転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



来週は、私の一年に一度の「本番」である通称「闇鍋会」がある。
私は今年は、ツェルニー40番から2曲を弾くことになっている。
第13番と第15番。
絶対にこの2曲がやりたかった、というほどの思い入れは無いのだが、
私は前から書いているようにツェルニー30番・40番・50番を愛しているので、
これまで練習したことのある曲の中から、
今どうにかなりそうなものをやることにしたのだ。

最初は、練習曲だから楽譜を読んで考えるような種類のものではなく、
とにかく弾けるようになるまで練習あるのみ、と思っていた。
練習曲は、つまり大部分が筋トレだ。
例えばの話、元は立位体前屈が数センチしかできなかったのが、
練習したら、これこの通り10センチまで行きまして、
みたいな成果を皆様にも一緒に見て頂く、てなことだと私は思っていた。
ところが、第13番を練習する過程で、
当初は考えてもいなかった表現と弾き方の問題で、
私は結構真面目に(^_^;躓くことになったのだった。

まず、まだこれを発表会でやることなど決めていなかった、出会いの頃、
この曲の楽譜を見て私が一番に思い描いたのは
「マシンガンみたいなもの」であった(爆)。
テンポは速すぎず(工事現場のドリルじゃないので!)、
黒い音符が容赦なくダダダダ!ダダダダ!と撃ち込まれ、
あとには深々とした穴が、等間隔に空けられていくという。
ところが、弾こうとしたら左手にはスタッカートがついていて、
しかもleggiero(軽快優美に)と指示があるのだった。
左手の引き金を引き続けていないと、弾丸が途切れてしまうのでは!?
そして私がガンガン追撃したい終盤になると、
楽譜の指示はdolce(柔和に・甘美に)の挙げ句dimin(次第に弱く)、
最後だけffになっているものの、左手は分散和音の指定になっている。
戦闘の終わりに、せーの!で全員ガッツポーズで締めくくりたいのに、
ツェルニー先生はボロンとバラけて終われと仰っているのだ(T_T)!!

ダメだ。私はどこもかしこも、根本的に間違っている。
「なんかこんなふうに弾きたいな~♪」
と私が思いつくようなことは、ほとんどがタワケであって、
まともなピアノの世界では「悪い弾き方」「綺麗でない弾き方」なのだ。
私はそう思って、一度は自分の考えを捨てようとした。
とにかく楽譜に書いてある通りになるように、やってみなくてはと。
何より、これはエチュードだ。
軽やかなリズムと流れるような優美さを習得するようにと、
ツェルニー先生がお書きになった、学習用の一曲だ。
それを学ぶ以上の、何の意味があるだろうか。
ゆえに、私はやってみた。少なくとも、私なりに。
相当な期間、楽譜の指定を守って弾くことを自分に課した。
「ツェルニー40番をやっている」と言う以上、
我流ではなく、書かれている通りのものを弾くべきだと思った。

しかし、私のテクニックで楽譜の指示に不承不承従ってみても、
それは結局のところ、いびつなポンポン菓子を川の水に流して処分した、
……ふうな音楽にしかならなかった。
そもそもが、今時の「脱力」を習い損なったまま大人になっているので、
一定以上の速度を出すときに、腕や肩に余分な力を入れずに
ひとつずつの音を際立たせるというのがどういうことか、体がわかっていない。
力を抜けば音はフニャフニャの正体不明のものになり、
一音ずつくっきり出そうとすると、すぐに全身に力が入り、
「だめだ、悪い弾き方になってる、なおさなくちゃ」
と思うものだから、体の内部で無意識の緊張と意識的な弛緩が繰り返され、
もう、うっとうしいばかりで、弾くことが全く面白くなくなってしまった。
何より、それで実現しようとしている音楽自体を、
私が少しもイイと思っていない!
出したい音があって、そのために体を努力して作り直すのなら良いが、
自分のあちこちを否定して、全然良いとも感じない音を目指すなんて。
これは不幸じゃないか。道楽人として、あまりにも。

ということで、もう、何が正しいかを考えるのは、やめた(殴)。
私は私のキモち良いように、やる(蹴)。
先生も、それで良いと言って下さった(涙)。ありがとうございます。
だいたいが、自分のためだけに弾いている、趣味のピアノなのだ。
音楽を専門的に学んだことなどないし、今後も学ぶつもりはなく、
ひとえに、弾くことが、手にも耳にも面白いから、弾くだけだ。

私はこの4ページのエチュードの中で、銃撃戦がどう展開しているか、
求められれば全部、お話しできる。
地味な戦闘開始から、徐々に戦場が移動し、戦力が合流して派手な戦闘になり、
敵が投降し始め、追撃と掃討戦、完全勝利、最後にガッツポーズで記念撮影(笑)。
発表会だから、途中で人に遮られることなく、返事を強要されることもなく、
自分のペースで、この話を音で語らせて貰えるのだ。
なかなか得難い体験だ。
……まあ、ツェルニー先生はそんなものをお書きになっていませんので、
完全に、人の言葉を借りた私の得手勝手な創作ですが(汗)。

なお、もう一曲の第15番のほうに私が感じるのは「午睡の陶酔」だ。
気温23度くらいの昼下がり、仄かな風を感じながらウトウト(笑)。
窓辺のシアーカーテンが風にそよいで、ふわっと舞い上がり、舞い降りる。
小鳥のさえずりが遠くで聞こえたり、小さなチョウチョが飛んできたり、
夢と現が定かでなくなったり、……とその心地よさと言ったら、もう。
ゆっくり寝たいので左手のスタッカートは無しだ。むしろ、そっとテヌート。
突然ドつかれて目が覚めるなんて最悪だから、
楽譜にあるfpやsfなどのアクセント系の表現も不要、
最後は勿論、ゆったりと弱音を重ねてうっとりpppで終わらなくては。

……という次第で、以上、
がっつん!がっつん!とテッテー的な重い銃撃戦である第13番と、
夜想曲ならぬ、自堕落きわまる昼想曲(笑)の第15番を、
来週の闇鍋会で、やりたいと思います。
このような自分勝手を許して下さいました先生に御礼を申し上げますとともに、
当日、聴かされる皆様と、何よりカール・ツェルニー先生には、
心よりお詫びを申し上げたいと思います(逃)。

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