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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



ブッチャー&テリー7年ぶり!!/新日本(Nikkansports)
『<新日本:東京大会>◇4日◇東京ドーム◇4万1500人
往年の名勝負が、東京ドームのリングで復活した。70年代後半に全日本で活躍したテリー・ファンク(65)とアブドーラ・ザ・ブッチャー(68)が、リング上で約7年ぶりに対面した。矢野、石井、飯塚と組んだブッチャーは、蝶野、長州、中西と組んだテリーに頭突き、地獄突きで先制攻撃。テリーもパンチ5連発で応戦した。試合は中西が飯塚をアルゼンチン式背骨折りで破った。』『かつて全日本で抗争を繰り広げた2人がリングに上がると、舞台は一瞬にしてプロレス全盛期にタイムスリップした。孫の面倒を見る引退状態の日々から復活したテリーは「次?20年か30年したら、またブッチャーと戦うかもね。もう殴られすぎて分からないよ」と笑った。一方のブッチャーは「まだまだリングに上がるよ。この体を見れば分かるだろう?」と、肉厚の体を揺さぶった。』

1983年8月31日、蔵前国技館における、
テリー・ファンクの引退試合@全日本プロレスに、
感動し大泣きしたことを、転夫ころもんは現在、激しく後悔している。

無理もない。

あれからテリー・ファンクは、
性懲りもなく一体なんべん引退したことか(爆)。
そして孫の面倒を見ながら、今も現役(爆爆)。
プロレスが、65歳にもなって、まだやれるような種類のもんだとは、
しかも対戦相手まで70近いじーさんなんてのがアリだとは、
あの頃は、誰も考えもしなかっただろう。

テリー・ファンク引退試合 1/3(YouTube)
テリー・ファンク引退試合 2/3(YouTube)
テリー・ファンク引退試合 3/3(YouTube)

「ねえ、○○って、もう引退したっけ?」
と私がレスラーの名前を出して尋ねても、最近のころもんは、
「はん!あれらの引退なんか、あって無いようなもんじゃ!」
と吐き捨てて、全然教えてくれなくなっている。

しかし、83年のテリー・ファンクの引退に泣いたことは、
私は、それなりに意味があったと思っている。
83年は、今だからこそわかることだが、結果として、
日本のプロレス界の大きな転換期となったからだ。

テリー・ファンクの引退試合の直前、やはり同じ蔵前国技館で、
初代タイガーマスク(佐山聡)が突如引退(最初の・爆)を宣言した。
その後、新日本プロレスの内紛が表面化し、
アントニオ猪木と坂口征二がそれぞれ社長・副社長を辞任、
翌年には営業本部長だった新間寿が手を引き、前田日明も退団した。
昭和のプロレスの、崩壊の始まりだった。
ジャイアント馬場もやがて一線を退き、全日本も衰退し始め、
プロレス界全体が、ここから団体乱立の時代へと突入して行く。

次世代だった長州力や四天王プロレスも、私は好きではあったし、
総合格闘技の時代になっても高田延彦には楽しませて貰ったが、
それでも、テリーやブッチャーが私たちの目を釘付けにした、
あの輝かしかった、テレビのゴールデン枠のプロレスは、
結局二度と、取り戻せなかった。
観る者が皆、プロレス最強と熱狂した、日本のプロレス黄金期は、
ちょうど、テリー・ファンクの引退を最後の頂点として、
このあと急速に終わりを迎えてしまったのだ。

日本のマットから去りゆくテリー・ファンクこそ、
まことに、溢れる熱い涙で見送られて然るべきものだった。
私たちは、時代の終焉を見届けようとしていたのだから。
フォーエバー!サヨナラ!サヨナラ!と。

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