービス終了のお知らせ 
転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



朝から姑のところに行った。
きょうは休日だったので、主人も久しぶりに一緒だった。

行く前に、バスセンターに寄って、地下のモ○ゾフで、
パンプキンプリンを二個、買った。
姑にはプリンやムースが食べやすくて良いと思ったのと、
もともと女性の常としてカボチャは姑の好物だし、
季節的にもハロウィーンだからパンプキンは似合うだろう、
等々と私の自己満足もあって、これにした。

行ってみたら、姑はベッドに寝ていて、点滴を受けていた。
ラベルを見たところ、維持液と、セフェム系抗生剤の何かだった。
姑は咽喉がゼロゼロ言っていて、鼻炎も少しあり、
外見的には、今回の発熱は上気道炎かな、という印象だった。

点滴は右足にされていて、上半身は自由だったので、
ベッドを少し起こして、主人が横に座って、
プリンをスプーンで口に運んでみたら、
姑は、急に笑顔になって、次々と食べた。
自分から、スプーンを口に持っていくような動作すらした。
「それは、催促の動きじゃね(*^_^*)」
と職員さんも言って下さった。
そして、なんとなんと、姑はプリン二個を完食できた!!
やっぱり、まーくんに来て貰って良かった良かった♪

さらに、このあとしばらくして昼食時間になって、
運ばれてきたカレーライス(御飯は軟らかめ)を
私が介助したら、時間はかかったがこれまた8割ほどは食べられた。
副食のサラダ(きざみ食)とヨーグルトはラクラク完食だった。
ばーちゃんっ、凄い食欲ぢゃないかっっ♪
お薬も飲み、お茶一杯もむせずに飲み干すことができて、
きょうの姑の昼食はほとんど完璧だった。

確かに、ここ数年はほぼ普通食にまで食事内容が上がっていて、
元気でなんでも食べられたことを思うと、
姑の現状は「弱っている」ということになるのかもしれないが、
私の観察では、要は、噛むのがシンドくなっているだけで、
味わってすぐ飲み込めるものであれば、どんどん食は進むのだ。
何より姑は、食べることに意欲があるし、美味しそうでもある。
それなら、またしばらくの間、きざみ食やミキサー食にして、
楽に、たくさん食べられるようにすれば、無問題では?

園のほうでも、高カロリーのプリンをメニューに加えてみる、
と言って下さっていたので、きょうは、少し、安心することができた。

Trackback ( 0 )




私の医療ネタで引っ張ってしまったが、
今度は、ノーマークだった姑が、いきなりキた。
昨夜、姑がお世話になっている特養から電話があり、
このところ熱が上がったり下がったりして、
体のこわばりも強いし、食事も取れていない、とのことだった。

それで急遽、きょうは午前中から姑のところに行った。
姑は氷枕をして寝ていたが、笑顔で、よく話もしてくれて、
急激にどうということはなさそうで、とりあえずほっとした。
園の看護師さんのお話では、ここ数日、37度台の発熱があり、
昨夜は37度9分にまでなったそうだ。

園の内科の先生が1時に来られるということだったので、
午後からもまた姑のところに行った。
今度は姑は起きていて、テーブルについていた。
手や頬に触れてみたが、特に熱くはなかった。

と、姑の向かい側に、ややお元気そうなおばあちゃまが来られて、
私に話しかけられた。

婆「駆けって来られた?」
私「はい。階段を上がってきたので、息が切れましたよ~」
婆「きょうは、暑いですからね」
私「本当に。晴れるとやっぱり暑くなりますね」
婆「もう十月だというのにねえ」
私「なかなか秋になりませんね」
婆「草津?」
私「いえ、中区のほうから来ました」
婆「よう肥えとってじゃね

ほっとけ(--#)
もしかして、最初から体型のことを思っていたのだが、
さすがにいきなり言えなくて前フリをしとったのか。

と、私がよそのおばあちゃまと無理矢理な会話をしていたら、
姑が横合いから、ニコニコ笑って、私の胸に手を伸ばしてきた。
これがおじーさんだったら、チカンよチカン!となるところだが、
なにしろうちのばーちゃんだから、したいようにしてもらった。
姑は、私の着ていたブラウスを、なぜか、たたもうと考えたようで、
私の襟元を結構強い力で絞めてくれた(爆)。

その後の、園の内科医の話は、あまりはかばかしいものではなかった。
姑は、このところ、とみに元気がなく、動きも緩慢になり、
食事時間になっても座っても、いびきをかき始めることがあり、
食物摂取量が減って、体重も徐々に落ちている、と。
それは私としても気がついていたことではあったのだが、
先生のお見立てでは、これは緩やかな脳梗塞が進んでいるのであり、
それを食い止める方法はないと思う、とのことだった。

私は、家族としては、急性期の手当は勿論希望するが、
苦痛を伴うほどの検査や治療は望まないこと、
老いに伴う衰弱は受け入れるほかないと理解していること、
かくなるうえは、本人が安楽に、できるだけ穏やかに過ごせれば、
・・・と願っていること等々をお話した。
先生もそれには同意して下さった。

ただ、現在の発熱についてはまだ予断を許さないところがあり、
おそらくなんらかの感染症とは思われるが、
高熱が続くなら夜間でも救急搬送を考えていると園では言われた。
こちらには全く異存なかった。
入院となれば、私が通ったり付き添ったりすることになるから
中区か佐伯区のどちらかの自宅から近いところが良い、
という希望だけ話しておいた。

姑は、これまでの約七年間の療養生活の間に、
敗血症や脳梗塞や、その他いろいろなことがあったが、
その都度、乗り越えて元気になって来たし、
食事が一時的に取れなくても、また食べられるようにもなった。
だから私は、姑の体力が、必ずしも、
このまま単なる下降線を辿るとは思っていない。

何より、姑は表情も落ち着いているし、よく笑顔も出る。
私は姑のいる世界には一緒に入れないことが多いけれども、
姑なりに、楽しいことや良いことがあるということだと思う。
それなら、その楽しいことや良いことが、これからも、
もっと長く続くように、できることはしたいと改めて思った。

Trackback ( 0 )




あれからいろいろと思い返して、考えていたのだが。
今回、風邪だと思っていたのは、本当はそうではなく、
もしかして私は、軽度の、あるいは無痛性に近い、
亜急性甲状腺炎にかかっていたのでは、なかろうか。

血沈の上昇、血小板数の増加、T3・T4の軽度上昇、
それらに先立つ、風邪・扁桃炎様の咽頭痛と微熱、
さらには右顎関節症に酷似した上顎からコメカミの痛み、
私らしからぬ基礎代謝の向上、腹部不快、
オマケに心拍数増加(これは関係ないかもしれないが)。

甲状腺の腫脹および機能亢進の症状として、
それなりに特徴的ではないかと思うのだが、
この医療ヲタの自己診断は、行き過ぎですか(^_^;。
尤も、素人の哀しさで、甲状腺の腫れはどの程度なのか、
触れただけではよくわからないし、
慢性扁桃炎のために咽喉の不快感には既に慣れっこで、
局所の自覚症状に関しては、判断がつきにくいのだけど。

で、診断もさりながら、今、何より不安なのは、
この状態は、もう、増悪期は終わったと思って良いのか、
それともこれは前哨戦で、今後、本格的に痛くなるのか、
ということだ。

Trackback ( 0 )




娘はA中1年生の学年行事である一泊二日の「合宿」で、
呉のむこうのほうにある宿泊施設に出かけた。
聖書の勉強をし、夜には班ごとに聖書劇を上演する予定だそうだ。
私はそんなのやったことないが、まあ、頑張って下さい♪

ということで、娘も出かけたし、身軽になったところで、
私は、先日の血液検査の結果を聞きに、例の内科に行った。
風邪と扁桃炎の最中に採血したせいだと思われるが、
炎症反応のCRP判定が+1、血沈が14と高めだった。
それと甲状腺関係のT3とT4が、それぞれ軽度に上昇していた。
異常値までは行かないが、要注意値であるとのことだった。
私は甲状腺が悪いのでしょうか?と尋ねたら、
そうではなくリュープリンやピルなどホルモン治療の影響だろう、
まあ様子を見ていれば良いでしょう、ということだった。

あとは特に異常なかった。
別に食生活を改めたわけでもないのに尿酸が4.6に下がったし、
血糖が86、ヘモグロビンA1cが4.9で、
暴飲暴食で肥満のくせに、今のところ糖尿の傾向も出ていなかった。
大変有り難いことだが、こういう自分らしからぬ良い値を見ると、
もしや検体を間違えられて他人の血液検査結果を貰ったのでは?
などと疑心暗鬼になった、ノイローゼなワタクシだった。

さあ終わり、と診察室を出かかったところで、携帯が鳴った。
私は慌てて廊下の隅に駆け込み、
出てみたら、A中のPTA役員仲間の某さんの声で、
「転妻さん!どうしたの!?きょう、委員会だよ!!」

えっ!聞いてないよ~~!??

私がすっかり失念していたのか、連絡がまわらなかったのか、
娘が学校で貰った文書を私に渡し忘れたのか、真相は謎だが、
とにかく私はきょうA中で委員会があるにも関わらず
すっぽかしてしまったのだった。
電話で平身低頭していたら、看護師さんに呼ばれた。

「転妻さん。すみません。ちょっと戻って下さい。心電図とります」

ええっ!聞いてないよ~~!??

なんで?なんで!?
私は心臓も悪かったの??とビビりまくったが、
幸いなことに、心電図は、何も異常なかった。
もともとある完全右脚ブロックを指摘されたが、
実質的な問題は何もないから安心しろ、とのことだった。
という話のあと、先生は首をかしげて、

「ですが、今、気分悪いですか?脈が異常に速いですが」

委員会と心電図でビックル2本のんだんじゃ

Trackback ( 0 )




Frank Wildhorn and His Musical Theatre WORLD

10月2日付でUPされたフランク・ワイルドホーンのインタビューによると、
たかこ(和央ようか)さんが再来年に計画しているのが、
ミュージカル『ドラキュラ』の主演であるということだ。
たかこさん御本人がドラキュラ伯爵を演じる。

記事の中で、ワイルドホーン氏は、最近の日本での仕事に触れ、
来年には『ルドルフ』や『紅はこべ』も日本で上演される予定だとか、
『ジキルとハイド』の見事な主演者であった鹿賀丈史は、
今度は2009年の『シラノ』に出演することも有り得るだろう、
等々と語ったあとに、このように言っているのだ。

『和央ようかという女性がいて、彼女もまた宝塚出身で、『Never Say Goodbye』に主演したスターです。彼女は美しく、長身で、途方もない才能のある日本人スターです。彼女は今は宝塚を退団していて、今度やろうとしているのが、『ドラキュラ』なのです、・・・彼女がドラキュラ役をやるのです』
女性のドラキュラですね?というインタビュアーの問いに、
『その通りです。この夏私がジキルのために日本に行ったとき、彼女がこの計画を持って私を訪ねて来ました。私は、さぁどうかなと言ったのですが、彼女は私を説得しました。そして、私たちがこの夏にヨーロッパでドラキュラの再演をしていたときに、彼女が自分のプロデューサー達と一緒に来て、私たちは契約を交わしました。ということで、2009年の春には、日本で、タイトルロールを女性が演じるというドラキュラが開幕します。とても素晴らしいと私は思います。ミュージカル上演の費用はそれだけで経済的なリスクとなりますが、(ブラム・ストーカーの原作小説『吸血鬼ドラキュラ』のことを持ち出すまでもなく)伝統的に男性の役になっていたものを、女性がするということは、いっそうの冒険だと思います。』

私は、ワイルドホーンの『ドラキュラ』が、
ミュージカルとしていかなる作品であるか、知らない。
今、私の頭に浮かぶのは、シメ(紫苑ゆう)さんが昔やった、
宝塚バウホールの『蒼いくちづけ~ドラキュラ伯爵の恋~』だ。
あれも奇しくも、『Never Say ・・・ 』同様、小池修一郎の作・演出だった。
ドラキュラは確かに、やりようによっては、
『男役』の素養が生きる役ではないかという気がする。
ただ、確か、シメさんのドラキュラの後半はコメディだったけど(爆)。

それはともかく、話は一方から聞いただけではわからないけれども、
この記事内容が客観的に正しいとすれば、
たかこさんはなかなかの熱意を持って
ドラキュラを演じようとしているようだ。
フランク・ワイルドホーンを相手に、
『convince(説得)した』という表現は凄いと思った(^_^;。



追記:まあ、かのポゴレリチが昔、
『私が言ってもいないことが記事になっている』
と呆れていたことがあったので、
ファンとしては用心を心がけ、いちいち踊らないようにしたいと思う。
こういう報道は実に面白いけれども話半分、ということで。

Trackback ( 0 )




昨夜、主人の部屋に夕食後にコーヒーを持っていったら、
例によって、テレビが、がんがんについていた。
だがひとついつも違ったことは、やかましいバラエティではなく、
画面には、緑深い山岳地帯が映っていたことだった。
そして、満々と水をたたえ音もなく流れる大河。

私「何これ?『中国漢詩紀行』?」
夫「いや、『サウンド・オブ・ミュージック』(^_^;」

主人は何を思ったか、この不朽の名作映画を観ていたのだった。
美しい風景というのは洋の東西を問わず共通した要素があるのか。
私の目には、「ただ見る長江の天際に流るるを」の世界も、
「エーーーデル、ヴァイス」の世界も同じように見えた。
それともうちのテレビの映り悪くてボケているだけか?

さて物語が始まり、画面では、修道女見習いのマリアが院長から、
トラップ家の7人の子供達の家庭教師になるようにと言われ、
ギターを持ったメアリー・ポピンズみたいなナリで出発していた。

娘「なんでギター持ってるの?」
私「まあ、ええやん。慎ましい彼女の、数少ない所持品のひとつだよ。
 何もないけど、いつも音楽と一緒だった、ってな感じ」
娘「けど凄いよ~、危ないよ~、傘もギターもぶんぶん回してるよ」
私「みーちゃんは絶対に真似しては、いけませんよ」
娘「遠心力で飛んでいきそうだよ~~。まわりドン引きだよ~~」

マリアが到着してみると、トラップ家はエキセントリックな一家だった。
退役軍人でもと海軍大佐だという厳格な父親は、合図のホイッスルで
子供達を呼び出し、整列させ、軍隊さながらの教育を施していた。

娘「へ~、器用なヒトだね。口笛が凄いね~」
夫「ちゃうって。笛、ちゃんと持っとんじゃて」
娘「な~んだ!きゃははは!!」
私「ったく、江戸屋猫八かよ」
娘「おかーさんのおらん家なんだね?」
私「気の毒だが、亡くなったらしいよ」
娘「7人も生んで疲れたから?」
夫「なるほど~。それはあったかもしれんな」

いたずら好きな子供達は、初めての晩餐のとき、
マリアの椅子のうえに、松かさをこっそり置いておく。
知らずに腰掛けて、悲鳴をあげて飛び上がるマリア。
それは修道院の行儀ですかと大佐はマリアに呆れるが、
彼女はすぐ気を取り直し、臆せず「歓迎ありがとう」と子供達に言う。
と、それを聞いて子供たちが、次々に泣き始める。

娘「なんで泣くの?」
夫「子供らのイタズラを、大佐に口づけせんかったからやろ」
娘「・・・・・・・・???」
夫「おまえ分かれよ、それくらい状況みて」
娘「・・・・・・・・????」
私「(口づけじゃなくて告げ口だろーが(--#))」

さて大佐は翌日からウィーンへ。
何日かして、婚約者の男爵未亡人を連れて大佐が帰宅してみると、
留守間に子供達はすっかりマリアになついて大騒ぎ。
マリアは子供達に歌を教え、ピクニックに連れ出し、
存分に戸外の空気を吸わせて生き生きと遊ばせていたのだった。
規律が守られていないと大佐は激怒し、マリアに解雇を言い渡すが、
その刹那、子供達がマリアから習った歌を歌う美しい声が聞こえてきて、
大佐もまた、忘れていた音楽を思い出し、頑なだった心が溶け始める。
子供達と声を合わせて歌い、実に久しぶりに心触れ合うときを取り戻し、
自分の教育の考え方は間違っていたと、マリアに謝罪する大佐。

私「こういうとこは、ころっと、あり得んほど素直な男やねんな。
 コケンに関わるとか、意地を張らんとこは、立派や」
夫「まあ大佐の教育理念は、実にその場限りの適当なもんじゃと」

次第にマリアと大佐は惹かれ合い、大佐は男爵未亡人との婚約を解消。
そして大佐は、ある夜、庭園にひとり佇むマリアに求愛し、
『私が貴女を愛し始めたのは、貴女が、
あの松かさの上に座って悲鳴をあげたときからだ』
という意味のことを告白する。

私「ほんまか?松かさのとき、『それは修道院の流儀か』とか、
 いぢわる言いよったやないか」
夫「だいたい最初から子供らのイタズラじゃとわかっとったんかい。
 あんとき、気づかんフリしてイヤミ言うたっつーことじゃろ」
私「そうそう。男爵夫人を招待したのも、松かさ事件より後やしな」
夫「ほうよ!結婚しよ言うて、男爵夫人クドきよったのにな」
私「マリア、こんな男、信用したら、あかんで。
 一曲歌っただけで、えらい簡単に物わかりようなったけど、
 もともとヒトのこと、笛吹いて呼びつけよったような男やろ。
 あれも間違いなくこの男の一面や。
 この先、いつまたホイッスル持ち出すか、わからへん」

ウェディング・ドレスをまとい『マリア(Maria) 』の歌に包まれ、
今度こそ本当に修道院を出るマリア。盛大な結婚式。
名門フォン・トラップ男爵家の威光を伺わせる大勢の参列者、
バージンロードの彼方には、海軍の正装をして花嫁を待つ大佐。

娘「マリアの身の上は、明かされた?」
夫「いいや。身よりはなさそうな感じじゃけど、わからんまま」
娘「結婚式なのにパパママが来ないから、マリアはひとりなんだね」
私「『家庭教師ですってよ!どうやって取り入ったのかしら!』」
夫「『どこのウマの骨ともわからない娘!財産目当てよ、きっと!』」

年齢の差、境遇の隔たりを越え、愛によって結ばれた二人。
しかし、幸福な新婚旅行から戻った途端、いよいよ、
ナチス・ドイツによるオーストリア併合を目の当たりにし、
愛国者である大佐は、時代の流れに失望を感じる。
そしてついに、軍人としての高い地位や財産のすべてを捨てて、
自由の地スイスに家族で亡命することを決意する。

私「着の身着のまま。マリア、たった一瞬の玉の輿だったねえ」
夫「『亡命!?うそ、なにそれ!いやよ、約束が違うわ!!』」

ころもんだったら反対しまくるよねー。
ころもんにとっては、思想的なワガママよりとにかく富よね富。
こんな物凄いお屋敷と庭園と資産と、男爵の身分があったのにねーー。

ザルツブルク音楽祭に出演したトラップ一家の合唱は、
観客の感動を誘い、熱狂的な拍手の中、表彰式の騒ぎに乗じて、
一家は亡命のために会場から姿を消す。
マリアが以前いた修道院に逃げ込み、かくまって貰う一家、
追って来るナチスの親衛隊。
院内の墓地の柱の陰に一家は身を隠し、声を殺して体を寄せ合う。
近づく親衛隊の靴音、息詰まる恐怖の瞬間!

マリアに抱かれた、一番幼いグレートルが無邪気に囁く。
「怖い。お歌をうたってもいい?」

私「いっ、今は、ダメっっ!!」
夫「ももももうちょっとオリコウになりましょうね(^_^;」

命からがら追跡の手を逃れた一家は、国境に向かい、
山岳地帯を越え、ついに目前に広がるスイスを目指す。

夫「これ、実はドイツに向かってる」
私「えええええ~」
夫「撮影とか風景の関係で、そういう方向で歩くことになったらしい」
私「つかまりに行くわけだ、これから」
娘「え。これで終わり?」
夫&私「そう」

以上、娘が、この名作に対して何か大きな誤解をしなかったかが、
見終わって最も心配になったことだった。

Trackback ( 0 )




A中学高校の創立記念日で、きょうは娘は学校が休みだった。
公立育ちだった私にはあり得なかった状況だ。
よく漫画で、学校をサボって繁華街にいるのが大人にバレて、
主人公とかその友人たちが、
「き、きょうは、創立記念日!」
などと言い訳する場面が、昔、あったものだけど、
本当に創立記念日で学校が休みになるというのを
私は娘の姿を見て初めて知った。

あれ?私の出身大学は確か、
私の祖母が生まれた年の1900年に開校した筈だが、
はてさて、創立記念日って、あったっけ・・・???
学生が毎年、創立記念関係で休んだり行事したりしてたっけ?
創立100周年フィーバーで、2000年にはいつも同窓会から
何かと振替用紙が送られてきていたことは記憶に新しいが(爆)。

Trackback ( 0 )



   次ページ »