ホルストメールの物語は、恐るべき多重構造の巨大な世界だ。
観客は思い思いの角度から、そこに感情移入をし、自分を投影し、
自分を代弁してくれる主張を聞くことができる。
例えば、馬を初めとする多くの動物が、人間のそば近くにあって、
常に人間の友となり、同時に人間の犠牲にもなっている、
という点から観るだけでも、この物語は感動的だ。
また、人間を客観的に眺めるためにここでは馬の視点が使われている、
と観るならば、人間固有の支配欲や所有欲への批判を読み取ることもできる。
あるいは、貴族階級から見た農奴の生き様を描いたもの、というふうに、
歴史的な視点を固定して見ることも可能であるし、
それとともに、そこから発展して、これはいつの時代にも通じる、
身分差別や人種・民族差別に光を当てたもの、と考えても良い。
私が漠然と思ったように、信仰の物語として神の視線を感じる、
という見方もあるだろう。
舞台の表現方法としては、一般的な意味での芝居という要素は無論のこと、
パントマイムがあり、ダンスがあり群舞があり、ジプシー音楽があり、
コーラスがありソロがあり、歌詞のある歌もない歌もある。
それらすべてが、境界も感じられないほど見事に融合している。
中でも、言葉にならない、楽譜に書き表すこともできない、
ホルストメールとしてのレーベジェフの叫びは圧巻だ。
それは、多分、誰が聞いても馬のいななきとして聞こえるだろうが、
同時に、文字にできないその音の中にある魂の声が、
劇場の隅々にまで響き渡り、見る者の心を揺さぶるのだ。
俳優レーベジェフ自身、スターリン時代に家族を奪われ、
想像を絶する貧困と迫害の中で演劇への情熱を貫いた人である、
ということを、私は遙か後年になって初めて知った。
ホルストメールとレーベジェフの出会いもまた、
ひとつの奇跡であったのだと思った。
自分が幼かった頃のことを語るホルストメールは、
恐らく、レーベジェフ自身の姿だった。
『五感を通して得た経験により、その役の心が理解できる』
というスタニスラーフスキー・システムの一端が、
レーベジェフによって見事に体現されていたのだと、今にして思う。
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