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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



初優勝の昭和50年以来、カープは優勝パレードをしたことがなかった。
そのあとも優勝経験はあったし、日本一になったこともあったのに、
結局、初優勝を超える盛り上がりは、二度と無かったようだ。
何しろ、パレードは何かと費用がかかる。
球場での試合やイベントのように、入場料を取れる企画でもない。
赤貧の球団としては、よくよくのことがないと、実施できなかったのだろう。
今年の優勝は、41年ぶりに起こった、その「よくよくのこと」だった。

広島の街がカープの赤一色に 41年ぶり優勝パレード(デイリースポーツ)
『25年ぶりのリーグ優勝を達成した広島が5日、広島市内で優勝パレードをスタートした。広島の優勝パレードは初優勝した1975年(昭和50年)以来、実に41年ぶり2度目。今季限りでの現役引退を表明し、永久欠番にもなった黒田博樹投手(41)の背番号「15」は、この日限りで見納めとなる。』『選手、首脳陣が、オープンカー4台と、オープンデッキのバス5台に分乗。スタート地点の西観音電停東交差点付近を出発した。沿道にはあふれんばかりの人、人、人。故人の遺影を掲げ、涙するファンの姿もあった。真っ赤に染まった広島の街からは、次々に「感動をありがとう」の声が飛んだ。』

私は土曜日は朝から仕事があり、現地には行けなかった。
ただ、早くから市街地は赤い人々があちこちで目に付き、
上空は取材ヘリが飛び交っていて、いつもと違う、賑やかな雰囲気が感じられた。
あとでタクシーの運転手さんが仰っていたところでは、
パレードのコースとなる道には、前夜から場所取りする人々が、
「そりゃもう、えっと おっちゃったです(=それはそれは大勢 いらっしゃいました)」
とのことだった。

この日は、出勤途中に、明らかにパレード関係とは違う箇所に
長蛇の列ができていて、とぐろを巻いているのが見えたのだが、
先頭付近まで辿ってみて、それが何であったかがわかった。
この日に合わせ、地元の福屋デパートオリジナルの、
カープ優勝記念「胴上げタオル」が限定発売されることになっており、
それを買うために並んでいた人たちだったのだ。
会社帰りに覗いたら、勿論タオルはあっという間に完売していた。


ちなみに、福屋はカープ優勝後、店舗ビル壁面の幕を
ポストシーズンの進展に合わせて、大変きめ細かく掛け替えて
常にカープを応援していた(笑)。
これが最後に『日本一 おめでとう』にならなかったのだけは残念だったが、
それでもここに『優勝』の文字が躍るなんて晴れがましいことは、
去年の今頃には考えられなかったことだった。
カープが優勝、CS突破、……私は会社帰りに見上げるたびに、
今年はなんて幸せなんだろうと思ったものだった(笑)。
まさに『感動を ありがとう』だった。
カープのお蔭で、私は幾度、元気が出たことだろう。
地元球団があるって本当に良いことだなと、心から思えたシーズンだった。


パレードのあとは、マツダスタジアムで優勝報告会が行われた。
これまた、私は勿論チケットを持っている筈もなく、
後から記事や録画で観ただけだった。
この報告会は、黒田が現役選手として最後に皆の前に立つ機会でもあった。
私は決して、黒田の大ファンだったというような経歴は持っていなかったが、
それでも、マウンドとの別れに膝をつき感極まった黒田の姿には、胸が熱くなった。
「野球を楽しんだことはない」
と語っていた黒田の言葉にも深い共感を覚えた。
自分の持てるものすべてを賭けた真剣勝負は、「楽しい」ものとは違う、
と私は常々思っていたので、黒田の言っていることが私なりにだがよくわかった。
実に、みごとな投手だった。
カープへの電撃復帰だけでも劇的な出来事だったのに、
最後に優勝をもって黒田を送り出すことになり、
ここに黒田伝説は完璧なかたちで完成したのだと思う。

広島・黒田 マウンドにお別れ 「クロダ」コールの中、膝ついて涙に暮れる(デイリースポーツ)
『25年ぶりのリーグ優勝を果たした広島が5日、本拠地のマツダスタジアムで優勝報告会を行った。今季限りで現役を引退した黒田博樹投手(41)は、最後となったユニホーム姿で大粒の涙に暮れた。「世界一のカープファンの前でユニホームを脱ぐことができる。最高の引き際でした」と感謝の思いを述べた。』『「リーグ優勝の時の胴上げを大切にしたいから」と拒否していた胴上げだった。だが、新井らに促されると、マウンドの中央へ。背番号と同じ15回、高々と宙に舞った。その輪が解けると1人、1人と言葉を交わしながら抱擁。最後は1人マウンドに残ると、おもむろにマウンドの手前で右膝を付いた。』『現役生活20年。思いが脳裏を駆け巡ると、しばらく顔を上げられなくなった。涙、涙に暮れる。真っ赤に染まったスタンドからは、「クロダ、クロダ…」の大合唱が鳴りやまなかった。「いろいろ…いろんな苦しい思いをしたので。あのマウンドに立って、スタンドを見るのも最後かな、と思うと」と話す言葉が詰まり、感謝を述べてまた涙に暮れた。』『「あのマウンドにもう上がらなくていいんだ、という気持ちと。もう上がれないんだという気持ちと。最後の最後まで野球の神様がいると思って、野球を続けてきたので。20年間のお礼ですね」』『広島で投げた方が、1球の重みを感じられると昨年、広島に電撃復帰を決めた。今季、チームの精神的な支柱として、25年ぶりのリーグ優勝達成。「出来過ぎの野球人生」とし、現役最後の瞬間に「このメンバーで野球ができなくなるさみしさと、マウンドの景色を見ることができないさみしさがある」と、しみじみと振り返った。』『引退会見で「涙はいっぱい流してきたので、最後くらいはいいかな」と話していたが、最後は涙のフィナーレとなった。スタンドも涙に暮れた。「本当にありがとう」の声援が鳴りやまなかった。』

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